1879710 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

エタ-ナル・アイズ

全4433件 (4433件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >

カテゴリ未分類

2020.07.09
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

「ふ…うっ…ううっ…」

「アシャ?」

 レアナは不意に呻いたアシャを訝しく覗き込んだ。眠っているアシャの額には玉のような汗、濡れた髪が絡んで張り付き、厳しく結ばれた口元には薄く血が滲んでいる。

「血…?」

 悪夢にうなされて唇でも噛んだのか。案じてレアナは水に湿した布で汗を拭き、口元を拭おうとしたが、

「ひっ」

 小さく声を上げ、体を強張らせた。今の今まで目を閉じていたアシャが、カッと目を見開いている。瞳は紫紺、深く遠く、人間の体の一部とは思えぬほど硬質な輝きを宿して虚空を見つめている。

「アシャ…?」

 レアナは恐る恐る声をかけた。だが、次に起こった出来事に、今度は声もなく立ち竦んだ。淡い金色の靄のようなものがアシャの体から湧き上がり、ゆっくりと中空に凝縮していくのだ。

「レアナ姫、アシャの容態は…」

「っ!」

 無作法に合図もなく開けられた扉が、レアナの呪縛を解いた。身を翻し、入ってきたイルファの体にしがみつく。驚いたのはイルファの方で、思わずうろたえて剣に手をかけ、

「な、何です! 何があったんです!」

「イルファ、待って!」

 叫んだイルファをレスファートが制した。指差す先に空中に凝った金の靄、見つけたイルファは剣を引き抜き、レアナを背後にかばいながら

「何者だ!」

「…」

 金色の靄はイルファの声に一瞬たじろぐように揺れた。だが、再び凝縮を始め、次第に形を成していく。凝視していたレスファートがはっとしたように声を上げた。

「アシャ?!」

「何ィ?!」

「アシャ…?」

 目を見張るイルファ、驚きを隠せないレアナ、唯一『こういう類』への理解は早くて的確なレスファートが続ける。

「どうしたの? どうして体を置いていくの?」

「………」

 金の靄は揺らぎためらい、けれどやがて振り切るように開いた窓へ滑り寄った。

「アシャ、だめ!」

 レスファートが慌てて靄を追う。

「イルファ、止めて!」

「止、止めてっても…」

「アシャ、何かおかしい! …アシャ!」

 イルファが困惑しきった声を出すのに、助けにならないと悟ったのだろう、レスファートは金色の靄が出て行った窓を開け放ち叫ぶ。

「アシャ! だめ! 帰ってきてよ! 帰って、アシャ!!」

 が、既に金色の靄は一筋の光となって、暮れかけた空を東へと疾って行った。

****************

 今までの話はこちら







Last updated  2020.07.09 00:00:13
コメント(0) | コメントを書く


2020.07.08
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

 クサリヲトイテクレ。

 その声は遠い彼方の闇より、幼い頃からアシャの心に囁き続けていた。

 鎖ヲ解イテクレ。

 巨大な力の気配。圧倒的なエネルギー、他者の存在を許さぬほどの強烈な自己肯定、猛々しい『魔』の匂い。

 鎖ヲ、解ケ!

(駄目だ)

 アシャは心の中で身もがいて拒否した。

 ナゼダ。

(お前は『魔』だ)

 オ前モ同ジダ。

(違う。俺はお前と『同じ』ではない!)

 ドコガ違ウ。

 気配は心底不審そうに問いかけた。

 オ前ハ俺ノ分身、イヤ、オ前ハ、俺デハナイノカ。

(違う!)

 叫ぶアシャの心には、幼い頃のことが蘇っている。

 『氷の双宮』の中、ひとりぼっちの遊びの毎日。

 気に入りの『鳴き鳥』(メール)がいた。青と銀がかった羽根、美しい声で囀っていた。

 ある日、何に怯えたのか、アシャの手から逃げ、いくら呼んでも戻って来ない。近くの木の枝に止まり、囀りながら跳ね回っている。アシャは何度も呼び、ついには焦れて木に登った。呼びながら上へ上へと登ってゆき、手を伸ばし、チチチッと口真似をしながら指を伸ばすが、あちらこちらへと動く『鳴き鳥』(メール)は落ち着かない。ようやく指先までやってきて乗るかと思った次の瞬間、まるでからかうように『鳴き鳥』(メール)はアシャの指を飛び越え、逃げた。

