スクランド日記

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2005年06月18日
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テーマ:戦争反対(1070)
カテゴリ:世界と政治

 大元・・・というか、「反省問題の大元」だ。
 なんか世界的に、日本が過去の虐殺を認めないのは、プライドのせいだと見られているようだし、かなりの日本人もそう思わせられているようだが、ここ十数年の歴史を浅く歪曲していると思う。

僕の記憶の歴史
 

<始めの頃――二つの考える自由>

1 歴史を考える自由
 
 '80年代終わりから'90年代の始め頃、日本ではこの歴史について何もまともな証言を出せなかった。
 ちょっとでも歴史の多様性を口にすると、それが政治家・行政人であれば、外国といっしょになって政治問題にされた。
 具体例の1。
「日本は朝鮮でいいこと‘も’した」と若い記者たちに個人的に教えてやったことを、外国にご注進されて、辞職させられた大臣がいた。
 問題は、政治ではない。プライドでもない。
 日本人は、旧世代の知っていることを口にせずに死んでいけということであり、後の世代は外国の言うことだけを信じろということである。

 それは、「日本人は自分で世界を考えるな」 という思考力占領だったと言える。

2 社会と人間を考える自由
 
 虐殺数の問題は、人間観、集団というもの--社会への認識にかかわってくる。中国・親中派の要求するのは、それを自分で考えるな、という主張なのだ。
 具体例の2。
 南京の30万人というのはただの数の多さではない。戦争による荒れた心理や人の命を踏み潰すような作戦のレベルを超えている。それは意図的に、中国全土への見せしめの虐殺であるとか、一般人を殺すために殺し回ったのでなければできない数字だ。
 そういう作戦を日本が取っていたという歴史観は、人間への疑問や、人は社会として日本としてまとまっていいのかという意識につながる。

 現在の日本人が、幼少から大人に成って生きていく上で、自分で考えるために、人間観は重要な比率を占める。
 「人が世界をどうやって認識して生きていくのか」 という基本的な人権なのだ。他人のつごうでいいなりに受け取っていたら、自分とはプログラムに従っていくロボットか、世界を知ろうとしないペットのようなものだ。


要するに、
 「自分で調べ、自分で考える人権」こそが、現在の「歴史観」問題の始まりだ。
 
 現在の若い世代の中の中国嫌いの一部には、そういう成長過程で人間不信のイデオロギーを教え込まれた恨みがあるらしい。ネットで、その親が子どもをそう批評しているのを見たことがある。

 ‘中国・韓国の若い世代は歴史を受け継いで自分の痛みにしている’と好意的に解釈する者たちが、日本人には「世界を理解しようとする人権」ということを認めようとしないならば、矛盾しているだろう。
 矛盾していない場合は、奥底で中国・韓国の人をばかにして、‘感情に流される人生しかないかわいそうな人たちだから、傷つけないようにしよう’と見ている場合だろう。

 宗教で人が戦争をすることがある。宗教は思い込みに過ぎないと見た上でも、なお彼らにとっては命に匹敵する大切な人権なのだと認るなら、内面の自由が命に匹敵すると認めるなら、人が自分の頭で世界の真実を知ろうとすることを、命がけのレベルの生きる必要条件だと認めなくてはならない。

 相手の言う事をただ受け入れるかどうかは、ひとがいいか悪いか、の問題じゃないのだ。

<'90年代>
 これを気付かぬうちに、相手を傷つけぬようにと謝っているうちに、この 「世界と人間を理解する基本的人権」 を、外国を利用したサヨクに支配された形になっていたのが、’90年前後の時期だった。
 
 それに対して、
 黙っているうちに日本人が腐ってしまっている、として議論が起きたのが'90年代半ばのこと。
 加害者はだまっていろ、とされて禁じられていた「真実の追究」を日本人の側が本格的に始めた。
 ( 「あたらしい歴史教科書をつくる会」が1996年12月発足)
 そして、
 当時の左翼・中国側は、議論に不誠実だった。
 彼らの言うことには、個々の人間の全体像がなく、一見いろいろな立場で口を挟むが、実は日本批判が成り立つ意見にはほとんど賛成する。正体不明のスライムのようなもの。

