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2013.10.05
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カテゴリ:音楽


ビバルディ―バロック音楽を代表するイタリアの作曲家・伝記 世界の作曲家(1)

パム・ブラウン

橘高弓枝 訳

偕成社

1998年刊


 ビバルディが活躍した18世紀初め頃・・

≪当時のヨーロッパでは、作曲家は尊敬もされていなければ、とりたてて裕福でもなかった。

 作曲は生活の手段とみなされ、生活のために働く料理人や、大工などと同じレベルの

 扱いを受けた。

 とはいえ、祭や音楽を愛するベネツィアに生まれたビバルディは幸運だった。

 教会の儀式、祭り、パレード、外国からの貴族の訪問など、

 さまざまな機会に新しい音楽が求められたからだ。

 何かの行事があるときは、仕立屋が新しい服をつくるように、作曲家も新しい曲を

 つくることになっていた。≫



≪作曲家の中でもずばぬけて多作だったビバルディは、曲を求められたらいつでも提供し、

 1715年には、30曲以上もの曲を書いて理事会を驚嘆させ、喜ばせた。≫





 近頃コンサートに行くたびごとに、咳払いやパンフのがさがさする音や、そわそわと落ち着かない

人の行動が気になります。しかし、18世紀当時のコンサートのマナーに比べると、

かわしいものだと思います。

≪・・客のために食べ物や飲み物が運ばれ、多くの人々は、舞台そっちのけで自由気ままに

 おしゃべりをしていた。

 歌手や演奏者や演出家は、客の態度にがっかりさせられたにちがいないが、

 当時はこれが一般に認めれたマナーだった。≫




<目次>
第1章 天才作曲家の誕生
第2章 赤毛の司祭『プレーテ・ロッソ』
第3章 作曲家として
第4章 オペラの世界
第5章 協奏曲(コンチェルト)
第6章 オラトリオ
第7章 ベネツィアをはなれて
第8章 『四季』
第9章 過ぎ去った栄光
第10章 復活





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最終更新日  2013.10.06 00:05:40
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