 はっとして体重を前に掛け手を伸ばす。一瞬後、枝はアシャの体を支えきれず、音を立てて折れた。悲鳴、木から転げ落ちて地面に全身を打ち付けた、その痛みがアシャの心のどこかを切った。眉をしかめながら見上げた空に、今しも消え去ろうとする『鳴き鳥』(メール)、「行かないで!」と叫ぶ声と同時に心が命じていた、「行クナ!」

 びくっと『鳴き鳥』(メール)が羽ばたきを止めた。鈍い、濡れた布を叩きつけながら引き裂いたような音、チュグッと呻くような声が空に響き、『鳴き鳥』(メール)の姿が四散し赤いものが飛び散った。ぽたっとアシャの額に生温かいものが降り落ち、呆然と空を見上げているアシャの眉間を伝って頬へと流れ落ちる。何もなくなってしまった空にふわふわと舞う儚げな青い羽根……熱いものが瞳に溢れた。

 こんなことを望んだんじゃない。側を離れて欲しくなかっただけだ。こんなことを望んだんじゃない。

 子どもの姿で立ち竦むアシャの背後の地面がいきなり割れた。暗い気配が立ち昇る。男とも女ともつかぬ顔がにんまりと妖しく嗤う。

 王よ、と『それ』はアシャに呼びかけた。

 我ら『運命(リマイン)』、『魔』の王、アシャよ。

(違う!!)

 叫ぶアシャの前で、その顔は『運命(リマイン)』のシリオンと名乗る姿に変わった。

 『運命(リマイン)』の軍門に下れ、いや、王として迎えもしよう。

 いつかの夜に誘いをかけてきた相手は、ゆるゆると形を変え、やがてギヌア・ラズーンの酷薄そうな禍々しい笑みになった。

 ドコガ第一正当後継者、オ前ニハ『魔』ノ匂イガスルゾ。

 殺した『鳴き鳥』(メール)、足を失った馬、傷だらけになった『太皇(スーグ)』。

 繰り返された封印は、ユーノの危機に切れ、今やアシャの力は自制しか『魔』を抑える術は無い。

 だが、ユーノ、あの愛しい娘は戦場へ旅立っている。守るものなく、ただ一人、刃の中にその身を晒して。

 空に雲散霧消した『鳴き鳥』(メール)の最後がユーノと交錯した。折り重なる屍、噎せ返る血の臭い、その中にユーノの朱に塗れた身体!

(ユーノ!!)

 叫んで走り寄ろうとするのに、体が動かなかった。

 ソノ身デハ無理ダ。

 昏い嗤いを含んで声が囁いた。

 生身ノオ前ハ床ニイル。ゆーのガ死ヌノヲ黙ッテ見テオレ。

(やめろーっ!!)

 影が走り、倒れたユーノに覆い被さった。華奢な首をぐいと掴む。そのまま無造作に持ち上げる、体は踏みつけたままだ、ごぶっとユーノの口が紅を吐いた。細く白い首筋に朱色の亀裂、見る見るちぎれてぬるりと肉塊がはみ出る、ユーノの瞳がガラス玉となり反転する。

 声にならぬ声が己の喉を突き、何かがアシャの体を押し出した。金の炎が己の指先から爪先から髪から噴き出し、アシャは全ての枷を断ち切って、東へと走り出した。

****************

 今までの話はこちら







Last updated  2020.07.08 00:47:00
コメント(0) | コメントを書く
2020.07.06
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************


 急ぎ足に戻ってきた屋敷が、出てきた時と同様の静けさに包まれており、周囲に人が集まってくる様子もないのにほっとした。群衆はまず自らを守る方向に走ったらしい。各々の家で、各々の家族に今必死に見てきたものを語っているのかも知れない。

 イルファは入り口に控える緊張した表情の兵士に軽く頷き、扉を開けた。平和な治世、剣もあまり持ち慣れていないのだろう、急ごしらえの見張りは疲れた表情で礼を返し、イルファを見送った後は、再び外界へ続く扉へ目を戻す。

