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 エデンの南

マラガ到着

1997年10月25日(土)

 飛行機は結構すいていて、ラッキーな事に、私の席の隣は二つとも空いていたので、いつものように窮屈な思いもせず、よく寝られた。その上、スチュワーデスさん達が目の前にいたので、彼女たちのスペイン語も聞くことができた。イベリア航空なので、スチュワーデスの大半はスペイン人である。しかし、あまりツいていると後で恐ろしい事が起こるというのは本当だ。飛行機が遅れてしまったのだ。もともとマドリッド→マラガ行きの乗り換え時間が一時間しかなかったので、結構忙しいとは思っていたのだが、飛行機が遅れてしまったのだから大変だ。私の席は後ろの方だったので、急いで行くこともできず、税関でも日本人団体がおおぜい前に並んでしまい、かなりあせった。税関を出てすぐに、日本人団体の添乗員らしき人に、マラガ行きの飛行機に乗るには、どこに行けばいいかを聞いた。マドリッド・バラハス空港は、広くて本当にわかりにくい。
「ここから十分ぐらい歩かなければならない。」
と言われ、頭はパニック状態になった。私は汗だくになりながら、走りに走った。乗り場に着いた時には「間に合った」と思ったのだが、人が誰もいなくて通れず、飛行機に乗れない。どうなっているんだ?ここは。人を探しに行ったが、客が何人かいるだけで、従業員らしき人を見かけない。画面のマラガ行きが点滅している。飛行機が出てしまう。とうとう飛行機に乗り遅れてしまった。何て事だ! こんな事ってあるんだろうか? お金も両替していないので、電話もかけられない。何がどこにあるんだか? どうしたらいいかわからない。頭は完全にパニックになり、私は泣きながら走っていた。時間は夜中の0時をまわっていた。
「ケ パサ? (どうしたんだ?) 」
若い男の人が声をかけてきた。マラガ行きに乗り遅れた事を言うと、その人は、
「そこが出口だから、ホテルに泊まるといい。」
と言っただけで、行ってしまった。冷たい。マラガの学校からも出迎えが来る予定なのでそっちの方も心配だ。スーツケースもマラガに行っている。夜遅いせいか、異常に人が少ない。さんざん焦りながらうろうろし、どうにか従業員らしき人を見つけ、辞書を見ながら、飛行機が遅れたせいで、次の便に乗れなかった事を説明した。その人は、
「そこを少し行ったところにイベリアがあるから、そこに言うといい。」
と教えてくれた。少し冷静になり、イベリアの人に同じように説明すると、この日はイベリア系のホテルである『ホテル・バラハス』に泊まり、券は、次の日の朝の便に変更という事になった。悪いのはイベリアだから、ホテル代などは全てタダである。そして、荷物がマラガに行っている事と、学校の電話番号を見せ、空港に迎えが行っている事をどうにか伝えた。イベリアのおじさんは、学校に連絡をとってくれ、荷物も大丈夫なようにしてくれ、まあ一安心。だが、時間はすでに飛行機がマラガに到着する時刻になりつつあったので、迎えには出てしまったかもしれない。悪い事をしてしまったが、早く連絡する事ができなかったので仕方がない。長年夢に見てきたスペインにやっと着いたと思ったらこんな事になって、本当に悲しい気持ちだった。外に出て、『ホテル・バラハス行き』の小さいバスに乗るように支持されたのだが、いっこうに来る気配はない。何度か「来ない」と言いに行った。それでも来ない。別の小バスが
「ホテルバラハスに行くのか?」
と聞くので、「そうだ」と言うと、正しい乗り場まで連れて行ってくれた。そこにはもう一人、バスを待っている人がいて、
「もう一時間も待っている。」
と言っていた。ホテルまでは、バスで五分ぐらいだそうだ。なにをやってるんだか? バスを待っている間のどが乾いたので、機内でもらったワインを飲んでいたのだが、全部飲んでしまった。ようやくバスが来てホテルに着いた時には、午前一時半をまわっていた。ホテルでは、ほとんど寝られなかった。


1997年10月26日(日)

