スクランド日記

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2005年04月16日
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カテゴリ:世界と政治

政府のシステム

 しょっちゅう使う例だが、娘通信♪から読んだジェンダーフリー法案の通過の例
1 異常な思想の持ち主が審議会に入る。
2 他の委員はそのことに無警戒で、黙って言わせるだけ。
3 法務省の役人は、ただ黙ってまとめ上げ、最後にまとめたとき、「こんなものだったんですか」と気づいたという。 
4 しかし、そのままそれに従って法案をまとめたらしい。まとめるというしかないのが日本のシステムだったらしい。
5 それにしても、法務省次官や大臣に連絡して、考え直してもらうという手はありそうなものなのに、とにかくそのまま。
6 そのまま、あらゆる場面を素通りして、・・・・気づいたのは、地方の教育現場に強力な歪みが発生したあとで、父兄らからの訴えだった。

 以上からして、日本のシステムがけっこうフリーパスになりやすいことがわかる。


議会制民主主義

 議会は国民の意向・世論を吸い上げるところ。
 議会で議論する、その本議会以前のいろんなところで議論して採決になる。
 そのいろんなところの議論の裏ではさらにいろんな準備がある。
 
 これが正常に働いているなら、一般国民は、生活などの現場からの意向・世論を伝えるだけでいい。

 今回、ネットが情報を伝えることになったようだ。
 それを、議員が自分なりに検討して問題にした。
 (そうでないと、無批判に通るところだった)
 議論のたびに、反対派議員が増える。

 本会議で賛成すると計算されるのは、ほとんど縛られて賛成票を投じるという話ばかり。
 
 こういうときに、議員を支えるものは何か。
 特定の立場の人たち、あるいは一般世論。
 推進者には、団体などの特定の背景がある。
 (公明党←外国人。 古賀氏←同和団体。 法務省←国連・パリ原則 )

 反対派議員には、本来、義理立てる相手がない。ただ、論理と一般者としての世論があるだけ。

 これを見ると、論理に従ってものを考えるのは反対派議員達であり、
 推進者たちは、その推進の必要が説明できずに、ただ妥協案を出すだけでいるようだ。

 ネットが、よけいなことを掻きたてるという人がいるが、以上を見れば、
 「‘疑わしさ’を追求する、背後関係によらない議員達」 を支えるのは、当然のシステムなのだ。
 むしろ王道。


ネット、ブログ

 ネットというのは、言葉の世界で、言葉と言うのは、人のそれぞれだ。
 共通の立場がないとは言わないが、やっぱり個人の言葉の世界だ。
 一人一人の意見をある面で集約するとある立場になり、別の面で集約すると別の立場ができる。
 個々人にはいろんな根拠・姿勢があって、その時々で絡み合っていろんなまとまりを作る。 
 ネットはそういうふうに離合集散するものだからこそ、広がる力がある。

 それは大同団結というやり方には向かない。
 逆に、対立派についても同じ。

 それぞれ自分の根拠を確かめて行くうちに相互がまとまってくるはず。
 ただ、そのまとめ方には悪意が入り込めるが。
 だけど、意図的にまとめきれないからこその 「多数の声」 だと思う。

 派閥
 反対派を潰したがるのは、つまり 「妥協なく推進したい」 というのと同じだ。
 推進派を自認する者は、要求点が明確になるので、 「妥協して推進」 もできる。 
 
 それにしても今回、本物の人権侵害被害者個人による推進論のブログって、あるのだろうか?
 児童委員の書いた、推進論日記ってあるのだろうか?


法案

 本来どこから出てきたのかというと、どうも現場の今の人権擁護委員や児童委員なんかから出た話ではなそうな。
 パリ原則の批准があってそこから出てきた話として人権概念の拡張があって、そのための独立委員会というものらしい。
( ただ、今の人権擁護委員が充分動けているのかというと、充分ではないらしいというのが審議会の議事録にはあるが・・、この話をそのまま信じてもいいのかどうかはわからない。)
 人権という概念と、裁判外紛争処理制度という概念とが結びついて、つまりは、裁判以外の調整制度を設けようという方向ありきのものだったらしい。
 おもしろいが、・・ちょっと基本理念なしの実験のように思える。 思想状況を潮流なんて呼んでかんたんに鵜呑みしている感じだし。

 裁判員制度とよく似た欧米化の発想だと思う。  
 人権の名の何でも屋構想じゃないのか。・・・いつか裁判員になるのかと思うと・・・気が重い。


人権

 人権は大事だ、ということは誰だって当たり前。

 人権が充分なレベルに守られているという意味での人権社会という大義名分は否定しない。
 それを現在の日本が完全なレベルに保っているかというと、足りない面はあるだろう。
 ただ、その足りないすべてを、人権の名で語ることがいいとも言えない。
 それはいろんなものに化合している一要素なんだから。

 人権という名によって推し進めるという意味での人権社会というのは、イデオロギー社会の危険がある。
 イデオロギーでないなら、一般原則として否定しない。
 だから、今までわりあい微妙ないい方をしてきた。
 「日本の大人達を教育せよ法案」 とか 「人権社会推進法案」 とか。

 この辺がどうも誤解されていそうだと思うので、 少々手直しが必要かな。
 微妙なバランスで書いてるから。
 間違いを指摘しようとしたことが逆に間違っていた可能性が生じているので、見直しが必要だが。


 つまらん手直しを繰り返しててもしょうがないな。


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最終更新日  2005年04月17日 23時13分37秒
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