「イルファ!」

 奥へ通ると、どこか不安そうに佇んでいたレスファートが彼を見つけて走り寄ってきた。穏やかな日差しに髪をきらめかせ、イルファを見上げる。透ける淡い色の瞳が、探るようにイルファを捉えた。

「どうした、レス?」

「…ううん、なんでもない」

「アシャは?」

「まだ…目が覚めない……レアナ姫がずっと付いているけど…」

 イルファの問いにかぶりを振り、それでも緊張を隠せない様子で応じた。レクスファの第一王子、人の心象風景に敏感な少年が、外の混乱を気づいていないはずはない。だがレスファートもただ徒に旅をしてきたのではない、己の不安が泣いて訴えれば消え去るものではない事を、薄々察しているようだった。

「…そうか」

 イルファは頷いて、体を寄せてきた少年の頭に己の手を乗せた。本来ならば不敬だろうが、ぽんぽんと優しく思いやりを満たして叩き、

「大丈夫だ」

 見上げた瞳に笑う。

「きっと、何もかもうまくいく」

「……うん」

 子どもながら、イルファの苦しい慰めを感じたのだろう、小さく頷いて、レスファートはにこりと笑って見せた。

「外はどう?」

「…なかなか派手だな」

 伝えたものかどうか悩んだが、おどけて肩を竦めてみせる。

「化け物屋敷へ行きたかったら言えよ、タダで『かなりのもの』が見られるぞ」

「やだ! イルファ、消して!」

 心象を思わず読んだのだろう、レスファートが青ざめて声を上げる。

「そんなの、ぼく、見たくない!」

「ああ、悪かったな」

 イルファも見せたくはないが、遅かれ早かれ直面する羽目になるかも知れない。奥歯を噛み締めると、

「…それよりも、ぼく」

 ためらいがちにレスファートは呟く。

「ユーノに…会いたい」

 声の切なさに胸が詰まって、イルファは返すことばもなく、再び不器用に、いささか強くレスファートの頭を叩いた。憤ることもなく、自分が零したことばの苦さに気づいたのだろう、頼りなく眉を寄せてレスファートが俯く。

「…ごめんなさい」

「謝ることはない」

 ぐ、っともう一度、奥歯を強く噛み締めて、イルファは話題を変えた。

「セシ公はどうしてる?」

「広間にいる…東からの使者、ジットーと言う人に会っているよ」

「ジットー?」

 ジットーとは確か『銀羽根』の伝令、今頃はユーノと共に東の戦線をかけているはず、その男がなぜ。

(まさか…本当に東が…)

 不吉な予感に、イルファは広間の方へ目を向けた。

****************

 今までの話はこちら







Last updated  2020.07.06 00:00:11
コメント(0) | コメントを書く
2020.07.05
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************


「諸君も聞いたことがあるはずだ。夜を走る黒い影の噂を。月夜に猛る野獣のような声を」

「影…」

「…そういや…」

「けど…『壁』はあるぞ!」

 別の男が反論する。

「ラズーンには『壁』がある!」

「『壁』が絶対なのか!」

 被せるように壇上の男が言い放った。

「現に、西の『壁』ぎりぎりに『運命(リマイン)』が攻めてきている。セシ公配下の『金羽根』の働きがなければ、とっくに『壁』は突破されていただろう。今や東にも『運命(リマイン)』は迫っている。『銀羽根』『銅羽根』の守りは、先日ついに崩れたと聞く」

 壇上の男は硬直したように立ち竦む群衆に、依然、低いが人を威圧する声音で語りかけた。

「明日にも『運命(リマイン)』は東の『壁』に達するだろう。誰が守りに着けよう、この動乱の時期に? 東が崩れれば西も崩れ、ラズーンは遠からぬ先に滅するだろう……守り堅き……『氷の双宮』を除いては」