 六時半にモーニングコールだと言っているのにまったくかかってこない。昨日のバスの事もあったので、どうせいいかげんなんだろう、と思った。七時半のバスで空港に行って八時半の便に乗る事になっていたが、バスもちょっと信用できないし、また乗り遅れたらと思うと不安になり、フロントに、バスの時間を少し早くしてほしいと言いに行った。その時初めて、今日から時差が変わっていた事がわかり、びっくり。六時半だと思っていたのは五時半だったわけで、どうりでモーニングコールが来ないわけだ。そして、朝食がついている事もわかった。朝食はビュッフェスタイルで、生ハムもタップリ。トルティージャ (スペイン風オムレツ) がおいしかった! せまい寮に泊まるはずが、ホテルに泊まれておいしい朝食もついたので、結局は得した事になる。自分に非がない時は、とにかくあわてないで落ち着いて対処するべきだ、と反省した。
 バスは、時間になっても、人がある程度乗って来るまで出発しなかったので、早めにしてもらったのは正解だった。バス降り場から飛行機の乗り場まで、かなり歩いた。この空港はなるべく使いたくないなぁ。
 朝日がきれいだったので、写真を撮った。午前七時五十七分。朝日はこのくらいの時間に出る。もうひとつ得したのは、飛行機からの景色も、マラガの景色も、良く見えてきれいだったことだ。夜着いてしまっては何も見えなかっただろう。とにかく、「アンダルシアにとうとう来たんだ。」と、私は胸がいっぱいになった。
 学校からはホルヘという人が迎えに来ていた。笑いながらだったが、
「昨日もここで待っていたよ。」
と言った。私は「ペルドン (ごめんなさい) 」と謝るしかできなかった。
「本当に申し訳ない事をしました。連絡を早くとろうと努力したがムリでした。すみませんでした。」
ぐらいは言いたかったのだが、そんなスペイン語力は、まだ私にはなかった。
 車の中でホルヘは、「少し日本語がわかる」と言ったので、私は、
「何か話してみて下さい。」
と言った。きっと「アリガト、サヨナラ」などと言ってくるだろう、と予想したのだが、
「マラガでは、スペイン語で話し、スペイン語で考える事が大切だ。」
とか何とか言って、日本語は一つもしゃべってくれなかった。何なんだ? 本当に日本語知ってるのかよ? と疑ってしまったが、多分知らないんだろう。それとも知っていた単語を急に忘れてしまったのか? よくわからん人だ。
 余談だが、後の話になるが、私は、この人はてっきりマラカ・インスティトゥートの先生だと思っていたのだが、ある日、作業服を着て、外の階段の塗装をしている人を見てビックリ。ホルヘではないか? この人はどうも床塗りをしたり、掃除をしたりする、この学校の雑用係というか、使用人というか、そういう人らしい。
「マラガでは、スペイン語で話し、スペイン語で考える事が大切だ。」などとえらそうに先生のように言っていたのを思い出し、おかしくなってしまった。
 フロントで鍵を渡され、五階の私の部屋へ。せまいけど、白い可愛い部屋である。部屋からの景色も結構いい。この日は日曜日でする事もなく、まずは学校を出て少し下に降りたところにある、ショッピングセンターに行ってみたが、日曜日のせいで、どこも閉まっている。お昼を買って食べようと思ったのに買えなかった。それにしても暑い。十月二十六日だというのに、真夏と変わらない。半袖Tシャツもサングラスも持って来なかった事を後悔した。それでも明日には買えるだろう、と考えていた。
 学校から十分ぐらい歩いたところにある海岸まで行ってみると、水着を着て泳いでいる人達が結構いてビックリ。この時期に泳げるとは思わなかった。
 しかし、念願の海に来て、写真を撮ったりしているのに、何か孤独を感じた。私が長年夢見ていたスペインとは何かが違う。マラガに着いた時は確かに感動したのだけど。
 ここに来て、まずイヤだと思ったのは、ゴミがたくさん落ちているのと、車の通りがものすごく激しくて怖いこと。そして私がいちばん期待していたのは、陽気で気さくな親切な人たちだ。そんな人にはまだ一人もお目にかかっていない。ここは本当にスペインなのか? 外国人が多くてみだれているのか?
 おなかはすいているが、着いたばかりで一人でバルに行くのが怖かった。それでも勇気を出して近くのバルに入った。すでに午後四時半になっていた。この時間のせいか、客が一人も居なくて不安だった。私は、『ポジョ・アル・チリンドロン (鶏肉のチリンドロンソース煮) 』と、トマトとピーマンのサラダの小皿と水を頼んだ。パンは自動的についてくる。バルのおばさんがお皿を運びながら話しかけてきた。彼女は私が日本人だと判ると
「日本人は感じが良いから好きだ。」
と言ってくれた。好意的だ。いつからスペインに来ているのかを聞かれたので、「昨日着いたばかり」だと言うと、彼女はビックリして私のスペイン語を褒めてくれた。NHKラジオのスペイン語講座を (初めのうちは) きちんとやって、スペイン語テープをさんざん流した効果があったのか? 途中で店に電話がかかってきたので、おばさんは電話のところに行ってしまった。その間に食べ終わり、会計は四七五ペセタ。安い! (ちなみに旅行中の為替相場は百ペセタ八十三~八十八円ぐらい。) もう一人のおばさんに、五百ペセタ渡し、あとはチップにしようとしたら、おばさんはいらないと首を振り、きちんととおつりをくれながら、ニコッと、とても感じのいい笑顔を返してくれた。今回初めてスペイン人らしい人達に出会えてうれしかった。
 再び海に行ってみたら今度は釣りをしていた。

 夜九時に学校の新入生歓迎会があった。私はまずテラスに行き、適当な所に座った。当然、偶然その辺に座った人達と話をするようになり、どこの出身か? とか、そんな感じで話は始まった。ゆっくりのスペイン語で話してるときはいいのだが、予想はしていたが、皆、英語でペラペラしゃべるもんだからさっぱり分からず、みじめな思いをした。
 その後、学校でも街でも、何度も同じ気持ちを味わう事になる。
 もう一人日本人がいたので少しホッとした。名前は、みちこさん。年はだいたい私と同じ年代だったのでうれしかった。彼女は英語ができるらしい。スペイン語はまったく分からないまま来てしまったそうだ。
 かなり待たされた後、院長のイダや、その他の先生たちが登場。イダはすごく背の高い女性で貫禄がある。イダの話はテンポが良く、ユーモアもあって楽しい。学校のシステムや課外活動の事などを、イダと課外活動担当のダゴとアブデルがユーモアをまじえながら説明した。ダゴは顔は濃い系でスタイルがバツグン。アブデルは小柄で人が良さそうだ。
 イダのゆっくりのスペイン語の後、アブデルがゆっくりの英語で説明してくれたので、わかりやすかった。この間まずいサングリアを二杯飲んだ。
 説明が終わってからまた雑談になり、この時にもう一人の日本人、ゆりに会った。
 ちょっと退屈だったので、寮に戻りたかったのだが、タイミングをはずし、しばらく居てしまった。次の日はクラス分けテストと市内観光だ。


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