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 エデンの南

退屈な寮生活

1997年10月27日(月)

 朝、学校のレストランでボカディジョ (スペインのサンドイッチ) とカフェ・コン・レチェ (カフェオレのこと) を頼み、テラスで食べていると、オランダ人だというおじさんが座ってきた。名前はピエール。ちょっとわかりずらいが、ゆっくりのスペイン語で話をした。途中からドイツ人の渋いおじさんも加わり、一緒に話をした。おじさん達とはゆっくり話ができるし、日本人のおじさんと違ってたいてい感じも良いので結構私は好きだ。
 朝食の後レベル分けテストをやり、その後、市内観光に出発した。約一時間半という短い時間のせいもあって、ほとんどがガイドをしながらバスで廻るだけという、大した事のないツアーだった。ピカソの家も、どれだか分からなかった。 (マラガにはピカソの生家があるのだ! ) このツアー中に、みちこさんと、ゆりと、いろいろ話をした。
 みちこさんはインテリアコーディネーターをしているそうだ。カッコイイ! 彼女は私と同じく四週間この学校で勉強するという事だ。私は、前半二週間を寮、後半二週間をホームステイにしたのだが、彼女も寮に滞在しているし、年代も同じぐらいということもあって、結構話が合った。
 ゆりは、小さい頃に、親の仕事の都合で、南米のコロンビアに二年だったか住んでいた事があり、その頃は英語の学校に通っていたので、スペイン語はあまり覚えていなかったのだそうだ。彼女は仕事で秘書をやっていたのだが、この留学の為に仕事をやめて、彼女の場合長い留学なので、年金も止めてきたそうだ。勇気があると思う。彼女は英語はペラペラだし、スペイン語もかなり話せるのに、本当にがんばって勉強しており、熱意が感じられた。頭が良くて博識なので、話をしてても楽しかった。彼女は今も頑張ってマラガで勉強している。
 スペインに来るという事は皆どこか似ているのか、日本人の人達とは結構話が合い、楽しかった。きっとこれからも付き合っていける、いい友達ができた事は、本当に幸福な事だったと思う。ただ、日本人同志で固まってしまうのを、ちょっと心配したのだが、その心配通りになってしまった。とは言っても、他の国の人たちも、同じ国同志で固まっていたので、必然的にそうなるのはしかたがなかっただろう。
 このツアー中、バスで近くに座った親切なドイツ人夫婦と友達になった。私の名前『アツコ』は、外国人にとってはかなり言いにくく、覚えにくい名前のようなのだが、彼 (夫の方) ロバートはいっぺんで覚えてくれて、二度目に会った時、私の方は彼の名前を忘れてしまっていたのに、
「オラ! (スペイン語の挨拶で、ハロー! みたいなもの。) アツコ」
と、挨拶してくれ、うれしかった。
 ツアーから戻ると、クラス分けの発表となった。私は思ったよりテストができたらしく一つ上のクラスに入ることができた。会話の勉強もやった事がないのに、大丈夫かなぁ? きちんと初めからやった方がいいのではないか? と不安になったが、早速授業が開始されると、先生の言っている事がほとんど解ったので、少し安心した。しかし、これは初めの授業だからわかりやすかったのだという事を、後で思い知らされる事になるのだった。
 私のクラスには、もう一人日本人がいた。名前は、すみよちゃん。彼女は二週間前から来ており、三週目に入っている。彼女も
「前のクラスには日本人がいなかったから、今度は良かった。」
と言っていたし、私にとっても、同じクラスに日本人がいる、というのは、かなり心強いので、ラッキー! と思った。そして、朝友達になったおじさん、ピエールも同じクラスだった。彼は私のスペイン語を褒めてくれていて、「少し上のクラスになるよ。」と、予言していたのだ。私のクラスは、私達日本人、ノルウェイ人、オランダ人が二人づつ、あとはスイス人、ドイツ人、デンマーク人の計9人である。学校全体ではドイツ人が多い。
 授業終了後、すみよちゃん、ゆりと、食事に行く事になった。私はシティバンクに行きたかったし、二人もセントロ (中心街) に行きたい、という事で、セントロで食事する事になった。セントロまでは、バスで十分ぐらいである。
 三人とも様子がわからないので、とりあえず、スペインの有名なデパート、エルコルテイングレスのレストランに入った。食事はビュッフェスタイルで、パエリアなどもあり、すご~くおいしかった♥ おなかいっぱい食べてビールも飲んで満足して、会計のレシートを見てびっくり。一人二千七百ペセタだった。日本で考えれば安いのかもしれないが、私達留学生旅行者にお昼代二千七百ペセタは結構いたい。それでもまあおいしかったし、エルコルテは高いという事がわかったので、まあいいや、と思う事にした。
 私はTシャツとサングラスを買うつもりだったのだが、サングラスは気に入ったのがなかったし、Tシャツもあまり売ってなくて、この日は買えなかった。不便だ。そして私が思ったのは、四年半前にスペインに来た時は、知らない人同志でも「オラ! 」て挨拶したり、お店に入れば店員が話しかけてきたり、て感じだったのに、ここではそういうことが少なすぎる。日本人と日本語で話をし、お店の人とも話ができないのでは、せっかくスペインに来ているのに、スペイン漬けの生活ができないではないか。寮にはテレビもない。私は失望しながら、それでも部屋にこもっていては損だと思い、学校のレストランに夕食を食べに行ってみた。誰か来ているかもしれない、と思ったのだ。ところが知っている人は誰もいなく、一人さびしく、まずいトルティージャを食べながら、落ち込んだ気分になっていた。自分なりに前向きに行動してみてはいるのだが、うまくいかない。退屈でつまんなくて、こんな所に四週間いるのかと思うと、うんざりしてしまった。

