スクランド日記

2007/04/20(金)23:55

慰安婦個人資料年表 2

世界と政治(103)

1937強姦と反乱 1938 6 27 北支方面軍参謀よりの通牒 強姦は住民の一斉蜂起を招くのを常とする。 紅槍会(もともと農民の自衛部隊)の習性参照(1937 10 6配布)、と。 ( 政府資料 25 33 61/349 ) 個人サイト  1938年 慰安婦大募集 実質は1937末に軍はその方に動いていた。      陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料 歌山県知事から内務省警保局長に宛てた1938年2月7日付の「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」と題した報告書である(前掲史料5)。   1938年1月6日和歌山県田辺警察署は、・・、婦女誘拐の容疑ありとして任意同行を求めた。3人のうち2人は大阪市の貸席業者(売春宿経営者)で、もう1人は地元海南市の紹介業者(=女衒)であった。   彼等は自分たちは「疑ハシキモノニ非ス、軍部ノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来タリタルモノニシテ、三千名ノ要求ニ対シ、七十名ハ昭和十三年一月三日陸軍御用船ニテ長崎港ヨリ憲兵護衛ノ上送致済ミナリ」ととなえ、文里港の料理店萬亭に登楼して、そこの酌婦に上海行きを勧めた。3人が「無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点、軍隊ノミヲ相手ニ慰問シ、食料ハ軍ヨリ支給スル等」と、常識では考えられないことをあげて、上海行きの勧誘をしているとの情報をつかんだ田辺警察暑は、婦女誘拐の疑いが濃厚と判断して3人の身柄を拘束し、取り調べたのである。  取り調べにたいして、大阪の貸席業主金澤某は、次のように自供した。   1937年の秋頃に・・・、徳久少佐なる人物の仲介で荒木貞夫陸軍大将・・と頭山満・・に会い、上海の皇軍の風紀・衛生上、年内に内地から3000人の娼婦を送ることになったとの話を、2人の貸席業主・・が藤村から聞き込んだ。そこで、渡航娼婦を募集するために和歌山に来訪し、地元の紹介業者の協力を得て、募集活動にあたっているところである。   すでに藤村と小西は女性70名を上海に送り、その際大阪九条警察署と長崎県外事課からの便宜供与をうけた。 ・・     ここで提示されている条件を分かりやすく言えば、将校が慰安婦を買う料金が1回5円、下士官が2円、そして慰安婦は最高800円の前払金を一括して受け取るが、そのかわりに最低2年間は軍の指定する慰安所で売春に従事するよう拘束されるということである。   事情を聞いて不審に思った田辺警察はことの真偽を確かめるため、・・  長崎からは、・・、上海総領事館警察の依頼に基づくものであり、長崎県警としては、・・上海行きを許可しているとの回答が寄せられた。   この時点では、内務省は前にふれた史料8ー2「支那渡航ノ婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年2月23 日)を各道府県警察に通達しておらず・・・、軍及び総領事館からの前もっての依頼がなければ、長崎県警が女性の渡航を許可したかどうかは大いに疑問である。 ・・  吉見編『従軍慰安婦関係資料集』101ページには、1937年11月30日付で海軍慰安所酌婦二人に上海への渡航許可を与えた旨の福岡県知事の報告が収録されているが -- 九条警察署が「酌婦公募証明」を出したので、・・、1月10日に3人の身柄を釈放したのであった。 --  大阪、兵庫両警察は・・( 営業許可をもたない業者による周旋・仲介である点)には目をつむり、集められた女性の渡航を許可した。上海に送られた女性の人数は正確にはわからないが、関西方面では最低500人を集める計画であり、1938年1月初めの時点で、大阪から70人、神戸からは220人ほどが送られたと推測される。 -- この年齢条件の一点をのぞいては、趣意書の文面といい、契約条件の内容といい、公娼制度の現実を前提にし、さらに軍の慰安所が実在し、公認されうるものと仮定するかぎりでは、当時の感覚からはとりたてて「違法」あるいは「非道」とは言い難い内容の募集活動であったといわざるをえない。 -- 4.高知県知事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」(1938年1月25日付) 5.和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」 (1938年2月7日付)* -- ---------- 内務省警保局長発各庁府県長官宛「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(右の8-2と同じもの)(1938年2月23日付) 陸軍省副官発北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛「軍慰安所従業婦募集二関スル件」(1938年3月4日付)(いずれも吉見編『従軍慰安婦資料集成』所収)   Aには「醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ヲ発給スルトキハ(中略)婦女売買又ハ略取誘拐等ノ事実ナキ様特ニ留意スルコト」なる一項が含まれ 陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料 ・・   しかも下記契約書では、所得の半分は強制的に貯金・・、途中で病気休養しても2年たてば前借金がなくなる・・食料だけでなく衣類や医薬費も抱主負担としている点で、通常の契約よりは有利なのかもしれない。 稼高の一割が本人所得になるのは、だいたい当時の相場ではないかと思われる。  問題なのは年齢条項であり、十六才から三十才という条件は、娼妓取締規則が定める「十八歳未満は娼妓たることを得ず」に完全に違反している。 契約書と金員借用証書 (群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月19日付))          契約書・・・・  戦前の公娼制度のもとでは、・・・本人及び戸主(親権者)の同意を示す承諾書(第二号)と・・とともにを提出して、警察の許可を受ける。・・  しかし、陸軍慰安所は日本の国内に設置されたのではないので、この場合、営業許可願いを提出すべきもより警察は、上海の領事館警察となる。 ・・中国在住の日本人(含む朝鮮人・台湾人)の風俗営業に対する行政は、主要な都市に設置された領事館の仕事であった。    慰安婦まとめページ 参考文献 ネット上のものは、URLかリンクしたが、あとは、吉見氏の「従軍慰安婦」「従軍慰安婦資料集」、泰氏の「慰安婦と戦場の性」、尹氏の「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」による。

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