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システムエンジニアの晴耕雨読

2017.01.16
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カテゴリ:書評・読書メモ


聖地巡礼リターンズ・内田樹&釈徹宗

東京書籍

2016年刊


 
 今回の「聖地巡礼」は、長崎!

 
 キリシタンのことを知るには、日本国内の資料だけでなく、

 スペインやポルトガルなどにある宣教師たちの文書類に目を通す必要があるため、

 かなり膨大な量なので、まだすべて解読するに至っていない、とのこと。


 
 豊臣政権の1597年に、二十六聖人が、西坂の丘で処刑される。

 徳川政権になり、長崎は天領となる。

 1614年、全国に禁教令が出されて、本格的な迫害が始まる。

 宣教師やキリシタン大名の高山右近たちは長崎港から国外追放、教会堂は破壊され、

 信徒たちは隠れる。

 1629年、踏み絵が始まる。

 1629年から1858年までの230年間、たとえ信者でなくても、

 長崎に住む人は全員踏まなくてはならかなった。


 1633年、ポルトガルの宣教師フェレイラが棄教する。

 1637年から38年にかけて、天草・島原の乱により、取り締まりはさらに厳しくなり、

 鎖国状態となる。

 1790年、浦上一番崩れ

 1839年、浦上二番崩れ

 1856年、浦上三番崩れ

 「崩れ」とは、弾圧・検挙事件を指し、

 場合によっては、組織が崩れてしまうということ。


 幕末、日本は開国される。

 1865年、大浦天主堂が建立される。殉教した二十六聖人のために建てられた日本最古の教会。

 ここにやってきたフランス人宣教師プチジャン神父の前に、隠れていた信徒たちがやってきて、

 「信徒発見」にいたる。

 しかし、
 
 1867年に、浦上四番崩れ、が起こる。

 浦上四番崩れでは、3000人以上のキリシタンたちは萩や津和野や福山に流され、

 ひどい拷問を受ける。その後、故郷に戻ってみると、略奪により家も財産も何もない状態だった。 
 

 1873年、ついにキリシタン禁制の高札が撤去され、浦上四番崩れの流配者が帰還する。

 注目すべきは、明治6年2月まで、明治新政府になってからも迫害が続いたということ。

 




 長崎は、キリシタン大名の大村純忠が寄進し、イエズス会領になっていた時期がある。

 一方、秀吉が太閤検地と刀狩をやり、日本に国民国家の基本的な枠組みを作る。

 国土は国家のものであって、領主の私物ではなく、大名は政府の官僚であり、軍人である。

 各地の共同体の自治能力も宗教も国家に組み入れられていく。
 
 当時、そういう発想をしていたのは、信長と秀吉だけだった。

 そのため、秀吉からみると、大村純忠の許されなかった。

 もしそれが認められていたら、日本のあちこちの領土がイエズス会やバチカンや他の修道院に

 寄進されていたかもしれない。 
 


・・続くかも?!



<目次>
1日目 長崎とキリシタン
・春徳寺(トードス・オス・サントス教会跡)
・サン・ドミンゴ教会跡
・長崎県庁と霊性
・二十六聖人殉教地
・浦上天主堂
・原爆落下中心地
・大浦天主堂

2日目 隠れキリシタンの里へ
・枯松神社
・黒崎教会
・バスチャン屋敷跡
・出津教会
・出津救助院
・大野教会

3日目 京都と大阪のキリシタン
・妙満寺跡(二十六聖人発祥の地)
・椿寺
・茨木市キリシタン博物館
・カトリック高槻教会






最終更新日  2017.01.16 22:28:04
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