よんきゅ部屋

2007/09/20(木)23:35

第72回 シベリウス/交響曲第5番

お気に入りのクラシック音楽(192)

今日は、シベリウス没後50年のちょうど命日にあたる。それを知って取り上げたいと思っていたのがこの曲。私にとっては、シベリウスの曲の中でも最も好きな曲になっている。最近、比較的値段の安いこの曲のスコアを買って持っていたのだが、時間が無くてまだ開いていなかった。 今週は仕事がとても忙しく、一人でゆっくり気持ちを休める時間があまりなかった(昨日の帰りに飲みに行ったのは気持ちを休める気がなかったから)。明日が一番ハードな予定の一日。帰宅してからはリフレッシュのために、スコアを開いてこの曲を聴いてみた。 ある程度こんな感じの譜面なんだろうなというのは想像していたのだが、細かい部分で実はかなり違っていた。パート同士でリズムがかなり入り組んでいたり、拍子が思っていたのと違っていたりと、いろいろな発見があった。 この曲が作曲されたのは1914年から1915年にかけて。シベリウスの50歳を祝うための記念行事が予定されており、自作自演のプログラムになっていたようだ。そのために構想され、作曲されたのがこの曲。しかし、実際は第一次世界大戦が始まったところでかなりシベリウスも苦しい状況に立たされていたという(他国から経済的に断絶していたため)。苦労しながらも演奏会は無事行われ、この曲の初演は大成功だったそうだ。 ------------------------- 第1楽章 この楽章は2つの部分からなる。もとは2つの楽章に分かれていたそうだが、改訂の段階で1つの楽章にまとめられた。この曲は3楽章制だが、実質的には4楽章あるとも言える。冒頭は変ホ長調の雄大な響き。ホルンと木管の応答で始まる。朝日が昇りかけに鳥が鳴き始めるというような景色が思い浮かぶ。その後は木の葉が風でざわざわと鳴っているような雰囲気。半音階で調の色合いがあまりはっきりしない部分は風向きや光の当たり具合が変わっているかのようだ。 その部分を抜けると、今度は曲のテンポが上がり、木管でかぜが吹き抜けるような動きを見せる。ロ長調という調がまた最初とは違う涼しげな世界にあるような気分にさせてくれる。ここからがスケルツォ部分である。スケルツォではさりげなくどんどんテンポが上げられて、盛り上がってくるとホルンの太い音などが加わってきて、ティンパニを合図に変ホ長調のクライマックスを迎える。トランペットが明るく旋律を歌い上げ、さらに他の楽器もあふれるように加勢して、さらにまだ行くのではという雰囲気を持って突っ走ったまま終わる。 ------------------------- 第2楽章: ト長調のさわやかな朝を思わせるようなアンダンテ。冒頭、管楽器のロングトーンに弦楽器のピチカートでスタート。しばらくそのようなやりとりが続いてから、一気に視界が開けるようになり、ヴァイオリンが水面のかがやきのような旋律を歌う。途中は、それらの素材を使いながら、短調に行ってみたり、またシベリウスが後期の交響曲でよく使う転がっていくようなテンポアップなどがあったり、ちょっとしたドラマを作りつつ、最後は冒頭の雰囲気に戻り、あっけなく終わる。「え、終わったの?」という感じだ。 ------------------------- 第3楽章: 変ホ長調のアレグロ。最初はひたすら弦楽器が刻みつつ旋律を奏でる。風とそれにたなびく水面という雰囲気だ。しばらくすると、ホルンが鐘のような響きをバックに、そして木管楽器がゆったりとした主題を歌い、その続きでハ長調に転ずるところが雄大でカッコイイと思う。それからまたアレグロに戻り、木管楽器の主題は変ト長調で歌われる。この部分は夢の中という感じ。 やがて、曲の趣は大きく変わる。それまでの主題が素材として使われているのだが、拍子が拡大して、雄大な音楽へと変わる。変ホ長調の世界でありながら、短調のような進行もあり、この部分は夕方、ちょうど夕日が西の空に沈む前の最後の輝きを見ているかのようだ。最後は和音が断片的に鳴らされて時間をかけて終わる。この終わり方もけっこうあっけない感じではあるのだが、一つのいい味になっている。 ------------------------- この曲は、まだ演奏する機会に出会っていない。でも、生きている間に絶対にやりたい曲を3つ挙げろと言われたら、この曲は入る。しかし、CDを聴くのと楽譜がここまで違うかとも思った(7番をやったときに初めてスコアを見たときもそう思った)。 ちょうど仕事が一区切りついて研究室に戻ってきたときに夕日を見ながらこの曲(特に第3楽章)を聴くと、グッとくるものがあったりする。長調でめでたいときのための曲なのに、なぜだか切ない気持ちになることもある。 そう言えば、中学生の頃から実家で飼っていた犬が大往生した時(何しろ結婚後まで生きていた)、それを両親が我が家まで連れてきて最後のあいさつをしたのだが、その直後に自分の部屋にこもって大泣きしたときにかけたのがこの曲。第1楽章の終わりがちょうどその犬が走っているところに似合っていたし、ちょうど明るい感じもするし、そういう曲を聴いて送ってあげたいなと思ったので、この曲を大音響でかけた。真っ赤な空の、山の向こうに行ってしまったんだなと思えば、自分の気持ちも前向きになれるのかなと思ったのだ。 一度、取り組むチャンスの欲しい曲だなと思う。

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