スクランド日記

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2007年04月21日
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テーマ:戦争反対(1070)
カテゴリ:世界と政治
要約
 背景
 公証制度とは、人身売買や未成年娼婦を防ぎ、娼婦がもたらす性病を防ぐために、娼婦を一般の職業と同じに認め、登録をし、定期検査などを義務づけるもの。
 戦前には、これが借金による身売りを合法化するものとして、国際的にも問題化し、昭和時代から廃止の方向にありつつも、当時から性病罹患率は高く、防止の方法について一致しないままに、中国などの戦線が拡大。 公娼廃止はかき消された。

 その数だが、慰安婦を別として、日本・朝鮮共に1930年頃に4、5000人程度。日本は少横ばいだが、朝鮮では増えていき1930年代末に1万人に近くなる。このほかに、1920年代に年間3万人の私娼が朝鮮で売り買いされ、1920年代半ばには外地に売られたのが5000人/年、8割が騙されてだという。
 1930年に中国の朝鮮人娼婦の中で圧倒的に多いのが、上海の千人以上の私娼で、現地の日本人娼婦を5割ほど上回っている。
 海外の日本人娼婦は、1935年に13,000人ほどいた(内、満州が1万人)。満州国成立とその経済発展とつながって、日本人娼婦以外も多かっただろう。

 上海では、中華民国は売春禁止だった。これは、中国が文化的に強姦だけは稀な!土地であったことによる。 しかし、上海の半分以上を占める租界では、欧州の国が公娼制を敷き、中国中の私娼が集まってきた。 これも宣教師の世論に押され、蒋介石は1929年上海租界での公娼廃止を打ち出す。 日本も協力する姿勢を示して、料理店とか酌婦とかいう形の公娼制をとっていた。 実際、上海の公娼が廃止されても、私娼が増えただけだったという。 上海で最もはやる仕事の一つは、性病の専門医だったという。


 犯罪と管理
 1930年代の朝鮮での女性誘拐のいくつかが新聞記事として残っている。なかには、中国へ売ろうとした例がある。
 1936年には、長崎の女性・少女等をだまして上海の慰安所で慰安婦をさせた例が有罪になっている。
 この例では、1932年頃から、海軍相手の売春業者をしており、海軍指定の慰安所を計画して連れてきたらしい。 女性等は、軍人に訴えるというのでなく、逃げ出す旅費がないのでしかたなく慰安婦をしたという。・・当時の常識感覚というものは、今とちがうと思わせられる。

 1937年の中国でのこの業種の監督は、領事館が許可し・登録し・移動などは領事館に連絡することの他は、その土地土地でさまざまだったらしい。


 転機
 上海事変から南京までの戦闘が終わって、強姦が多く発生していた。
 1937-10月の軍の参謀資料には、中国での強姦は、農民の自警団体の決死の蜂起を招く、とある。 どうやら異文化衝突らしい。
 1937末、急ぎ慰安所・慰安婦を大量調達しようと、軍は領事館と相談の上、業者に日本を回らせたが、これが国内警察に何の連絡もせず、1938初め、警察が業者を調べるといろいろ国内法の常識に外れたことを言うので、軍と連絡がついてもなかなか信用されなかったらしい。

 三月に、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」 という指令が陸軍省から中国派遣軍に出される。
 ( 軍慰安所従業婦等募集に関する件 参照

 この後、軍が募集するのに、親権者に近い者の許可を取る、一人あたり千円の支度金を出す、それは軍の予算から、また娼婦経験者で21歳(当時は数えなので、満20歳)以上を条件とする、などが内務省から決められた。(千円の出典は忘れたが、アジア女性基金かも)

 このとき、軍との関係を示すようなことを言う業者を取り締まれとある。
 (支那渡航婦女の取り扱いに関する件 1938-2-23)
 出征兵士の留守家族にとって、(たぶん慰安婦を兵士が必要としているというのは、)家族に悪影響を与え、社会不安になりかねない、と。

