カテゴリ:書評・読書メモ
上岡伸雄「釜石ラグビー 栄光の日々 - 松尾雄治とくろがねのラガーたち」 中央公論新社 2011年刊 かつて、ラグビーの日本選手権7連覇(1978年度-1984年度)を成し遂げた 新日鉄釜石ラグビー部の記録。 他の社会人ラグビーのチームが大卒であったのに対し、 当時の釜石ラグビー部は、東北・北海道出身の高卒・高専卒のチームでした。 そこに、天才・松尾雄二が加わったところから大躍進が始まります。 本書の中で、松尾選手の天才的なテクニックやずば抜けた体力は語られているのですが、 印象に残ったは、「高橋博行」さんでした。 秋田高専から入社した高橋さんは、ラグビー部の練習を見ているうちに、自分も部に参加したいと思うようになり、 研修で一緒になった松尾さんに入部の相談をします。 しかし、ラグビー部の首脳も、人事部も、断固ノーといいます。 理由は、高橋さんはラグビー部の推薦で採った社員ではなく、高専卒の技術者として採用したこと。 すでに、高炉改修という忙しい部署に配属予定だったため。 それでも、人事課に何度やめるように説得されても、折れなかった。 そして、ついに入部を許可されます。 でも、懸垂が一回もできない中、初練習はまったくついていけなかった、といいます。 この高橋さんについたあだ名が「バテノナマリ」。 練習ですぐにばてるし、秋田弁の訛りが強いから。 ≪しかし、この「バテノナマリ」、練習でどんなについていけなくても、部はやめなかった。 会社に無理を言って入部させてもらった以上、やめるにやめられなかったのだという。 いつしか高橋が息を切らせて走る姿は、釜石ラグビーの練習に欠かせないものとなる。≫ そして、V2を果たした1979年・・ 豪州遠征でオーストラリアの南豪州代表のチームと対戦した際、 ≪ゴール前に上がったパントを追いかけ、相手の巨大なナンバーエイトを一発のタックルで 倒したフランカーがいた。このフランカーは脳震盪で退場するが、こぼれ球を千田が拾い、 右中間にトライ。新日鉄チームはこの試合に勝利をおさめた。 このフランカーこそ、高専から技術者として入社し、松尾に頼み込んでラグビー部に入った 高橋博行だった。四年目の春である。 「高橋のタックルは使える」。このプレーは首脳陣に強烈なアピールとなった。≫ ≪特に足が速いわけでも器用なわけでもない。 そんな彼が活路を見出したのが、180センチ、80キロの体格を生かしたタックルだった。≫ ・・当時の試合の状況が頭に浮かんできます(^^♪ <目次> プロローグ―新日鉄釜石ラグビーと松尾雄治 第1章 万年優勝候補―一九七一~七六年 第2章 黄金時代の幕開け 第3章 対トヨタ自工、まさかの敗戦 第4章 王座奪還―V1への道 第5章 負けようのないチーム―V2からV4へ 第6章 薄氷を踏む勝利―V5からV7へ 第7章 松尾なしで勝ちたい!―一九八五年の闘い エピローグ その後、なぜ敗退していったか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.05.30 10:24:18
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