 部屋で、学校でもらったスケジュール表を見てびっくり。ここに来る前から、モロッコツアーには必ず行こうと思っていたので、A・H・Pに日程を調べてもらっていたのだがずっと三十一日~二日だと聞いていた。私は初め、前半をホームステイにし、後半一人でゆっくりできるように、寮にしようと考えていたのだが、会話が少し出来るようになってからのホームステイの方がいいのではないかと思ったのと、食事のつかない寮にいる間にモロッコツアーを入れたいと思ったから、逆にしたのだった。二泊三日分ステイの食事がつかないというのは損である。食事代が戻るのなら別だが、そういう事はない。ところがモロッコツアーの日程が十四日~十六日になっているではないか。


1997年10月28日(火)

 私は事前にA・H・Pに頼み、モロッコツアーを申し込みたいという事と、フラメンコギターを習えるのなら習いたいという事を言っていて、「可能だが、現地で調節しましょう」という返事をもらっていた。私はスペイン語も英語もあまりできないので不安だから行く前にいろいろ頼んで聞いてもらっていたのだが、どうもここでは、もう一度自分から申し込まなくてはならないようだ。私はフラメンコギターの事を、課外活動担当のダゴに話した。ところがムリだと言われてしまい、「でもA・H・Pは…」と言っても伝わらず私もきちんと説明できないし、向こうはムリの一点張り「そんなあ」という気分だった。
 ギターの練習用に、『ギタレレ』という小さいギターまでわざわざ買って持って来たのに。納得いかないので、A・H・Pにファックスを送った。「モロッコツアーの日程の変更はしかたがないにしても、フラメンコギターレッスンは何とかならないか?」そして、「ステイ先がまだ決まってないようなのだが、どうなっているのか?」という内容のごく短いものだったのだが、ファックス代に千四百ペセタもとられ、びっくり。
 それにここでは、私がたどたどしいスペイン語で話していると、誰もが
「ドゥー ユー スピーク イングリッシュ?」
と聞いてくる。それにもんざりしていた。スペイン語も英語もできない私などは、こんな所に来るなと言われている感じだ。とにかく暗くなる事ばかりである。

 この日の夜、学校のフィエスタ (パーティー) があり、出席した。行くと、ゆりが先に来ていたので、近くに座った。回りには、フランス人やドイツ人の人達と、ティナというフレンドリーな感じの女の子がいた。皆、上の方のクラスの人達ばかりのようで、スペイン語がすごくうまい。フランス同志でも、スペイン語をしゃべっているので、エライ! と思った。私たち日本人同志だと、日本語オンリーである。ゆりのスペイン語がすごくわかりやすく、勉強にもなり、通訳もしてもらったので、結構楽しく過ごせた。隣に座っていたドイツ人青年に、
「私はヘルマン・ヘッセが好きなのですよ。」
などと言ってみたら、ヘッセが日本語に翻訳され、多くの日本人に読まれている、というのを驚いていた。この人はヘッセを読んだ事がないそうだ。フランス人の女の子は、ナスターシャ・キンスキーに似た、きれいな人だった。いつもニコニコしていて感じが良い。フランス人でもこういう人がいるんだなぁ、と思った。フランス人と言えばツンツンしているイメージがある。きっと他国の言葉を勉強しようとしているぐらいの人だから、同じフランス人でも違うんだろう。
 この日のフィエスタ代は、千ペセタ。食事は「何だ、こりゃ?」というくらい、かたいステーキで、おいしくない。そして、タダだが相変わらずまずいサングリアが出た。
 マラガのバルやレストランは、ほとんどどこへ行っても酒も食事もすご~くおいしかったが、この学校のレストランだけは最悪だった。


