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赤いモミジの葉と緑の葉のコントラストの美しさにひかれた。造園する人は、色彩の妙を計算して樹木を植えるのだろう。庭の美しさを感じるには、成長した樹木の姿と草花の彩りを組み合わせねばならない。名前を知られていない数多くの人々が、この地味な造園の仕事に携わっている。それでも、技や洞察力の差が造形美を極め、逆に凡庸な庭にもする。古典的な庭ほど難しい。
2010.07.03
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紫陽花は成長すると数メートルの大きさになる。自然増殖するらしく、紫陽花の株がずらりと並んでいる。紫陽花の花の色は微妙に変化するので同じものはない。同じ株でも、土地の地質によって変化するという。紫陽花の色彩の謎はいまだ解明されていないそうだが、梅雨の時期の花としては美しい。
2010.07.01
緑のモミジもなかなかよい。夏の間は、ほとんど黙殺されているのだけれど、姿かたちの美しいモミジの樹は存在する。最近、さまざまな葉の形をしたモミジに人気があるけれど、こういう単純なカエル手の形が一番美しい。
2010.06.28
桜の花に早咲きと遅咲きがあるように、モミジにも早く紅葉する種がある。高山では、秋の到来が早いので、モミジも早めに紅葉する。真っ赤に紅葉したモミジよりも、ほのかに葉の先だけが赤くなっているモミジのほうが、ずっと色気がある。6月に、こういう風情を描き出すモミジというのは、めったに目にすることはないから、貴重な品種だろう。
2010.06.25
モミジは秋に紅葉すると思われているが、山野にある自然種はさまざまな形態を持つ。野村や赤しだれのように、赤い葉を持つ種も多い。モミジ本来の色素が赤いので、夏の間は葉緑体に抑えつけられて緑の葉をしている。それでも、赤い色素が強い種は、1年中赤い葉をしている。この姿を「紅葉」と呼ぶかは疑問だけれど、夏の木立の間にあると鮮やかな色彩を見せてくれる。
2010.06.22
モミジにはさまざまな種類がある。基本的には秋に紅葉する種が多い。モミジを愛する日本人の趣味が高じて、山野にある珍しいモミジを発掘してきた。青しだれは縮れた緑の葉を持っている種になる。植木屋さんでもなかなか見かけない。モミジの苗は植木鉢でも育つので、青しだれをみかけたら手に入れておくことをおすすめする。
2010.06.20
竹は古くからさまざまな道具に利用されてきた。プラスチックのない江戸時代には、これほど便利なものはない。筍は食糧になるし、水筒にもなる。一番使いやすいのは雨水を流す樋だろう。世界各地の民族は水を流す水路に苦労してきた。石や煉瓦では建設費がかかる。中国から渡来した竹を使えば、簡単に水路ができるし、古くなった竹の風情も味わいがある。それでも、ほとんど利用されなくなった竹藪が各地に放置されている。
2010.06.15
見たこともない独特の形態をした赤い花を見つけた。ありふれた姿でないところからも、自然界の花ではなく、人間が品種改良したものだろう。もしかしたら、誰かが種をまいたのかもしれない。個性的な姿と強烈な赤は人目を引く。とはいっても、道端の花なので人知れず咲いているところが重しとい。
2010.06.13
紫陽花が群生している。紫の色が一面に広がっている。紫陽花の色は、土地の養分によって変化するという。紫から白までの色合いは、土地に含まれる成分によって変動する。この地域には紫の色にふさわしい養分が含まれているのだろう。土地の地味によって、色彩が変化するというのは面白い。自然の摂理はそれくらい微妙なものだと理解できる。
2010.06.10
庭に植えていたコスモスが、野外に進出することはありうる。野の花に変身したコスモスは、華やかで風景を彩る。メキシコ原産の花は欧州に移植され、世界中で改良され、一大グループに成長している。丈夫でどんな環境にも適合できる。多彩な色や形に進化してきた。それが庭から草原に飛び出して、野の花として生きていくのを見るのは、不思議な気がする。種をまく人がいるのかなあ。
2010.06.07
しだれ桜やしだれ梅が人気のあることは、夏の姿を見ても理解できる。やわらかく、しなやかな枝ぶりほど美しいものはない。しだれは枝が柔らかいので重力によって曲がってしまう。放置しておくと美しい姿にならないから、枝の矯正をおこなう。人間の目から見て、最も美しい曲線を描くようにたわめられる。名人が整形したしだれほど、しなやかで美しいものはない。おそらく、しだれの失敗作もあるはずなのだが、不思議なことに目にすることがない。
2010.06.04
