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たまにドラマを見ると、兄弟がいない話が目に付く。
1/10のNHK中学生日記で、郷土や先祖の話はずっとあるのに、兄弟だけは代々一人っ子かのように無視して、一人っ子の家庭に設定してある。 兄弟は話のつごう上ないほうがいいからだろう(隣人もだが)、自分と他人の存在がよくわからない子の話だから。そしてここで兄弟がいると、こんなふうに存在に迷った話が成立しなかったと思う。 (ようするに、高級そうでいてバカな脚本にしか見えなかった) そのあとの対論番組で、小さい時の子供の、絵を描くときに自分を大きく描く傾向が、より高い年齢でも残っているという。客観的に自分と世界を見る目が発達していない。人間関係の発達に問題があると。 それは、兄弟なしで、同年代といきなり大人との二つしか人間を知らないからだろう。自分と世界を、年長年少という比較で段階的に見ることがしにくいだろう。 そのことを論者(教育者)たちは語らなかったが。 兄弟関係は、批評しても指図やコントロールできないから口に出さないほうが利口だと―――それで無関係のように扱われたのでは。 その二つの番組を見て、---誰も語らぬままに、人の思考力が変形させられていく風景に疑えてしようがなかった--- 同年代の半分が一人っ子で、いろんなメディアの物語で兄弟の存在する影が薄く、世代のまとまりもなく、そのくせ個の確立などといわれて、大人と一人で対面しないといけない。 別に兄弟関係が平均的にいいものだったとは限らないが、この世のいろんな観念が、じつは多くの比率が兄弟関係を通じて子供に与えられてきたという人類の歴史を、あまりに無視し忘れ過ぎている。 子供がものを考える力の中には、兄弟のような媒介があるということを無視しつつ、そのくせ自然さを考えるときに、兄弟関係が世に普通だった時代のレベルを当てにしていそう。 人の自然さへの、態度と頼り方とがずれ違っている気がする。 その番組である教育者が言った、今まで在った人間の野蛮さのふたがとれてしまった、と。 親にとっても、子供と一対一の責任を(心の中で)取らされるとなると、子供を育てるのに不安だろう。 心の不安定は連鎖するだろう。 たった一人の子供は、何でも親の自分のせいの結果のような気がし、不安で、 二人目がいると、子供の個性が個性として見えてくるし、それで落ち着く、 という効果もあるだろう。 で、その教育者が言うには、僕らは20年負けつづけていると。つまり80年代始めから。いじめ以前の校内暴力が中高校で言われた頃か。 その子達の生まれたのは、少子化の始まった1970年代半ば。 その親が社会に出たのは、学生紛争が終わった60年代末~70年代初頭だろう。つまり団塊の世代。 大学紛争・ベトナム反戦・ロック音楽・・・善意でクリアーな世界を作ろうとして、個人という観念で世界を作り直そうとし始めた世代である。 (その行動が当時間違いだとは言わない) 象徴的なのが、’96-97エヴァンゲリオンという自我の絶対孤独をオチにしたととれる作品が大ヒットしたこと。 (このページはそのうちテーマジャンルを変えようかと思ってる) 関連テーマ「佐世保小6HP殺人」総目次 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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