カテゴリ:音楽
吉田秀和全集(2)モーツァルト・ベートーヴェン 白水社 1999年刊 ベートーヴェンの仕事のやり方は、 ゆっくり仕事をする。 湧きあがる楽想に何度も手を入れて推敲する。 同時に、いくつもの曲に取りかかっている。 ある曲を推敲している時に、他の曲の楽想が浮かび、下書帳に書き足していく。 ロマン・ロラン『エロイカからアパショナータまで』みすず版全集、第23巻きより・・ 途中、1805年から1808年までの3年間の空白があるものの、 1798年から1827年にいたる40冊のベートーヴェンの下書帳が残っている。 「ベートーヴェンとは、創作に当たって、いつもスケッチブックを使い、 それをポケットに入れて持ち運び、野や山を歩きまわっては、浮かんできた楽想を、 その手帳にたえずかきつけていた音楽家であった。」 「ベートーヴェンが下書帳を使ったことは、彼の創作の仕方と関係がある。 ベートーヴェンはゆっくりと苦労して仕事をした。 楽想は爆発的に出現し、究極の形を得るまでにいろいろの作品に同時にとりかかっていた のだから、内部で不断に営まれていく形成の過程と変形の過程に、 記憶がいつもついていけるとは限らないので、発見したものを確保する必要が生まれたことは、 簡単にわかる。 下書帳を携帯することは習慣となり癖となり、ごく小さな曲でも浄書される前に 草稿に書かれなければならなくなった。」 ≪ベートーヴェンは、創作の途中でだけでなく、作曲がすんでしまったあとも、 スケッチをとっておく理由があった。 その一つは、まえに見たように、彼は同時に何曲も別々の曲を作曲する習癖があったばかりでなく、 その時その時に念頭に浮かんだ楽想をすぐその場で、前後とはなんの関係もないままに、 ノートにかきつけていたからで、したがって、ノートには、いわば最初の、 天から降ってきたが着想のままの状態で、眠っている楽想がいくつも残っていたのである。≫ ≪『第五交響曲』に関するスケッチは、すでに1803年のノートに姿を現わしだす。 そうして、作曲が完成したのは、1807年か、おそくとも1808年のことであるから、 その間、ベートーヴェンは4年ないし5年を要したことになる。≫ 『第五交響曲』・・初演の後、訂正されまったく違ったものになった、ということ 初めて知りました。 バーンスタインの「音楽のよろこび」、見たいですね~ SYMPHONY OF THE AIR Leonard Bernstein 「音楽のよろこび」 レナード・バーンスタイン、 吉田 秀和 音楽のよろこび <目次> モーツァルト (出現・成就・創造 その生涯・その音楽) 手紙を通じてみるモーツァルト モーツァルトのコンチェルト モーツァルトへの旅 モーツァルトの演奏をめぐって 覚え書ベートーヴェン ベートーヴェン三題 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.10 09:13:51
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