 この後、南京・上海では、外務省・海陸軍が会議して、取り締まりの分担を決め、また、兵站部指導の民間経営の特殊慰安所を設置するという話になる。

 この経営がどこまで民間なのか判らないとよくいわれる。 慰安婦をさがして契約するのは民間。 しかし、慰安料金と時間は軍が決めていた。 丸抱えともうるさい元請けとも取れるが、こういう元請け・下請け関係は今でも存在する。


 1938年の末頃、華南方面向けに再び募集があったときには、――3月の通牒の影響と思われるが――なにやら、‘極秘にすればいいだろうから各県で業者を選定してくれないか’、という文書案があるらしい。 
( この文書では、各県ごとに人数の割り当てがあるが、これは各部隊 (各地方ごとに編成されていた) の地元の人間が好ましい、ということだと思う。 人口比例の観点と、当時は方言もきつかった時代だ。 )

(陸軍省から発せられた‘へんな噂の種になるな’という通牒は命令なので、失敗するわけにはいかない。しかし、中国にいる軍に急な大量募集の監督はできっこない。だから、内地の警察に頼んで目立たぬようにやるのが、偽者を排除するのにも最善ということになる。
 頼まれた方も、命令した以上、引き受けるしかない。
 これに内務省は応えたらしく、現在、警察と軍がぐるになっていた、などと非難材料に使われている。) 


 その後。
 1938年初期に上海に置かれた慰安所では、朝鮮人が多く、日本人は少数派で、前者は若く素人に見える者も多く、日本人は数年以上のベテランで、中にはかなりの性病跡のある者がいたという。
 この軍医は4年間いたが、当時には朝鮮女性が騙されて来たなんて知らなかった、としている。

 上海の軍医の集まりで、まともな質の慰安婦を求めたのが、朝鮮の少女が騙されて連れ出されるきっかけともいうが、ほんとのことは不明だろう。 朝鮮の募集においては、悪い下請け業者が多かったということも知られている(韓国系の調査で)


 1939年、部隊単位でかってに慰安所を計画して、内地の行政と領事館とで、困ったこととしつつも追認したことがある。軍は恐縮して?、慰安婦の監督は領事館の下でやってくれと言ったそうだ。


 太平洋戦争の始まりと共に、東南アジア方面に向かう慰安婦について、外務大臣が、パスポートを出すことがおもしろくないから、軍の身分証明で軍船で運んでくれと連絡したという。(アジア女性基金のまとめから)
( おそらく、からゆきさんが国際的に非難された経験から、未成年者が好ましいとされていた慰安婦を軍が集めるなんて、隠したかったのだろう。 )
 これでは慰安婦が軍属にされることになる。
 それが実行されたかというと、―――慰安婦が辞めるとき、不良在留と同じで根本的な問題が生じるので困る、というやり取りの後、やり取りと渡航の資料が見つからない。
 この場合、軍船で移動することが要点なら、パスポートは発行されている可能性はある。
 軍属にかってに入れられてしまうと、どんどん現場の軍のいいなりに出来る解釈になっていく所も出そうだが・・。
   (思うに、一兵士5分、などという味気ない営業内容では、かえってイメージ荒廃を招いて、強姦が減らなかったのでは?と思ったりする。むしろ、エロ映画の好作品の方がよかったのではと思う。)


 昭和18年のマレー軍の規定では、
(ここは、現地人に気を遣ったことを書いている)
経営者は邦人に限定だが、慰安婦はできるだけ現地人にする。
特殊慰安施設(慰安所)の種類は、軍専用・軍中心利用・その他の3種。
師団長レベル以上によって決め、地方長官が、施設や慰安婦の営業・場所移動などを許可し 監督する。
慰安婦の所得のうち、強制貯金(3%)をした残りを、雇い主と分け合う。
半年経ったら、廃業してもいいが違約金はいる。その金額は地方長官の了解によってきめる。 ---この二行は、当時の契約基準からして束縛よりも保護の傾向なんだろうと見える。
http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_3.pdf  22頁



   慰安婦まとめページ

参考文献
ネット上のものは、URLかリンクしたが、あとは、吉見氏の「従軍慰安婦」「従軍慰安婦資料集」、泰氏の「慰安婦と戦場の性」、尹氏の「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」による。









最終更新日  2007年04月21日 01時09分43秒
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