 男のことばが人々の胸の奥に沈むまで、数瞬の間があった。

「滅ぶ…?」

「この…ラズーンが…?」

「け、けれども!」

 先ほどの男が再び反論を試みた。

「まだ『壁』は崩されていないぞ!」

「『壁』…だと?」

 初めて壇上の男の唇に、うっすらと禍々しい笑みが広がった。人々が笑みに気づく前に、綻んだ男の口元から嘲笑に似た嗤い声を伴って声が零れる。

「『壁』などどこにあるものか……『我ら』…『運命(リマイン)』にとって!!」

 同時にかっと男の口が上下に避けた。閃いた手が黒剣を握り、柄まで通れと己の腹に突き立てる。鈍い音を立てて黒に近い紅の血飛沫が噴き出し、男のすぐ前にいた人々に降り注いだ。

「ぎゃっ!」「ひいっ!「きゃあああっ」

 劈くような絶叫、息を引く音、喉に詰まった呻きが一瞬にしてあたりを満たし、街角はいきなり混乱と暴徒の巷と化した。その中でずるずると崩れ溶けていきながら、修行者風の人間を装っていた『何者か』が、聞くに耐えないけたたましい嗤い声を上げる。

「逃げても無駄よ、すでに『運命(リマイン)』はお前達の隣におるわ!!」

「きゃあ!!」「うわああっ!!」

 ぶしゅっ…ぶしゅっ…と、同様の、液体の詰まった皮袋が一気に生温かい中身を噴き上げる音が、逃げ惑う群衆の中から聞こえた。それは、今の今まで男の辻説法に賛同の声を上げていた男達、一人はやはり短剣で己の首を掻き切り、もう一人は突いた胸をどす黒い朱に染めて倒れる。地面に倒れた後は腐臭を放ち、どろどろとした肉汁となって流れ広がっていくのを見たものが、吐き戻し気を失って倒れていく。

「ちいいいっ」

 鋭い舌打ちを響かせた大柄な男は、怯えた目で慌てて店じまいを始める主人を横目に、手にした品物を小脇に抱え、恐慌を起こしてあちらこちらへ走る人の波を縫った。

「『運命(リマイン)』が…!」

「影が迫ってるってよ!」

「化け物がいるぞ!」

「もう『壁』の中に…!!」

「『太皇(スーグ)』は何を為さってるんだ!」

 口々に叫んで逃げる人々が、壇上の男のことばを思い返すに、そう時間はかからないはずだ。不安は今や明確な恐怖となり、『氷の双宮』に対する無知と畏敬は、不信と疑惑、得体の知れないものへの憤りに育ち始めた。

「何て事をしやがる」

 大柄な男、イルファはぼやきながら、大股に道を急いだ。このままでは例えミダスの公邸とは言え、安全とは言い切れまい。彼はそこに貴重な仲間を2人、残してきている。

****************

 今までの話はこちら







Last updated  2020.07.05 00:00:08
コメント(0) | コメントを書く
2020.07.04
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

「時は来たのだ!!」

 ラズーンの街角、木箱の壇上で一人の男が叫んでいる。

「今こそ真実を知り、救いを求めるべきだ!」

 ぼさぼさの髪、白い衣、如何にも修行者風の容貌、だが、瞳が妙に虚ろで昏い。

「『氷の双宮』にこそ、その救いはあるはずだ、なぜなら、あそこに『太皇(スーグ)』が居るのだから。だが、その『太皇(スーグ)』は何を為さっているのか、これほど人心が惑っているのに、姿も見せて下さらないとは何事であろう!」

「そうだ!」

「『太皇(スーグ)』はどうしたんだ!」

 頃合いを見計らったように、男の前に集まった群衆の中から声が上がった。よく見れば、その男達も木箱の上に居る男同様、どこか不吉な、ものに憑かれたような眼をしているとはわかるだろうが、並み居る群衆は辻説法に心奪われ、合いの手の巧みさに気づかない。

