藤原宮・地鎮祭遺構の発見
今日の朝刊に「藤原宮・地鎮祭遺構の発見」「女帝が願った永遠の繁栄」の見出しが! 学校で習った知識では、天智天皇(中大兄皇子)の娘で、天智の弟天武天皇(大海人皇子)の妻となった持統天皇。(この辺りの人間関係には異説も多くあるようですが・・・) その持統天皇が、夫・天武と子の草壁皇子に先立たれ、自ら即位し夫・天武が計画した藤原京を造営し、694年(オウムが鳴く平安京遷都のちょうど100年前)に遷都したとのこと。 都が置かれた期間が16年程と短かったせいか、考古学的発見がまだ新しくて少ないせいか、私らの年代では、都(京)と言えば平城京に平安京・・・。 694年遷都(完成)に先立つ692年、「日本書紀」に地鎮祭の記録が残されてるとか。 国を挙げて造営した藤原京が、わずか16年程で平城京に遷都されるっちゅうのは、素人ながら学校では習わない何か大きな理由が有ったのでは、と疑ってしまいます。 しかも、平城京遷都完了の翌年に「焼失」の記録も有るそうな。 益々怪しい? 古代特有の吉凶占いによるモノなのか、後の藤原氏の基礎を揺るぎないモノにした藤原不比等の台頭との関係は・・・。 これは、今夜も眠れない?(かも!)