カテゴリ:音楽
テオドール・W. アドルノ「ベートーヴェン―音楽の哲学」 訳 大久保健治 作品社 1997年刊 「偉大な作家にとって完成された作品などというものは、 生涯をとおして作業が継続される断章とくらべるなら、物の数ではない。」(ベンヤミン『一方通行路』) 小さいころから『ワルトシュタイン』を弾き、 『ハンマークラヴィーア』を「とりわけ簡単な曲」と想像していたら、 その難しさに失望したというアドルノによるベートーヴェンの音楽論。 アドルノのベートーヴェンとその音楽に対する愛情とともに、 20世紀初頭のユダヤ人の富裕層家庭の教養が伝わってきます。 ベートーヴェンの音楽と、ヘーゲルの哲学・・そして当時の時代を相似形にみようとする 姿勢には、いまからみると多分に無理があります。 ≪1.ベートーヴェン音楽は、自己自身を創造する哲学のように、内在的なのだ。 ヘーゲルもまた哲学の外部にあるような概念は持ち合わせておらず、またある意味では、 異質な連続体にたいして、概念を欠いている。・・≫ ≪・・ベートーヴェンの客観的な社会にたいする姿勢は、反映といった怪しげな姿勢よりも、 むしろ哲学のそれに近い。 つまり多くの点でカント哲学、決定的な点でヘーゲル哲学に近い。 社会はベートーヴェンにおいては、概念を欠いた形で認識されることはあっても、 その写生がおこなわれるようなことはない。 彼においてテーマの展開といわれているものは、複数の対立物が、つまり個々の関心事が、 互い同士切磋琢磨しあうことにほかならない。≫ ≪ベートーヴェンにおいてもっとも驚嘆すべきは、つぎのことである。 類型化されていないこと、 固定化はけっして行われていないこと、 繰り返しが見られないこと、 個々の作品それぞれが最初の早い段階から、絶対的に一回的であるような直観を 示していることである。 『英雄』は模範的な作品であり、優れたモデルとして参考にされても、 繰り返し利用されるようなことはけっしてなかった。≫ ≪ベートーヴェンの楽器編成法の欠陥を証明することはいとも容易い。 木管楽器の知識不足からくる厚みの不足。 主題としての出来事を覆っている、総奏の厚すぎること(例えば『第七交響曲』)。 しかし彼の場合、あらゆる重要な芸術の場合と同様、欠陥は問題と不可分なのだ。 つまり訂正不能なのである。≫ ≪ベートーヴェンは底知れぬ豊かさを持つ人間であって、彼においては、主観的に創造する力が 強化されて、人間と創造者を見なす傲慢さにまで至っているが、 それにもかかわらずそうしたベートーヴェンをしてその逆のものへと、 つまり自己規制へと向かわせたものがある。≫ ≪ベートーヴェンの真の偉大さはどこにあるのか。 こうした問いにたいして、わたしがまず最初に思いつく答えはおそらくつぎのようなものだろう。・・ ベートーヴェンがあいついで「優れた作品」を作曲したということではなく、 むしろ絶えず無限の可能性を持つかのように、音楽の新しい特性、タイプ、範疇を創造した 点にあると。≫ <目次> 序曲 音楽と概念 社会 調性 形式と形式の再構築 批評 初期の局面と「古典主義的」局面 交響曲分析ノ周辺 晩年の様式 晩年の様式を欠く晩年の作品 人間性と非神話化 【後払いOK】【1000円以上送料無料】ベートーヴェン 音楽の哲学/テオドール・W・アドルノ/大久保健治 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.12.07 18:16:05
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