「『太皇(スーグ)』は我らを見捨てられるのか?」

「我らは見捨てられたのか?!」

「『太皇(スーグ)』は何を為さっているのだ!」

「そうだ、何を為さってるのだ!」

「そもそも『太皇(スーグ)』とは何を為さっている方なのだ?!」

「何の為に、あの『氷の双宮』に籠もられているのだ?!」

 男達の掛け合いのような叫びが続く。

「……そういや……そうだな…」

「『太皇(スーグ)』って……王様だよな……?」

「けど、何を…してくれてるんだ?」

「赤ん坊にミルクをくれるわけじゃないし」

「俺たちに給金をくれるわけでもないし」

「どうして…『氷の双宮』にいるんだ…?」

 巧みに扇動された群衆がこそこそと囁き始めるのを、近くの店で買い物をしていた大柄な男が、品物を受け取りながらじっと聞いている。

「そもそも『氷の双宮』とは何なのだ? 『太皇(スーグ)』はなぜあそこに籠られるのだ、これほど世の中が不安定な時に?」

「何かあるのか?」

「何か、あそこにはあるんじゃないのか?!」

 2人の仲間が、辻説法の男の問いを煽り立てる。

「何か…?」

「何かって……何だ?」

「そりゃお前、こんな戦だの何だのって言ってる時だから……身を守れるものじゃないのか?」

 人々の囁きが不信を含む。

「武器か?」

「…おい…何かひょっとして……途轍もない武器じゃないのか?」

「武器だとしても、どうするんだ?」

「なあ、おい、俺達にそんなもの、ねえぞ」

「けど、ラズーンの『壁』があるから…」

「聴きたまえ、諸君!」

 壇上の男は一層声を張り上げた。

「私は諸君の知らないことを知っている、だから警告するのだ!」

「それは何だ?!」

「教えてくれ!」

「そ、そうだ、教えてくれ!」

 煽る声の尻馬に、1人が乗った。

「諸君……ラズーンは今、最大の危機に晒されている」

 壇上の男は不意に声を低めた。しん、と静まる群衆に、

「『運命(リマイン)』と言う謎の軍が攻めて来ているのだ」

「え…?」

「何…?」

「っ」

 買い物をしていた男はぎくりとしたように、壇上の男を振り返った。大柄な男に全く気づかない様子で、壇上の男は冷淡とも言える平坦な声でことばを継いだ。

****************

 今までの話はこちら







Last updated  2020.07.04 17:38:17
コメント(0) | コメントを書く
2020.07.03
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

 声が聞こえる。

 戦乱に巻き込まれて行く人々の呻き声が。救いを捜し求める命の声が。そして、新たに紡がれる祈りの声が。

 世の隅々からラズーンの外壁を越え、内の空気を揺るがせ、どよめきとなって『氷の双宮』に押し寄せてくる。

「……」

 『太皇(スーグ)』はようやく目を開いた。ゆっくり『氷の双宮』の白い壁を、凝った造りの浮き彫りを見回す。

 200年、この中で生きていた。

 200年、この世を見てきた。

 そして今、この動乱の中、多くの人々の声が、彼をより厳しい選択に押し出そうとする。

 やるべきことはわかっていた。

 遥か昔、星は『太皇(スーグ)』の名を受ける者に、そしてこの世の中へ歩いていこうとする人々の背に向かって、こう呼びかけたのだ。

 生きて、行け、と。

 精一杯、己の運命を、己の命で全うするために。

 ただ、生きてゆけ、と。

 果てに何が待つのか、それは誰にも、それこそ星にもわかりはしない。わかっているのは、己の生き様だけが全ての答えを用意する、ということだけだ。

 『太皇(スーグ)』は『氷の双宮』の玉座から立ち上がった。階段を降り、向きを変え、玉座の左右にある、真紅の光沢のある布の垂れ下がっている窪みへと進み、右の布の後ろへ入り込む。壁に凭れると、いつものようにすっと身体が沈む奇妙な感覚があった。

 せり上がって行く床、沈む窪みがどこへ自分を導くのか、『太皇(スーグ)』は熟知している。

「………」

 奇妙な感覚がおさまり、目の前に広がったのは、金属の箱のようにつるりとした壁を持つ飾り気のない部屋だ。

 部屋の中へ踏み出しながら、『太皇(スーグ)』の頭には問い慣れた疑問が蘇っていた。

 遥か昔、この『氷の双宮』の冷たい光沢を持つ部屋で、なんとか生き延びようとした人々の胸には、どんな想いがあったのだろうか。滅びていく世界、自分達がその中で暮らしてきた絶対の日常性が、信じられないほど脆く崩れ去って行くのを背に、この地下の部屋に降りて行った人々の心には、どんな希望が残っていたのか。

