鷲田小弥太「少しの情報は論理を産まない」鷲田小弥太『日本人のための論理的思考とは何か』日本実業出版社 5-1 少しの情報は論理を産まない ・・問題は、情報の氾濫ではありません。情報は、まだまだ少なすぎる。 それがパソコンを使って日が浅い私の正直な感想です。 たとえば、利用可能なCD-ROMが決定的に少ない。いつでもそばに置いて、 参照したい、「古典」のCD-ROMなどがあれば、どんなに便利だろう。 名言、格言集がCD-ROM版になったら、どんなに引用に誤りなくなるだろう。 作業はそんなに困難ではない。こんなふうに考えるのです。 一番ほしいのは、必要な情報がどこに存在し、どのようにアプローチしたら 獲得できるのか、の情報です。・・ 情報の氾濫という場合、むしろ問題とされるべきは、情報の過少状態で生きる スタイルではないでしょうか。・・ ●論理には筋がない 物事には筋がある。それをたどるのが論理だ、という考えがあります。間違い ではありません。 ・・しかし、よく考えてみると、道のないところに、道をたどったからこそ、 道はできたのですね。道はあるべくしてあったのではないのです。 つまり、物事の筋は、物事に内在したものもあるが、大部分は、物事に筋を つけたのです。つけるのは人間です。意識的、無意識的にそうしたのです。 いってみれば、「発見」ですね。 情報は、それだけでは「知識」ではない、といわれます。 これも間違いではありません。でも、大切なことが忘れられています。 データや資料がかなりの量に達すると、そこに「自ずと」一つや二つの物語 (ストーリー・筋)ができあがります。情報が相応の量に達すると、特定の 「知識」が紡がれる、ということです。「知識」の中には、いいかげんなもの もあります。しかし、想像もつきかねた「知識」が発生するBaaimoあるのです。 そして、もう少し、意識的に、まったく関係のない(と思われている)ものの 間に、論理が通る道筋をつくってみよう、できる、ということを万人にわからせ たのがコンピュータの威力です。 実現できそうもないことを考えると、妄想と笑われますね。 その妄想を実現する「条件」をコンピュータではじき出します。手元にある 情報を駆使してです。実現可能な条件さえわかれば、それを実現する手段を考 えればいいのです。歴史上存在した諸手段の実例を参照すると、できないかど うか、ほとんど判明します。いうところのシミュレーション(模擬実験)です ね。 しかし、コンピュータは、実現できない「条件」もはじき出します。失敗した 「実例」を数限りなく提出します。問題は、だからここでも、情報をどう利用す るかの「人間」の側にあります。 ●情報化社会の子供たち 1970年以降に生まれた人たち、とりわけ、パソコンが普及した1990年 以降生まれの子供たちにとって、情報化社会が「常態」です。彼らは、何かが生 じれば、それに関係する情報を求めます。マニュアル人間というのは、特殊な 人間のことではなく、情報化社会の人間のふつうの姿なのです。 彼らの特長は、なぜか、「真の原因」は何か、を求める原因追求型ではありま せん。物事には、それを生じさせた中心的で重要な要素がある。それを取り出し、 説明しよう、という行き方を好みません。物事は多様な条件からできている。 あなたはそのような論理を読み取るが、私にはこんなふうに読める、というスタ イルをとるのです。つまり、情報量とその処理の仕方の違いで、多様な論理を 導き出すのです。 しかし、別な側面から見て行くと、情報量に頼るため、情報の少ない方面には、 顔が向かず、逆に「単純」論理に走ることがあります。情報量が少ないというの は、その条件が重要ではない、ということを直ちに意味するわけではありません。 その情報量の少なさを何でカバーするのか、を求められているのです。 情報化社会は、既存の情報と情報をつなぐ「想像」力の勝負の問題になるのは、 このときです。 主として、情報と情報を想像力でつなぐ方法と、想像力を情報で跡づける方法 との、二つの行き方があります。いずれの場合も、やはり、情報収集能力と処理 能力が重要なポイントになります。 でも、本当に人間に必要なのは、「想像力」なのだということだけは、 子供たちに気づかせたいですね。「発見」の論理ですね。それを、私たち自身も 大事にしたいですね。問題は、その想像の「論理」をどう獲得するか、です。 ジャンル別一覧
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