1997年10月29日(水)

 授業が終わってからまた、すみよちゃん、ゆりとセントロに行った。今回は、私があらかじめ『地球の○○方』 (○○のところは、この本が情報が古く、当てにならない事も多い事から、友人がこうよんでいた。騙し、あるいは、迷い) で調べておいた『メソン・ラ・マンチェガ』という所でお昼を食べた。中から出て来たカマレロ (ボーイさん) はニコニコしてとても感じが良い。まず一皿目だが、私はスペインでガスパチョ (ニンニクなどの入った冷たいスープ) を飲んだ事がなかったので、飲んでみたかった。しかしこれは、だいたい夏にしかやってないので、ないだろうとは思ったが、いちおう聞いてみると「ある」という事なので、頼んでみた。しかしやはりこれは夏のあつ~い時に飲むのがいいようである。はっきり言ってまずかった。
 そして二皿目は、魚介類のフライのセットを頼んだら、これは最高においしかった♥
 そしてデザートは三人別々のものを頼み、私が以前から一度ためしに食べてみたいと思っていた、アロス・コン・レチェ (ミルク入りご飯という恐ろしいもの) を一人が頼んだので、それを食べる事ができた。シナモンが入っていて、意外にも結構おいしかった。赤ワインのボトルも頼み、ゆっくり食事ができ、一人千二百ペセタ。安いではないか。
 いい時間を過ごす事ができた。すみよちゃんや、ゆりとも、話が合い、楽しかった。三人ともエジプトに行ったことがあることが判り、その話で盛り上がった。
 帰りに寄ったスーパーで、私と同じく買い物をしていたおじさんと、少し話をした。聞くところによると、このおじさん、海岸にあるバルのカマレロをやっているという事で、そこは昨日だったか、みちこさんと一緒にお昼を食べた所だった。その時はこのおやじ、すごく感じ悪かったのだが… 何も言わずに皿をボンと置いていた。私は、
「そこなら行った事がある。」
と言うと、
「ああ、ボケロネス・フリトス (かたくち鰯のフライ) を頼んだ…」
と、思い出したようだ。あの時とはうって変わって感じが良く、「君と会えてうれしい」とか、「また店に来てほしい」などと言って、握手をして別れた。それが商売根性あっての事だとしても、私にとってはこういう時間が勉強にもなるし、楽しい時間である。レジのお姉さんも、私が二、三日前に来たので覚えててくれて、ニコッと微笑んだ。

 夜、学校で無料でやっている、フラメンコ教室に行ってみた。みちこさんが来ていると思ったら、忘れていたらしく、いなかったのでさびしかった。初日の歓迎会で会った人達がいたのだが、どうもこの人達は苦手だ。一回目を行きそびれたせいもあり、「何でこのコ、来たんだ?」と、ちょっとびっくりした目で見られた気がした。
 いきなり二回目からのレッスンだったので、すごくむずかしかった。複雑なステップを覚えなくてはならない。次回は行くのどうしようかなぁ、と思った。この雰囲気じゃ、パスしたい気もする。


1997年10月30日(木)

