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テーマ:心の病(7496)
カテゴリ:文学的なあれこれ
いろいろとできてない半端が溜まってるけども、大掃除で時間が取れないので、今日で今年は終わり。
イラクの人質がすんで、佐世保事件から少年問題、教育、学力、ニートに時代、・――とまあ、いろいろやってきたのだけど、やっぱり答えは一つは、イラクの人質の締めくくりと同じになる。つまり、「思想という心の栄養」だ。 (政治対立思想ではなくて、純粋に思想) なぜ、佐世保事件のデュオは、生死のホラーに惹かれたのか。 状況もあるけども、その作品の「この世は生死以外は無意味」に惹かれたとも見える。 それは思想的なものに惹かれたのに似ていると思う。 心は自然にあるものでなく、耕して形成していくものだということ、でないと、心さえも他人との間で競争して振り落とされて行くものになる。 そういう風景では、心は何かが弱まりやすいらしい。 小林よしのりは、「悪魔ちゃん」事件のときに、「絶対悪というものを想像できなくなって、ちょっと強そうな名前に憧れることに、むだなエネルギーを費やそうとしているバカな親」と評し、そういう時代を、「本能が衰えとるぞ」 と言った。 詳しくは5/11の日記。命としての思想と小林よしのり 当時以降、若い年代に少し前までは右翼といわれそうな意見が急速に浸透したのも、その精神栄養を求めたい欲求が貯まっていたからだろうと思ってた。 オウムなんかに惹かれるほどに、無知。それは何への無知なのかといえば、思想への無知があるからじゃないのか。 (態度が大きいわりに自信がない、そういう小学生世代を励ますために、宮崎駿は「千と千尋」を作ったが。OLにバカ受け、世界的な大評価を受けた。--ちょっと関係がうすいか(笑い) タフな根性+思いやり、 なさけ+執着、 報酬+誉め言葉+鞭、・・など、人間はそういう速成の組み合わせですませられるもんじゃないということだろう。 自分の欲求を、ずっと長く欲求して行っていいんだと確信をもったら、それはともかく思想と言えるだろう。 だが、それをみんなが簡単にもてれば世話はない。 「いわゆる思想」というやつが、始めの練習・型を与えてくれて、この世にそういうものがあると知って、自分の思いに自信を持てる――ということが多いのではないだろうか。 (宗教を本気で持ったり、ために戦争に至ったりする者は、それを「生存のための人権」だと考えるだろう。) そういう--つまりは--「思想というものを知らない弱さ」というものを、若い世代ほどもっている、気づいているというべきだろうか。 ニート問題なんかも、存在する図太さに欠ける、という点で似て見える。いいかげんな周囲の方がおかしいんじゃないか、ということも含めて、やっぱり思想の存在の問題に見える。 たぶん、これが東京裁判の呪いだ、というのも、まあ、多少は当たっているだろう。それだけが原因でも国家意識だけが答えでもないと思うが、わかりやすい思想の雛型として国家意識は有用だ。 それを、思想だからいけないと責める風潮が、一種の弱さを広めている感じはある。 他人の思想は、一種の雛型で、卒業だってできるもの。それを怖がるのは、怖がるように洗脳されているのかもしれない。 (自分が思想をわかっててこういうことを書いてると言える自信はなくても) 経済の成り行きについては、もはやほどほどの未来しかないと諦めをつけたのが今年かも。 だから、このまま天災・人災が続くなら、時代の注目は経済問題を離れて心にしばらく向かうかも。(皮肉な想像だな) では、みなさん、 ゴ~ン、ゴ~ン、ゴ~ン、・・・・・百八つ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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