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今でもシートスは、その時のことをありありと思い出すことができる。不敵というには、あまりにも艶やかに微笑んだアシャの顔も、揺らめく灯火も。 「さすがの俺も、すぐには返事ができなかった。『黒の流れ(デーヤ)』流域の住民から、扇動者を引きずり出そうというのが彼の計画、『黒の流れ(デーヤ)』を馬で下っていくというとんでもない作戦も、それが聞き始めだった。結局、俺はあの方と一緒に殴り込みをかけ、見事に成功した。もちろん、反乱鎮圧が成功したのは言うまでもない」 シートスは自慢げに、周囲の男達のぽかんとした顔を見回した。 「『黒の流れ(デーヤ)』を馬で下る、だと…」 「そんな……鬼神ではないのか、アシャというのは……」 「あのアシャが…」 「何を言ってる!」 新参らしい男達ー物見(ユカル)も入っているーが、呆れ声を上げるのに、古参が言い返した。 「『太皇』(スーグ)』以外で、『泉の狩人(オーミノ)』を御せるとすれば、アシャか、ミネルバだと言われておるのだぞ」 「げ」 「『泉の狩人(オーミノ)』をねえ…」 まだ半信半疑の新参兵に、やれやれと古参が肩を竦めるのに、シートスは静かに、だが力強く笑った。 「まあ、ラズーンでアシャに会えば、すぐにわかる。今度の『運命(リマイン)』との戦いは、これまでにない大規模なものになるとのことだからな」 シートスはユーノを振り向いた。 「……アシャがラズーンを出たのは、それから、半年ほどがたった日のことだ」 「どうして?」 「さあ……詳しいことは誰も知らんだろう、アシャ本人以外にはな。だが、冗談まじりには聞いたことがある。『探し出すべき人を探し出しに、出会うべき人と出会うために』と言うことだった」 ユーノの問いかけに、シートスはやや白けた笑いを浮かべた。 (『探し出すべき人を探し出しに、出会うべき人と出会うために』) ユーノは心で、そのことばを繰り返した。 (そして、アシャはレアナ姉さまと会った……) ギアナの裏切りにようよう逃げ込んだセレドの往来、あの美しさも埃に塗れては人を魅きつけることもなく、ただ路上に倒れていたアシャを、レアナは優しく救い上げた。その白い腕がどれほど眩かったのか、薄紅の唇がどれほど甘く微笑んだように見えたのか、ユーノには容易に想像がつく。 同じように、今までどれほど多くの国の王子が、レアナの笑みのために遠い山を駆け抜け、流れを渡り、馳せ参じことか。 (懐かしい…) アシャと出会ったのが、ずっと昔のことのようだ。 ユーノはそっと唇を綻ばせた。 (こうして、何もかも思い出になっていくんだろうな) これほど切ない想いも、いつかは若い頃の思い出の一つとして、心の宝石箱に転がしておける時が来るのだろう。 ユーノはそれまで待てばいい。それまで、この想いを、一言一動作にも示さなければいい。 「あれほどの才を持ちながら、さても夢見がちな男だわい。……もっとも、あの美貌には似合っているがな」 シートスのことばに、ユーノはくすりと笑った。 イルファのことを思い出したのだ。妻にしようとまで思い詰めていたと聞いたことがあるから、アシャが男だと知った時はさぞかし衝撃だっただろう。 (無理もない) 溜め息まじりに温かい赤と黄色の炎を見つめながら考える。 (あの顔立ちだもの……それに、あの髪。娘に見えない長さじゃないし、何よりも紫の瞳のきれいなこと……あ……れ……) じわっと滲んできたものに、ユーノは慌てて目元に指を当てた。少し濡れている。 (涙?) 違うことを考えよう、と思った。違うことを……あ、あの向かいの男、レスファートと同じような銀の髪をしている。 (でも、レスの方がもっときれいだな、さらさらで艶があって。おかっぱが伸びて肩に触れていた。また切ってくれとだだをこねている頃じゃないのかな) 「!」 不意にばさりとマントが頭からかけられ、ユーノはぎょっとした。跳ね上げようとした頭を、軽くマントの上から押さえ、シートスが低い声で呟いた。 「ちょっと体が冷えてきたようだな、客人。これを被っているがいい」 「…」 心遣いが優しく、ユーノは頷いてマントをかき寄せ、身を竦めた。炎の燃える音、人々の話し声、身近に寄せる温かな気配が、逆にユーノに孤独を押し付けてくる。 「よほどの理由があったのだろう、客人?」 「……」 「世の幸福を約束された『銀の王族』がギヌアと剣を交えるとはな………痛ましいものだ」 「シートス…」 「何だ?」 「ボクがここにいること、アシャには知らせないでくれる?」 「…」 「ボクがアシャといると……かえって危ないんだ」 「どういうことだ?」 「……ボクはカザドにも狙われている」 「!」 シートスはぎくっとしたように手を強張らせた。そして、徐々に力を抜き、重い溜め息をついた。 「それで……こんな無茶をしたのか」 「……」 「辛い旅をしてきたな」 柔らかな労りの口調に思わずしゃくりあげそうになって、ユーノは息を詰めた。 「……よかろう。それでは、お前を我らの野戦部隊(シーガリオン)の一員として迎え入れ、ラズーンへ帰還しよう。ただし、神々のお引き合わせによってアシャと巡り合ったなら、その時はお前のことを知らせるぞ」 「うん……ありがとう、シー……」 ことばをとぎらせたユーノの頭を軽く叩き、シートスは誰に言うでもなく呟いた。 「動乱の期は、誰にとっても辛いのだよ」 「、……」 ユーノは頷いて、零れた涙を見せるまいと俯き、唇を噛んで体を竦めた。 今までの話はこちら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.22 15:17:27
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