 そして今、『太皇(スーグ)』はその人々と同じような『賭け』をしようとして、この部屋にやってきている。

 発光する床を通り、左側の壁に開いた入口を潜る。薄暗い光の中、目が慣れてくるに従って、金属の台の上に透き通った円筒形のものが立っているのが見えてくる。

 円筒形のものは上部を金属の蓋で覆われ、そこから何本もの糸のようなものが天井へと繋がっていた。20個以上ある円筒形の中を満たした薄い黄緑色の液体の中には、様々な生命体の胎児が、あるいはそれに至る過程のものが、時折下から立ち上る泡に包まれて淡く光っている。

 『太皇(スーグ)』はその前をゆっくり歩きながら、そこに居る胎児だけではない、他の多くの『生命体』と言うものの巨大な眼に見つめられているような気がした。端まで歩き、一つだけ色の違う円筒形を見つけ、一瞬たじろいで、その何も浮かんでいない空間を見つめる。

 本来ならば、この円筒形の中で『銀の王族』の『種の記憶』(デーヌエー)を元に、次の正当後継者の体が再生されていなくてはならないはずだった。操作は、別室に蓄えられている『種の記憶』(デーヌエー)の再生装置を操るだけで済む。

 『太皇(スーグ)』は敢えて操作をしていなかった。後継者がいないのではない。ユーノにアシャ、人材には事欠かない、だが……。

「………」

 『太皇(スーグ)』はそっと手を伸ばした。色の違う円筒形の下に、小さな黒い突起があるのを、ゆっくりと、けれども断固とした力強さで押す。

 ぼこっ、と円筒形の中に大きな泡が浮かび上がった。見る見る数を増し、見ている間に中の液体が減り、ただの円筒形の空間に変わる。一つが空になるや否や、隣の円筒形の液体が同様に減り始め、連鎖反応を起こしたように動きは全体に広がった。

 バシャッ、と胎児がもがいて跳ねる。形を取りかけていた細胞の塊が一瞬にして溶解する。

 恨めしげな胎児の眼が呪詛を込めて『太皇(スーグ)』を見つめ、次には白濁し、溶け崩れる。声にならぬ声、音にならぬ悲鳴と断末魔の絶叫があたりの空気を圧し潰していく。ヒクヒクとのたうつ肉塊、何が何やらわからぬ内蔵のような索状物、それらもやがて、今まで浮かんでいた液体を取り去られて、原色の、肉色の、ぬらぬらとした液体に変わり消え去っていく。

 最後の円筒形が空になったと同時に、今まで薄暗くはあったが灯っていた光が消えた。

 暗闇の中に取り残された『太皇(スーグ)』の口から、低く掠れた声が漏れる。

「すべては人の手の届かぬところへ戻ったのじゃ……ユーノよ……アシャよ……既に道は未来にしか続いてはおらぬぞ…」

 祈りにも似た声の後、『氷の双宮』は重い沈黙に閉ざされた。

****************

 今までの話はこちら

 






Last updated  2020.07.03 00:02:23
コメント(0) | コメントを書く
2020.06.28
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

「…シリオンか」

 ふっと部屋の隅でいきなり形をとった気配に、ギヌアは目を開けた。半裸の体を起こし、乱れた白髪を掻き上げながら、相手を見つめる。

「は」

 低い声が嗤いを含んで響き、上げた白い顔が闇の中でにんまりと歪んだ。濡れた朱い唇が勝ち誇ったように動く。

「吉報を」

「話せ」

「ラズーンの東、崩れました」

「…何?」

 黒衣を羽織りかけていたギヌアの手が止まった。訝しくシリオンを振り返る。

「『銀羽根』の撤退を装った策、『穴の老人』(ディスティヤト)が戦いに加わったことで、戦局は我が方に有利に傾きました。追い討ちをかけ、『銀羽根』は『白の流れ』(ソワルド)の東で撃破、現在我が軍はラズーンの東へと迫りつつあります」