 理念としては真実のない誇りは無意味のはずだが、現実には 身を守る誇りなくして真実は見えない、続かない、と見えた。
 それは右翼的というより、この論争を眺めていた者がたいてい思わせられたことだろう。

 一方、韓国との関係も、「最後の明確な謝罪」を繰り返しても、再び蒸し返される。
 いいかげん、謝罪による合意の無意味さに日本中が気づき始めていた。

 この頃、日本は中国にまったく賠償をしていない、ということになっていた。 「賠償していないのに都合のいいことばかり言う、思い上がり」という言葉が宣伝されていた。賠償していないんだから、援助だって中国にはときたましかしてなさそうだと思えた。(政府は、援助は友好の意味だとして、触れようとはしなかった。その総額は隠されていた。)
 そして、自分たちは「許してもらった」という負い目を受けた状態で、ものを考えさせられていた感じがある。 精神的に中国が優位な存在なのだという主張だった。賠償の放棄で、精神を買い取ったような態度だった。
 そういうあの頃の感覚的なことをどれだけの人が憶えているか?

 '97秋、生テレビで日中問題をやってた後で、じつは、日本のODAのことも含めて手紙を関係者に送った。それでほんものの善意の関係者が励ましとか役に立ててくれるとかするか、あるいは、‘日本人は金を払う気があるんだ’と思わせてより露骨になるか、・・・いずれにせよ、日本人の卑屈さを解消することになればと思った。
 たしかその後に、日本はODAを相当出しているという数字が現れるようになった気がする。

 そして、'98年、江沢民がやってくる。
 その無礼な態度に、訪日の途中から日本の一般人が腹を立てる。彼が親善のために来たのでなく、上からものを言う態度に見えたから。
 反発の中で江沢民は、早稲田大学での講演で、日本との戦争で3,500万の死傷者、6,000億ドル以上の損失が出た、と無根拠にぶち上げた。
 中国の意図は、日本の反省というより、金と思考占領だと(そういう用語は使わなかったにしろ)多くの人間が感じ取ったのだと思う。

 そして中国人犯罪の凶悪化が知られるようになる。
 (いまや日本人による犯罪の凶悪化も驚きでなくなったが)

 これらが、日本の歴史認識のせいだというのが、中国流だった。
 彼らが、歴史観をどう利用するものか、誰だって信用できないだろう。

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 そして、中国が反日教育をしていることも知られ、いまや、中国共産党の歴史的正当性のためには、日本が悪人でなければいけない、ということは朝日もニュアンスをずらしながらも認めたりする。

 それだけに、共産党の手から離れて、中国人一般と日本との関係として、
 「日本はそんなに恨まれることをしたのか」「中国人のナショナリズムとしては正しいのか」という図式に変化してきたのかもしれない。させようとしているというべきか。



(余談)
 
 江沢民は日本のすぐ後で、フィリピンに行き、外相と南沙諸島の領土問題で会談。
 アメリカ軍に出ていってもらったあとのフィリピンは言いなりに妥協。外相の苦々しい苦しそうな顔が印象的だった。
 そのとき、江沢民は語った。「自分が何カ国も外国語がうまいのに日本語だけは劣るのは、学生時代に日本語を強制されようとしたためだ」と。
 日本への圧力も、周辺諸国への圧力と一体だったわけだ。
 そんなことを口にするのは、遠まわしにアジアに対して妥協をしないと脅しているのだ。かつ、軍での功績も経験もないのに軍を掌握するための演技だっただろう。
 江沢民の昔話がもしでたらめでなかったとして、――当時の上海ではいろんな外国語需要があっただろうが、日本語はとくに需要が多かっただろう。そして、国のためなら必要だっただろう。しかし、要人暗殺に巻きこまれやすい危険はあるだろう。せいぜい自分のための計算づくに違いない。

 2002にも江沢民はベトナムに行って、中国軍がベトナムに攻め込んで追い返されたことを、中国にとって「友好的」に書き換えろ、と要求してるそうだ。

 アジア覇権のために日本を萎縮させたいという側面もあったのかと思う。
 だから、2005年の常任理事国問題のときに、デモをけしかける政府部分がいたわけだ。
 日本がビジョンを持てる国になるのはいやだろうな。


   中国/歴史








最終更新日  2005年06月19日 00時19分54秒
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