 ホストファミリーがやっと決まり、見に行く事になった。マラカの先生が車で連れていってくれた。ステイ先がかたまっている、エル・パロ地区だ。ラッキーな事に、海岸に面した通りにある、六階がそこだった。(スペインでいうと五階にあたる。一階をプランタバハと言い、二階が一階にあたる。) 私が望んでいたとおりの、やさしそうなおばさんだったので、まずは一安心。名前はアウロラさん。きれいな名前だ。スペイン人は、お互いの両頬にキスをする、という挨拶をするのだが、私はそれを、この時初めて経験した。何だか仲間として受け入れてくれたような感じがして、うれしかった。家の中は、ゴージャスでびっくり。とにかく景色が最高! 一面にきれいな海が見える。部屋もバスルームもきれいだし。
 この時アウロラさんは、料理をしている最中だったようで、すご~くいい香りが漂っていた。これは食事の方も期待出来るかも。
 帰りはまた先生が送ってくれるのかと思ったら、
「アディオース! (さよなら) 」
と言われ、一人で戻る事になった。エッ! 何で? と思うのだが、この謎は後に判明する事になる。
 帰りはバスに乗らずに歩いてみたら、三十分ぐらいかかった。バスに乗れば早いだろうけど、学校に通じるきつい坂道の手前がバス停なので、どっちにしろ、坂道は通らなければならない。私は歩いて通おうかなぁ、と思った。もともと歩くのはきらいじゃないし、海岸を通って行けるのだから、最高ではないか。

 フラメンコギターも、どうやら習えるようだ。事務のシルビアさんが、いろいろやってくれた。とても親切だった。私の方からは、週二回ぐらいで習いたいと言い、決まったらシルビアさんが連絡をくれるという事だ。ファックスを出して良かった。しかし、この学校のことだから、はっきり決まるまでは心配である。


1997年10月31日(金)

 授業は、動詞などはすでに日本で勉強しておいた事をやっているので結構楽なのだが、ちょっと気をそらすと何をしゃべっているのか全くわからなくなってしまうので、常に集中していなければならず、結構疲れる。
 寮に戻ると暇なもんだから、ここのところ自分でも信じられないぐらい勉強している。とにかく単語はかなり調べているので、辞書を引くのも早くなったんではないかなぁ。
 フラメンコギターレッスンの事はまだ決まらないのか、今日は何も言ってこなかった。予定がはっきりしなくて困る。ここでは忍耐が必要である。
 食事は食べに行く時以外は、スーパーでパン、缶詰、果物、トマトやヨーグルトなどを買って食べている。缶詰がおいしい。気にいって良く食べていたのは、いかすみの缶詰、MIAUというメーカーのものである。鰯やサケの缶詰もグッド。トマトがとにかくおいしい。果物もおいしい。オレンジ、プラム、バナナなどをよく買った。バナナは一本でも買えるので便利だ。グラムをはかって値段が出るしくみである。トマトジュースもおいしい。値段はどれも信じられないぐらい安い。例えば水一リットルなんて、四十~五十ペセタぐらいで買えてしまう。気にいってよく飲んでいたのは、四十三ペセタのミハスの水である。パンはいまいちなので、白いご飯が食べたいと思ってしまう。

 夜は、日本人の友達八人で、食べに行くことになった。この時初めて、海岸沿いにバルの並んでいる通りがあるのを知った。こんなに素敵な所があるとは知らなかった。この海岸沿いのバルに八人で入る事になった。ここに来ている日本人の人達とは、話も合うので楽しいのだけど、日本人だけでゾロゾロ来てしまうと、現地の人から見ればかなり不気味だろう。こうなってしまっては、またカマレロとは話ができるはずもなく、それが私にはちょっと不満だった。やはりブラッとバルに入って、カマレロや隣の知らない人なんかと話しながらのんびりと飲んだり食べたり、てのがスペインでの楽しみの一つだと思うのだがどうもその機会がなく、ちょっと欲求不満だ。まあそれでも、食事はおいしかったし、それなりに楽しかった。八人で、赤ワインボトル二本、ビール、コーラも何本か頼み、カラマレス・フリトス (イカフライ) 、エビ、サラダ、パエリアなどを食べて、デザートにはクレマ・カタラナ (プリンにちょっと似た、甘いお菓子。スペインのデザートではこれが一番好き。) を食べ、とにかくおなかいっぱい。これでチップをいれても一人千七百ペセタだった。何て安いんだろう! と感激してしまうのだが、ここマラガには、もっともっと安くて、しかもおいしい所が結構あるのだった。

海岸沿いのバル

海岸沿いのバル



1997年11月1日(土)