エニシダが地中海原産の植物なのは意外だろう。名前は和風だし、姿かたちは日本人好みであり、黄色い花は日本人好みの色合いをしている。明治初期に移植されたというから、風土になじんでいるのも当然かもしれない。黄色の花は、典型的な和風の黄色であり、ダリアなどよりずっと親近感がある。落葉しない常緑樹であることも、全国に広まった理由だろう。
2010.06.02
御衣黄桜の花は緑だった。花というよりも、緑の葉に近いので、薄紅の桜らしさは微塵もない。ピンクの桜は寺社の庭園などに植えられているから、植木屋さんの店頭に並んでいるのを見つけた時は、即座に購入してしまった。日本人の桜の花の記憶は強固であり、御衣黄が桜であることを否定する。花が終わると、普通の緑の葉が茂っているので、どれも同じになるのだけれど。
2010.05.31
植木が売れるかどうかは、名前が左右することは間違いない。住居に庭があった時に、「桂」というモミジを植えていた。晩秋に、植木屋さんの店頭で「胡蝶の舞」という品種を見たときには、すべての葉が落ちて枝だけであり、姿かたちはわからなかった。こうなると、命名は選択に大きく影響する。「胡蝶の舞」は、緑と黄緑と白い葉がまだらに茂っている。これほど風情のあるモミジは見たことがなく、名前負けしない樹木も珍しい。
2010.05.29
赤の色合いにはさまざまな段階がある。自然の中では、一定の色合いに集約していくのに、人工繁殖が始まると人間の好みが左右してくる。花の色を変化させることは難しく、種によっては不可能な色もある。日本人は透明感のある深紅が好きだから、改良を重ねたのだろう。西欧種なのに、日本人好みの深紅を生み出した執念に脱帽するしかない。
2010.05.26
撫子の日本種は大和撫子と呼ぶ。中国渡来の種は唐撫子であり、特有の色と姿をしている。明治以降輸入された西洋撫子は、ダイアンサスと呼ぶことが習わしになっているらしい。ダイアンサスは丈夫であり、寒波の中でも花を咲かせる。夏の暑さにも耐える。短期間だけ花を咲かせる大和撫子にとって代わるのも当然だろう。はかなげな姿は日本人好みであり、淡いピンクの色合いも魅力的に感じる。
2010.05.24
1本だけ買ってきたブルーサルビアのつぼみが膨らみ始めている。勢いがないので、枯れるのかと予想していたら、何とか紫のつぼみが膨らんできた。茎が10センチほど伸びて、その先端に紫のつぼみが色づいている。かよわい花の典型だなと感じていたら、先日に花屋さんに並んでいるブルーサルビアを見たら、大きくてずっと勢いがある。よわよわしいのは、育て方のせいなのかなあ。
2010.05.21
白い花が数限りなく咲くコデマリの枝を剪定した。垂れ下がる枝の美しさを生かすように切るべきなのだが、名人のようにはいかない。無用の枝を根元から切るというのが鉄則というけれど、殺風景になってしまった。枝が弧を描いていた姿が懐かしい。と言っても、剪定ばかりは経験を積まないと熟達しない。自然な枝ぶりというのは、難解なのである。
2010.05.19
細い鉛筆みたいだった白木蓮の葉が広がり始めている。高さ20センチ程度なのに、葉の大きさは一人前の姿をしている。葉だけが大きくて、全体のバランスを崩しているけれど、勢いがある。花が咲くのはいつ頃になるのだろうか。
2010.05.17
ユキヤナギは、枝が伸びすぎる。すぐに大きくなるので、枝の剪定は重要な植物だろう。鉢植えにするには、思い切って根元から剪定することが必須になるが、可哀そうでなかなか切れない。と言って、放置すると繁茂しすぎるし、その段階で剪定することは、花芽を切ることにつながる。今しかないと覚悟を決めて、大胆に剪定したのに、いつの間にか葉が繁茂し始めている。自然種の生命力は強い。
2010.05.15
レンゲツツジは高原の植物になる。生命力が強く、葉に毒を持つから、草食動物に嫌われる。人類が家畜を飼うようになると、多くの高原の植物が絶滅している。食欲旺盛な家畜に耐えられる植物は少ない。乾燥した砂漠でも、とげのある植物は生き残ることができるのと同じだろう。黄緑の葉は、美味しそうな色をしている。
2010.05.09
沈丁花の葉は複雑な模様を持つ。単に緑ではなく、濃い部分と黄緑の部分と不思議なまだら模様になっている。花は1年に一度しか咲かないから、花好きに愛されるために進化したものかもしれない。常緑樹の葉は、ぶ厚くて単純なものが多いけれど、沈丁花は面白い。
2010.05.07
コデマリのつぼみが成長している。もうすぐ、花が咲き始めるだろう。姿が整っていたので、引っ越しする時に庭から鉢に植え替えた。狭いベランダに転がっているが、春になると勢いが付いている。もう、春というよりも初夏に近い。
