スクランド日記

フリーページ

2005年06月23日
XML
テーマ:戦争反対(1070)
カテゴリ:世界と政治
 (追加改定は、 ▼1 ▼2 )

 歴史観は国によって違うとか、真実とか、本質とかいろいろ言うが、それには総合的な考察をできるだけ加えた上で、歴史「観」と呼べるものを作ってからの話だろう。
 僕もまともな本をあまり読んでいないが、しかしネットで読めるのは、まともな「観」と言えなすぎるものばかりに接してきた気もする。

 このHPのはなかなか総合的でバランスがある。→盧溝橋事件・上海事変・南京事件:日中戦争の序章 東海大学(鳥飼行博)
 しかし、キャッシュでしか読めない。
 ひょっとして、アクセスの集中で壊れたか、影響に恐れをなして引っ込めたか、意見修正のためか(その余地はある)・・今のうちに保存しておいたけど。

 ところで、僕の見方というか歴史の読みを追加しておこう。


 満州から南京まで

 ――ソ連と共産党を意識し、傲慢にはまった、のでは――

 満州事変は、現地のほとんどの住民から喜ばれた。
 飢饉の民衆が大挙して満州国に押し寄せる。感謝されても憎まれる筋合いはない。

 そして、モンゴルと満州の対ソ連防衛線を日本が維持して行くことになる。実際にノモンハン事件も起きた。
 その視点からは、その防衛線の背後の位置にある華北地域が安定していないのは困る。日本から見れば、華北を守っているのは日本なのに、・・・弱いと見れば叩きたがる漢人が、日本を排除して欧米(とくにソ連)にすり寄っていくのは困る。
 
 もともと日本軍は猪突猛進の傾向もあるので、弱みを見せないように、という意識が増長する。
 (それでますます嫌われる態度になる)
 (満州族とモンゴル族は旧清帝国を構成した民族で、これらと日本帝国が組んで犠牲を出しながら中国を守っているのに、漢人はそれを認めようとせず、ソ連につながる共産党に煽動されることも多く、まったく無知蒙昧な・・・ぶつくさぶつくさ・・なんてね)

 盧溝橋事件の後、華北を実質日本の影響下において国民党は出て行け、という過大な要求をしたのは、華北を安定させたかったためのようだ。
 (もっとも日本の手におけば安定するという理由もなかろうし、ただ満州の成功に酔った根拠なきうぬぼれだろう。)
 それは、事件を決定的に戦争に拡大させる。

 当時の日本の認識としてはたぶん、――

 満州では歓迎されたという意識が頭にあり、
 進軍して行く先では、住民が旗を振って迎えてくれたし(日本も敗戦のときやった^^;)、
 漢人はろくにまとまれない人間たちで、だから治安が悪いのだと思い、
 一般民衆への共産ゲリラの侵入とその世論工作のせいで、愛国とは共産党――ソ連につながるもの――の隠れ蓑だ、という意識があり、
 漢人の軍隊は、日本軍より大軍なのに弱いし、将や兵の腐敗や犯罪も多いし、食い詰め者が軍閥に入っているだけだ、と見ていたり、

 よって、
 中国人の愛国心というのをろくに信じていなかった、と。
 日本は基本的には中国のためになるように戦っているのだ、と。

 一方、
 北京を陥れて、上海を戦場にすると、中国人の意識も変わり戦意が高まる。
 上海では、それまでの気分では信じられない犠牲を出す。
 そして、上海以後の追撃戦では、兵はそのショックもあって気が立ってしまっている。
 住民の中にもゲリラに加わる者も増えていただろう。

 これに、多分、
 逃げる国民党の大軍が略奪もしたろうし、共産党がゲリラ挑発をして日本を憎ませるようにしただろうし、ゲリラに手を焼いていてしかも急いでいて気が立っていて食料挑発をしていた日本軍は、それに乗りやすくはあっただろう。  
▼1 そして、国民党の清野作戦というのは、人間も残さないということだったので、残っている中国人は怪しいと言うことにもなる。
 それらはみなありそうな―――ありそうな状況というだけだが。

(このとき、イカレタ命令を出した師団長がいたという。
 そういう本があって、それについての抜書きが→これ
 で書評が → こちら www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784505474/249-3970674-5273130
 一方、国民党は嘘でもなんでも、日本の残虐さのせいにしようと宣伝していた。 )

 ------------------

 バカ

 華北占領まではともかく、始めたら決着をつけるまで終われないのは、ただの暴力バカである。そのように誘導されたにしろ、誘導に乗らざるを得なくなるのは、他国を管理できる力がないからだ。
 管理できると思ったのは、日本の下で経済が発展すれば人は付いてくると思ったのか、
  
▼2 しかし、国民党は蘆溝橋での衝突からの延長のつもりで上海事変をしかけた。
 日本はそこまで戦争にしたくなかったから、相手の戦力増強に対して我慢していたら、しかけられた。
 そのせいで戦闘の犠牲は大きかった。話してもわからないという気持ちがあるだろう。
 あとは向きになって、追いかけたが事態は悪くなる一方。

 これが、相手のルールだと思いこんでしまうのがバカである。
 こういうのを生兵法という。
 
 日本は島国で豊かな自然で、環境=ルールを大きく作ることを知らない。
 歴史が浅かったからということか?

-------------------

 歴史観
 
 紹介したサイトと、補足したこういった見方を加えても、当時の思考の枠を理解できているとは思わない。
 結局は、見ようとする姿に合わせてしか見えない。当時も後の時代も。
 それでも、それ以前に全体を見ようとしておくべきことはあるだろう。

 たとえば、現代の日本人の意識を考えるには、やつぱり「少子化」とともに見えないと、総合的な姿を捕まえれていないだろうな。


    中国/歴史








最終更新日  2005年07月01日 21時34分31秒
コメント(0) | コメントを書く
[世界と政治] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール


素ー

お気に入りブログ

クリアーの鳥 如月の弥さん
アートStep 水彩画&… 卯月はじめさん
かりん御殿 かりん御殿さん
くさむしり ネコのケツさん

コメント新着

 さくら・Y@ Re:こんにちは 読んで頂ありがとうございます。素一さん…
 sakuma  masao @ 9/12発信毎日新聞委員会「大きな声では云えないが、天皇に定年を」拝見 本文とタイトルの毎日新聞記事読んだ。 …
 素ー@ おやおや、それはそれは SERA10さん >素ーさん >>SERA10さ…

カテゴリ


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.