 この日は本当は学校のツアーでコルドバへ行く予定になっていた。ところが人数が足りないとかでキャンセルになってしまい、暇になったので、一人でセントロに行った。
 昼間だったせいでシエスタで閉まっていたのか、ほとんど店が開いてなくてがっかり。
 その中でポツンと開いているブティックがあったので入り、気に入ったカーディガンを見つけたので買った。カードで支払ったのでサインをするのだが、店員のおねえさん達が私の漢字のサインを見てめずらしがっていたのがおもしろかった。
 靴屋が開いていたので入った。閉まっている店が多いせいか人が多く、若い店員が何人かいたのだが、忙しそうではあった。私は試着したい番号を言って出してもらい、履いてみたらキツかったので言うと、店員は無言でデザインの少し違うやつを持ってきた。
「何だあ?」と思いながらも一応履いてみると、それも合わなかったので言いに行くと、こっちを見ていたのにムシされたので、そのまま靴を置いて帰った。こんな感じの悪い所で買い物したくない。
 ブラブラ歩いていると、小さいお店で、切ったフランスパンを焼いたやつが、大きいビニール袋にぎっしり入ってて、百ペセタという安さ。これとぬるチーズを買った。
 このパンは、授業の休憩時間に食べたり、まわりの人にあげたりして好評だった。

 夕方、前日に知った、バルの並んでいる海岸通りを散歩した。犬がたくさん走り回って遊んでいる。スペインの犬は幸せだと思う。誰も首輪などにはつながれていない。それでも獰猛な犬には一度も会わなかったし、小さな犬に吠えられる事はたまにあったけど、たいていおとなしく、噛みつかれたりすることは皆無だった。
 カメラを持って歩いていたので、中学生ぐらいの女の子達が、
「撮ってー! 」
と言ってきた。写真を撮ると、
「もういっかーい! 」
おそろしく元気である。私も一緒に入って撮ってもらった。写真はコミュニケーションの手段になるのでなかなかいい。犬、猫や、子供たちなどを撮りながら歩いていると、今度はウエットスーツを着た青年二人が、
「おーい! 撮ってくれー! 」
などと、ふざけて言った。何て言うのかわからないが、小さいボートみたいなやつで遊ぶマリンスポーツをやっている人達だ。けっこうかっこいいじゃん、と思いながら、二人の写真を撮った後、一人づつと私と一緒に撮ってもらった。(残念な事に、一緒に撮った写真は、シャッターがちゃんと切れていなかったようで、写っていなかった。)
さらに奥まで行き、そろそろ帰ろうかなぁと思い、引き返し、海を見ながら歩いていると、さっきの二人が海で遊んでいた。二人は私に気づくと手を振り、私も手を振った。そしてゆっくり歩いていると、なんと、さっきの二人のうちの一人が走って追いかけてきたのだ。手にはビショビショに濡れた彼のアドレスを書いた紙を持っている。彼は、
「写真を送って欲しい。」
と言い、私のアドレスも聞いてきたので教えた。彼にもまた逢いたいし、楽しかったので、また休日に海岸に来たいと思ったのだが、この後私は、土日、小旅行などに出掛けてしまったので、行けなかった。


1997年11月2日(日)

 学校のツアーでグラナダへ行った。バスで三時間ぐらいである。今までマラガはずっといい天気だったし、アンダルシア地方はあまり雨が降らないと聞いていたので、まさか雨が降るとは思わなかったのだが、グラナダに着く頃には大雨が降ってきた。もちろん傘等は持っていないので、皆ビショビショになりながらの観光である。
 アルハンブラ宮殿は、確かにアラビアの模様がとても細かくてきれいなのだが、今までにいろいろな観光地できれいなものをたくさん見てしまったせいか、あまり感動はない。期待が大きかったからか? 雨のせいもあるのかもしれない。
 アルカサル周辺の通りがなかなかいい。ジュエリーショップがたくさんある。私はトカゲのピアスを買った。
 雨に濡れたせいで寒くて、帰りには頭痛もしてきた。薬を飲んでも治らない。
 雨のせいで最悪のツアーになってしまい、こんなんではグラナダが可哀想だと思った。
 私は旅行中、グラナダ→バルセロナの航空券をとっているので、グラナダには必ず再び戻る予定だ。今回のツアーでは良さがわからなかったので、次回に期待しようと思いながら、グラナダを後にした。


1997年11月3日(月)