2010.04.28
ユキノシタ科の雲間草は、高山植物として知られている。花屋さんで販売している種は北欧産であり、寒さに強く育てやすい。薄紫の花が一面に咲き、3月頃から咲き続けている。よわよわしい姿と違って、高地の植物は丈夫なのかもしれない。日本の夏の暑さに耐えられるかが、雲間草の宿命になる。
2010.04.27
更紗空木の葉が茂り始めている。枯れ木のようだった枝に、真新しい緑の葉が増えている。空木の仲間は、枝が空洞になっている。生存競争に生き残ったからには、この空間が何らかのプラスに働いたことは間違いない。一番強度がある構造は円であり、トンネルなどと共通している。細い枝に強度を持たせる知恵なのだろうが、植物全体の仕組みにならないことが不思議な気がする。
2010.04.24
白木蓮のふくらみが開いて、緑の葉が顔を出している。暖かくなっても、つぼみは固いままだったので、少し心配していた。30センチくらいの小さな苗木なのに、葉の大きさは、桜並みのサイズをしている。冬の間はずっと棒のような姿を続けていて、つぼみの数も少ないので、葉が出た時はうれしかった。
2010.04.21
熱帯原産の花は、寒さに弱い。セイロン・ライティアは多年草の樹木だが、日本では、一年草として扱われる。日本の冬の寒さを乗り切ることができない。室内においても、落葉させて冬眠状態になる。それでも、3枚だけ緑の葉が残っている。枝を選定してみると、切り口が新鮮であり、冬を乗り越えて生きていることが分かった。昨年のような白い花を咲かしてくれるだろうか。
2010.04.19
沈丁花の葉が茂り始めている。常緑植物である沈丁花は、冬の間も葉をつけている。しかし、冬の葉はほとんど落葉して、新たに春の葉が生まれている。沈丁花の葉は寒さに耐えるために厚くて、表面に光沢がある。冬に落葉すべきか、葉をつけるべきかのギリギリの選択を迫られた種だろう。寒さに耐えられれば、冬に光合成ができるメリットは大きい。日本に照葉樹林が広がっていた理由だろう。
2010.04.16
レンゲツツジの黄緑の葉が鮮やかにそろい始めている。こんなに純粋で清々しい葉は少ない。見るたびに心が洗われる。レンゲツツジは落葉性なので、冬の間は枝だけの姿になって寒さに耐える。気温が上がると、たちまち黄緑色の葉を出して、太陽に向かっている。本当に美しい葉の姿をしている。
2010.04.13
2月ごろから、ずっと咲き誇っていたミラベラの花が終わって、緑の葉だけの姿になっている。短日性なので、日照時間が少なくなると花が咲く。ところが、マダガスカル原産の熱帯性の花は、室内での保存が原則なので、電灯に照らされてしまい、なかなか咲いてくれない。寒さには弱いので、冬の間は外に出せないから、ミラベラを咲かせるのは工夫がいる。
2010.04.11
花の姿が独創的なほど生き残る可能性が高まる。エニシダの黄色い花ほど、風変わりな花はない。たくさんの小さな花が穂のように連なって咲き始めた。花びらの色合いが心にしみる。澄んだ黄色の花には、何とも言えない風情がある。
2010.04.09
冬の間に小さな紫の花を多数咲かしてくれていたボロニアも、どうやら花期が過ぎたようで花弁が散っていく。1か月以上咲き続けていたことになるから、心に安らぎを与えてくれる花になる。わずかに残された花を横目に見ながら、伸びた枝の剪定をした。来年も咲いてくれることを期待しながら。
2010.04.07
色の濃い桃は、観賞用の花桃だろう。果実の味を求めるのではなく、花の美しさを追求した桃になる。ピンク色の桃畑の中に、くっきりとした赤い花びらが目立っている。 果実の味を追求すると、同じ品種に統一されていきがちだが、それでは景色が単調になる。こういう鮮明な驚きも残されていないと、確かに面白くないなあ。
2010.04.05
桃は普通の樹木のような姿をしていない。地面から1メートルあたりで分岐して、左右に大きく広がる。高さよりも、枝の広がりを求めている。苗を育ている段階で、収穫しやすいように樹木の高さを低く設定したのかもしれない。 1本の桃が占有する面積や日当たりなどを計算して、枝を調整しているのだろう。桃の古木は美しさとともに凄味がある。
2010.04.03
桃には様々な種がある。日本人の好むやわらかくて甘い桃に集約されてきた。花畑を観察すると、色の濃さや開花の時期に違いがある。満開の樹、すでに緑の葉になっているもの、これから開花を待つものがある。収穫の時期の差かなあ。
2010.04.01
