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私の母は沖縄出身です。
勿論、沖縄にいる親族を「おじぃ、おばぁ、ねぇねぇ、にぃにぃ」 と私達は呼びます。 おばぁは、目が見えなくて耳も聞こえないけど とても優しく私の兄弟は私も含め、赤ちゃんのころはあやしてもらいました。 今日はよく母から聞かされた事実を書こうかと思います。 母は8人兄弟でしたが、今は6人兄弟です。 二人、戦争のときに命を落としたそうです。 一人目、兄の方はカニを追いかけて防空壕から出てしまい 射殺されたそうです。日本軍に。 その頃、一番上のおねえさんは4歳、そして3歳の姉、2歳の兄がいたそうです。 防空壕ってぎゅうぎゅう詰めで沢山の人がいるでしょう。 だから子供の泣き声で米軍に見つかり爆弾を投げ込まれることがあったそうです。 そこで日本軍から命令がきました。 「4歳以下の子供に毒を混ぜたミルクをのませるように」 一番上の姉は5歳と偽り免れたそうです。 でも3歳の姉は・・・・。 4歳以下の子供達は、おいしそうに皆ミルクを飲んだそうです。 でも・・・当然のようにやってきた、苦しむ我が子の姿。 こんなに苦しんで死ぬのはかわいそうと、おじぃは泣きながら 自分の子供の首を自らの手で締めたそうです。 想像できますか?自分の家族ですよ。 私達には想像できないほどの苦しみをおじぃとおばぁは受けました。 きっと、他のご家族の親はみんな・・・。 どちらにしても日本軍の仕業でした。 味方なのに・・・。 他には、いとこの骨がサイパンに眠っていると聞きます。 戦争は絶対起きちゃいけないんだ。 私は少しでも多くの人が意識して平和である世の中でありますようにと 授業中生徒に語ったこともある。 騒がしかった教室が一気にやみ、皆聞き入り涙を流す子もいました。 辛いことでも、伝えていくことがとても大切な世の中です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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