 やっとフラメンコギターを習える事になった。シルビアさんに、ギターを持ってきているか聞かれたので、練習用に小さいのを持ってきた事を言うと、
「先生はバイクで来るから、一台しかギターを持って来られないので、あなたのギターを持ってきて欲しい。」
と言われたので、私はギタレレを用意してきた。
 先生はこの学校に来るのが初めてで、道に迷ったらしく、三十分以上待たされた。そしてなんと、手ブラで現れた。ナチョさんという若い先生だ。
 レッスンは一回一時間千五百ペセタ。月曜日と金曜日の四時半からという事になった。
 打ち合わせの後、三十分ぐらいレッスンしてもらった。先生はギターを持ってこなかったので、私のギタレレを交代で弾きながらのレッスンである。これは笑える。フラメンコギターには楽譜はないものと聞いていたのだが、楽譜がある上に九ページもあるから大変だ。私は譜面を読むのは苦手なので、勝手にコード表を書き込んだりするのだが、九ページもあると本当にめんどうくさい。学校の宿題だけでも大変なのに。
 この譜面の曲は有名なフラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアの先生の曲だそうだ。きれいな曲だが、どちらかといえばクラシックに近い気がする。
 フラメンコギタリストは右手が器用だ。たたきながら弾いたり、本当にむずかしい。


1997年11月4日(火)

 寮にこもっていてもおもしろくないので、宿題を持って海岸に行った。土曜日とはうって変わって静かだった。ベンチに座って宿題を始めた。部屋でやるよりずっと気持ちが良い。しばらくして風が強くなってきたので、寮に戻った。

 余談だが、私の部屋のシャワールームに、最初足拭きが置いてなかったので、ないものだと思っていたら、ある日、置いてあった時があった。次の日にはまたなかったりしたので、四階に居るみちこさんに聞いてみると、彼女の部屋には毎日置いてあるそうだ。その上、ある日、足拭きをビショビショに濡らしてしまった時があって、次の日には二枚置いてあったそうだ。私の部屋は五階にあるので、足りなくなってしまうのかも、と言っていた。私もビショビショにすれば置いてくれるのか? と思い、一度ためしにやってみたのだが、足拭きは置いてなかった。結局、私の部屋に足拭きが置いてあったのは、二週間のうち二回だけだった。それは不満だったが、五階だから景色も良く、この階はシニアクラスの方など、年配の方が多いようなので、夜が静かなのが助かった。


1997年11月5日(水)

 またセントロに行った。やはり昼間だったせいか、店が閉まっている。平日だから開いているかと思ったのだが、五時以降に来なくてはダメなようだ。それでも土曜日よりはマシで、開いている所もポツポツあった。
 この日やっとサングラスを買う事ができた。サングラス屋のおじさんは、初め英語で話しかけてきたので、私がスペイン語で「わからない」と言うと、おっ! スペイン語がわかるのかい? という感じで、ちょっと嬉しそうにスペイン語で話をした。
 いろいろ試してみて、気に入ったのがあったのだが、「六千ペセタ」という。高すぎると言ったら、
「そんな事はない。エルコルテ・イングレスだったら倍はするよ。」
と言っている。だが私にとってサングラスに六千ペセタは高い。二千ペセタぐらいじゃなければ買えない、と言うと、もう少し安いのをいろいろ薦めてくれた。さんざん試したら一つ自分に似合うと思われるものが見つかった。最初にいくらと言っていたか忘れてしまったが、かなり負けてもらった。
「もう、商売にならないよー。しょうがない。君のために千三百ペセタだ!」
という訳で、千三百ペセタでサングラスを買った。
 エルコルテ・イングレスの本屋で、スペイン料理の本も買った。スペイン語で書かれているので訳すのが大変だが、写真がきれいだったので、見ているだけでもいいと思ったのだ。


1997年11月6日(木)

 学校の帰りに、ゆり、すみよちゃん、みちこさんと四人でネルハに行った。マラガからバスで一時間ぐらいである。
 バスを降りると、かわいくてきれいな町だった。アイスクリームを買って食べながら歩いたりした。おいしかった♥ アイスクリーム屋さんで道を聞いてわかったのだが、どうやら私たちはバスを一つ手前で降りてしまったようだ。本当は、クエバ・デ・ネルハ (ネルハの洞窟) まで行くはずだったのだが、一つ手前のネルハのバスステーションで降りてしまったらしい。
 それでもきれいな所だったので、しばらくそこを散歩し、タクシーで洞窟まで行った。
 この洞窟は1959年に発見され、二万年もの昔の先史時代の壁画やクロマニョン人の住居跡、新石器時代の遺物を保存する博物館にもなっている。さらに奥に進むと、さまざまな鍾乳洞があり、そのうちの一つ、鍾乳石が滝をかたどる「滝の間」は高さ六十メートルもの大空間で、毎年八月初句にはここで舞踏音楽祭が開かれる。色とりどりの照明と音楽がかもし出す幻想的な鍾乳洞のなかでのショーは必見。( 以上、地球の歩き方より。) だそうだ。鍾乳洞はものすごく大きくてびっくりした。芸術的ですばらしい。ここでの音楽祭は本当に幻想的で素敵だろう。一度見てみたい。

