すーーっきり、さっぱり

2014/07/18(金)15:01

今日は初月命日です

父の入院・葬儀・片付け諸々の事(20)

父が亡くなってから一ヶ月経ちました。 昨日は最愛のワンコの祥月命日で、今日は父の初めての月命日。 明日は父のお祖母ちゃん…私にとって曾祖母の月命日です。 明後日の20日は母方の大叔父さん、21日は母方の曽祖父、22日は母方の祖母の命日と続きます。 毎日毎日命日があると言う事は、「今日はご先祖様に手を合わせなくて良いと言う日なんか無い」って事を教えてくれますね。 さっきワンコ友達と電話で話したんですが、このワンコ友達のワンコちゃんが昨年ですがうちの子と同じ7月17日に亡くなったんですよ。 その友達のお母さんの命日が私の母と同じ4月10日で「縁があるわねー」と話していたらワンコの命日も同じになってご縁ってのは本当に不思議だわねえといつも思います。 あと30分したら父が亡くなった15時5分になります。 だから何だって事は無いんだけど、一か月前は病室で呼吸が止まりかけてた父を見ていたと言うのが遠い昔の様で不思議な感覚です。 きっとお葬式が終わってからいきなり夏季繁忙期でてんてこ舞いの職場で疲れ切ってるから時間の感覚がずれてるんだろう。 お葬式も随分昔の事の様に感じます。 こんなに遠い感覚になるって事は…初盆供養が過ぎたらもう何十年も過ぎた気になってしまうかもしれんw 父が入院中から何枚か写真を撮って、死に顔も、お棺に入った時の写真も撮ってあるんですが、そういう写真は縁起が良くないから撮っちゃだめだと言われたんですよね。 でも写真が縁起が良くないとか良いとか言われたところで私の行きている世界自体が父と縁がつながった因縁の世界なんですから縁起もクソも無いわww 他人の死に顔なんかは絶対に撮りませんしそういう写真も見たくないと思いますが、自分の親の死んだ時の写真って自分の行く世界と同じなんだから良いよw そんな風に考えて時々眺めてます。 死に顔が綺麗で良かったんですよ。 苦しい、汚い顔で死んでたらそりゃ撮りたくも見たくもないですけどね。 父の遺影には母と旅行に行ってドヤ顔をしている60代半ばの写真を選びました。 その遺影はお骨の横で私を見ています。 もう少ししたら閻魔さまのお裁きがある五七日を迎えます。世間的には三月に跨ったらイカンと言う事で満中陰にさせてもらいますが、実際の供養としては弥勒菩薩様の七七日の日まできちんとやらせていただきます。 とにかく今は七日ごとの関所を無事に超えて閻魔さまのお裁きでお浄土への扉を開いていただきたいものだ…それだけが願いです。 もう今のような供養を出来ることは今後ありませんからね。 どんなに生まれ変わってももうあの法主猊下様にも管長猊下様にもお会いする事は出来ない。 今回のチャンスを逃したら成仏はまた何刧年を待たなくてはいけませんから、絶対に閻魔さまに賄賂を渡してでもお浄土の扉を開いていただきたい。 …ところが、賄賂を渡したくても持っているのは印刷された六文銭ですからww 死んだら何も持って行けませんよ。 生きてる時に何を考えどのように道を開いてきたかそれのみがお浄土への扉を開くんです。 今お金があっても裸で閻魔さまの前に出た時、地獄で鬼に追い立てられた時、自分と言うものを恥ずかしくなく主張できるだけの行いをしてるんかなあと毎日が極楽で遊び暮らしている人が心配になりますw 生きていくと言う事は死後の世界への旅路ですから。 みんな平等に絶対に死んでいけるんですから準備はお早めに~。 生きてる時の父の為に出来る事は何もなかったけどとにかく今は閻魔さまに私からもお願いしたいと思います。

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