花の色の違いは遺伝子によるものなので、人間にはどうしようもない宿命だろう。しかし、植物には突然変異という現象があり、何世代か過ぎると花の色や形が変化していく。それを目ざとく育種家が見つけて、新種が出来上がる。 桃は味を第一に品種改良されていたので、これほどの花が咲くようになったことは不思議でもある。美しい花が美味しい実を意味するとは限らないからになる。桃の花の独特な色合いは、個性の主張かもしれない。
2010.03.29
桃の花が満開になっている。どこの畑も、一面が桃色に染まっている。果樹の花でこれほど鮮やかな種はないだろう。清楚な梅とは異なる妖艶な雰囲気に満ちている。
2010.03.24
強風が吹き荒れている。植物にとって風は花粉を運んでくれるからありがたい存在になる。しかし、花びらが吹き飛ばされて散ってしまうのも困る。まず、花だけが咲く種は、風に耐えることができる。葉が茂っている時に風に吹かれると、揺れが大きくなる。花びらだけならば、軽く受け流すこともできる。まず花が咲いてという被子植物の春には、意味があるかも知れない。
2010.03.19
紅梅が美しい。梅は盛りになっていて、あたり一面が白と赤の花びらで埋め尽くされている。紅梅の独特の赤色は言葉で表現することが難しい。見る角度によって、色彩と鮮度が変化していく。
2010.03.17
3月になると、梅園は花盛りになる。はるか遠くから眺めていても、白と赤の靄が広がって見えている。近づくとそれが梅の花だとわかる。あたり一面の景色とは別の空間が生まれている。春が見える。
2010.03.03
春の花は、まず梅が咲き、それから色とりどりの花が咲いていく。枯れ枝だらけの境内に咲く白い梅は新鮮な驚きを与える。ようやく、寒い季節が過ぎ、暖かい春が来るということを実感させてくれる物質なのである。
2010.02.26
一瞬桜かと疑ってしまうほど、ピンクの梅は桜に類似している。こういう淡い色彩の風情は、確かに桜にしかなく、見た瞬間に桜を浮かべてしまう。といっても、同じバラ科の植物だから、共通する要素はたくさんあることは事実だけれど、風情が似ていることに驚かされる。
2010.02.25
冬の花である山茶花の花が残されている。殺風景の初春に赤い鮮やかな色彩は、強いインパクトを与える。野生の山茶花は、本来の白を基調にしている。人間がさまざまな改良を加えて、赤いサザンカが生まれている。春の予感がする季節の深い赤色は、貴重な存在だろう。
2010.02.23
境内に黄色いつぼみが並んでいる樹木を見つけた。無数のつぼみが今にも花を咲かせそうに並んでいる。そこだけが異質な雰囲気になる。こういう雰囲気を持つ樹木は少ない。ロウバイが中国原産であることを理解することができる。もうすぐ満開の黄色い花が見られる。
2010.02.20
ついこの間までは、あまりに冷たくて、触る気にもならなかった池の水がぬるくなっている。飼われているアヒルも過ごしやすいだろう。水は緑色に濁っていて、古池という言葉を絵にしたような空気を持つ。こういう池は、水を濁らせておいたほうが美しい。
2010.02.17
ドウダンツツジの芽が力強く空に向かっている。これほどに見事に並ぶ植物も少ないだろう。ツツジの仲間であっても、落葉性であり、冬に葉を落とす。その代わり、早くから枝先に目を出して身構えている。ドウダンツツジは、日本の四季に適応した植物なのである。
2010.02.13
白梅は美味しい実のなる種であり、梅干しの原料として各地に栽培されている。梅の花を楽しむのは貴族階級の趣味であり、一般人は実を楽しみに栽培してきた。日本には遣唐使の時代に移植されたという。中国王朝文化を代表する花として導入されたが、広めたのは梅干しづくりを楽しみにした農民というのが面白い。
2010.02.11
細い道に山茶花の花が並んで植えられていた。最盛期を過ぎているので、多くの花は薄汚れて見える。同じ種でも、花の咲く時期には違いがあるらしい。これから花を咲かそうという若々しい一本があった。他と違って樹木に勢いがある。山茶花が終わると春がそこにある。
2010.02.09
紅梅に出会うと人間は衝撃を受ける。まったく異なる空間が構築されている。花が美しいとかいうのではなく、赤い色に染まった異空間が待ち構えている。そこだけ、別の次元と時間を持つ。紅梅の独特の深い色も、人間の色彩感覚にさまざまなことを訴えてくる。
2010.02.07
空木という樹木は、幹が空洞になっていることから呼ばれている。どうして空洞になっているかは、実のところよく分かっていない。幹の空洞のメリットは、航空機と同じように幹や枝を軽くできることに尽きる。 トンネル構造と同じで、円形形状は強度があり、強風などに耐えることができる。幹が空洞である弱点は、維管束が細くなってしまうことだろう。空木に落葉低木が多いのは、植物の成長にマイナス面があることを暗示している。
2010.01.24