 マラガに帰り、皆でバルに入った。ここで私は、今回まだシェリー酒を飲んでいない事に気が付き、シェリー酒を頼んだ。一杯二百ペセタぐらいだった。安い! おいしかった。
 お酒もはいって少し調子良くなり、帰り道、自動販売機でセルベッサ (ビール) を買ったら、すご~く冷えててうれしくなってしまった。百ペセタだった。
 寮に戻ると、冷えたセルベッサを飲んだ。


1997年11月7日(金)

 この日の授業で、すみよちゃんや、他何人かは終了だ。すみよちゃんは、ともみちゃんと一緒にセビリヤに住むそうだ。ともみちゃんというのは、サバサバした感じの姉御肌っぽい人だ。この人はとにかくよくしゃべる。ほっとけば一日中しゃべっている。彼女はもともとフラメンコを習いにスペインに来たそうで、これからセビリヤにフラメンコを習いに行くそうだ。ともみちゃんにフラメンコは似合いそうだ。
 すみよちゃんはフラメンコをやるわけではないのだが、一緒に行く事になったらしい。

 四時半からはギターレッスンである。先生はまた自分のギターを持ってこなかったのでがっかり。また私のギタレレでのレッスンになった。ふざけんな! と言いたい。
 自分はギターを持ってこないくせに、
「この小さいギターは、あまり良くない。」
などと文句を言っている。そりゃそうだ。私だって間に合わせに持ってきたのだから、いいとは思っていない。レッスンではギターを借りられるように、A・H・Pにも話しておいたのに。私は先生に、
「これは旅行中でも練習できるように持ってきただけで、日本の自分の家には大きいギターがあるが、旅行には持ち運べないので置いてきたのだ。」
と説明しているのに、いつまでも文句を言っている。確かにちょっと弾きにくいので、先生もうまく弾けず、多分本当はもっとうまいという事を言いたいのだろう。

 この日は学校でフラメンコ・フィエスタがあった。学校のフィエスタに出てもおもしろくないので、最初、私は出ないつもりだった。みちこさんも同じ考えだった。ところが、すみよちゃんやともみちゃんは、この日が最後なので、フィエスタに出ようと誘われた。フィエスタに少し顔を出してから、食事しに行くという話なので、みちこさんも、私も、それならいいやと思い、OKした。
 たしか九時ぐらいの約束だったと思うが、みちこさんと私は約束の時間に来たのに、誘った本人たちは誰も来ない。一時間待っても来ないので、おなかもすいているし、みちこさんと食事に行ってしまう事にした。行こうとした時に皆が来た。どうやらステイ先で、お別れを惜しんだりしていて、なかなか出られなかったらしい。だから何人かは、すでに食べたり飲んだりしているらしいのだが、私やみちこさんは、何も食べていないのだからたまらない。すぐに食べに行くのかと思ったら、すみよちゃんと、ともみちゃんは、ビリヤードを始めてしまった。皆、いっこうに食事に行く気配はない。
 そのうちにフラメンコが始まった。衣装はきれいだが、まったくへたくそだ。私は四年半前に、マドリッドのタブラオでフラメンコを見ているのだが、それとはまったくくらべものにならない。その上おなかがすきすぎて、何も楽しめない状態だ。フラメンコが終わっても出て来る様子はなく、「食べに行かないの?」と言っても、誰々に挨拶してくるなどと言っているので、もう、私とみちこさんは、二人で食べに行ってしまった。誘われたから来たのに、納得がいかない。
 どうせ食べに行くなら、と、海岸のバルに行った。リオハのワインがおいしかった。食事はやはり、魚のフライだ。これが一番。おなかがすいていたせいで、お酒のまわりも早く、二人とも饒舌になっていた。頭に来ていたせいもあって、話が盛り上がり、気が付くと、夜中の一時ぐらいまで話していた。
 明日、あさっては、私とゆりは、ともみちゃん達について行って、セビリヤに旅行だ。スキューバダイビングをやっているみちこさんは、潜りに行くそうだ。
 スーツケースは、明日の朝、ステイ先に運べる事になった。やっと、退屈な寮生活からおさらばだ。


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