アドルフ・ヒトラー『わが闘争』昭和36年版一巻 その1
大衆の心理いきなり差別的発言引用しちゃいますが…(;・∀・)ちょっとムッとしましたが(笑)まあそういう傾向あるな、とは思います😅 勿論人によります。多くの女性にそういう傾向がありがちで、大衆の多くもやはりそういう傾向があるなと思います。引用します。 大衆の心理は、すべて中途半端な軟弱なものに対しては、感受性がにぶいのだ。 女性のようなものだ。かの女らの精神的感覚は、抽象的な理性の根拠などによって定められるよりも、むしろ足らざるを補ってくれる力に対する定義しがたい、感情的なあこがれによって決せられる。それゆえ、弱いものを支配するよりは、強いものに身をかがめることを、いっそう好むものである。大衆もまた哀願するものよりも支配するものをいっそう好み、そして自由主義的な自由を是認するよりも、他の教説の並存を許容しない教説によって、内心満足を感ずるものである。もう一つ引用します。 実際、一つだけ決して忘れてはならないことがある。すなわち多数は、このばあい、決して一人の人間の代理ができない、ということである。多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。百人のバカものからは一人の賢人も生まれないが、同様に百人の卑怯ものからは、一つの豪胆な決断もでてこない。 反ユダヤ主義 ヒトラーは元々は反ユダヤ主義ではありませんでした。身近に組織的な反ユダヤ団体があり、その団体については何も知らずにいました。ユダヤ人は異教徒ということで迫害されたのだと、ヒトラーは思っていました。宗派の違いだけだと思っていて、反ユダヤには反対の立場にいたと書かれています。 リンツにほんのわずかのユダヤ人が住んでいた。幾世紀もの間に、かれらの外見はヨーロッパ化し、人間らしくなっていた。実際わたしはかれらをまったくドイツ人として取扱っていた。この考え方の無意味さが、わたしにははっきりしなかった。異教徒ということだけが唯一の区別の微表だと見ていたためである。このためにかれらが迫害されたのだと信じていたので、かれらに関する不利な発言に対して、わたしの反感はしばしば嫌悪にまで達したのだ。 組織的な反ユダヤ団体について、わたしはまだ何も知らずにいた。 だんだんと気付いていったみたいです。大手の新聞がいやらしいフランス崇拝をしていたのに違和感を感じたのが、そのキッカケの一つになったみたいです。それによってドイツ人である事を恥じねばならなかったとか。 わたしは鋭い反ユダヤ調には同意しなかったが、ニ、三深く考えさせる論拠もあちこちに散見された。 シオン主義ユダヤ人と自由主義ユダヤ人の間の、みせかけの闘争があり、それが吐き気をもよおさせた、と書かれています。いわゆる『両建て』ってやつでしょうか。反ユダヤ主義に転向したヒトラーでしたが葛藤があったそうです。 かくして徐々にわたしの反ユダヤ主義に関する考えが、時がたつにつれ変った。が、これはわたしにとって最も困難な転換だった。 この転換のためにわたしは最大の内面的精神的格闘を必要とした。このあたりは重要な記述だと思います。元々人種差別主義者だったのでは無い事がハッキリと分かりますから。ヒトラーの反ユダヤ主義は、偏見・人種差別から来たのでは無い事がハッキリとわかります。次回に続きます。いやーほんとι(´Д`υ)アツィー北海道は21年ぶりの暑さだとか。エアコン無い所に越してきたので参ります💦💦マスクはなるべく外して熱中症に気をつけましょうね。クリックよろしくデス☺️わが闘争(上) (角川文庫) [ アドルフ・ヒトラー ]価格:880円(税込、送料無料) (2021/7/10時点)楽天で購入わが闘争(下) (角川文庫) [ アドルフ・ヒトラー ]価格:792円(税込、送料無料) (2021/7/10時点)楽天で購入続・わが闘争 生存圏と領土問題 (角川文庫) [ アドルフ・ヒトラー ]価格:792円(税込、送料無料) (2021/7/10時点)楽天で購入