「『銅羽根』アギャンはどうした?」

「『泥土』に詰められ身動きできない状況、何れにせよ、あの位置からでは東の守りにはつけますまい」

「しかし、東へはユーノが『泉の狩人』(オーミノ)を率いて出るということだったが」

「未だその影もないところを見れば、『泉の狩人』(オーミノ)の説得に失敗したと思われます」

 シリオンの朱い唇が、一層禍々しく笑み綻んだ。

「時は来ました、今こそ中央の攻めに出る時…」

「…が、『氷の双宮』にはアシャが居る。迂闊には動けまい」

「アシャ・ラズーンなら……今や死の床におります」

「…何っ…」

 ギヌアの顔が一瞬強張ったのを、シリオンはどこか冷ややかに眺めた。

「お喜び下さいますでしょうな、ギヌア様? ジュナ・グラティアスがリディノ・ミダスを使って毒を盛り、アシャはまんまと引っ掛かったという次第…」

 シリオンは奇妙な笑みを浮かべた。

「我らが『運命(リマイン)』の長殿は喜んで下さるのでしょうな…?」

「何が言いたい、シリオン」

「いえ…夜伽の相手に重ねられるなら構わぬこと、が、戦にあっては、事と次第によっては我らの運命までも揺るがす…」

「…シリオン」

 顔を強張らせていたギヌアは、不意に薄い笑みを浮かべた。

「攻めぬ、と言えば満足か? アシャが死の床にいるのなら攻めるに忍びぬと命じれば、お前は納得すると言うのか?」

「…違う、と言われるのか?」

「私は動かぬ」

 ギヌアの答えに、やはりと言いたげな表情でシリオンの眉が上がった。自らを嘲笑うような皮肉な微笑に唇を吊り上げる。だが、その笑みは続いたことばに、意外そうな表情に溶けた。

「私は、な。まだ私が動くのは早すぎる」

「…と言われると?」

「『眼』に伝えよ。ラズーン内部から揺さぶりをかけろと。これまで己の生活にぬくぬくと浸っていた輩に、『運命(リマイン)』に攻め込まれる恐怖をじわじわと教えてやれと。流言、噂、あらゆる手段を通じて、あの外壁の中にいる平安に安心しきっている奴らに、不安を刻みつけろと。『氷の双宮』と『太皇(スーグ)』の存在を疑わせ、あの中にこそ人々を守る手立てがあるのに、それを自分達の王が独り占めにしていると思わせるのだ…………自分達の生活というものがどれほど脆いものか、それを知って動揺し始めた人間を襲うのと、『氷の双宮』があると絶対の安心に立つ人間を攻めるのと、どちらが御し易いと思うのだ、シリオン」

「…ギヌア様…」

「言ったはずだ。世を制するのは『運命(リマイン)』のみと。それ以上もそれ以下もない。始めも終わりも全ては『運命(リマイン)』の下においてこその生、それを望むと」

「…お許しを」

「甘いぞ、シリオン」

 ギヌアは頭を下げるシリオンに背を向けた。

「『運命(リマイン)』に降りた時から、私の頭は己の未来で手一杯、敵の身を思う余裕なぞない」

「では…早々に」

「うむ。しかし…リディノ・ミダスか…」

「は…『父娘揃って』宿命(定め)は『運命(リマイン)』にあったようでございます」

「生まれ間違いおった、な」

「御意」

 低い嘲りの嗤いとともにシリオンが気配を消し、ギヌアはもう一度ゆっくり振り返った。

 その眼には今までの紅蓮の焔を思わせる激しさはないだろう。或いはひょっとして、暗く頼りない、誰かの姿を恋うような色に染まっていたかもしれない。

「死の床に…いるのか、アシャ」

 薄く微笑む。

「まだ死ぬなよ…私が側に行くまで………お前の息の根を止めるのは……この私だ…」

 掠れた囁きは甘い翳りを含んで、夜闇に吸い込まれて行った。

****************

 今までの話はこちら

 






Last updated  2020.06.28 00:00:08
コメント(0) | コメントを書く
2020.06.27
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

「シャイラ?!」

 一瞬、友の声が耳に届いたように感じて、グードスは手近の兵を切り倒しながら振り返った。

 夕闇が迫る空、濁った朱の雲が不吉な想いを掻き立てる。

(シャイラ…)

 久しぶりに呼んだその名は、唇に苦い後悔の味を蘇らせた。

 『泥土』に果てかけた自分を救いに来てくれたと知っていた。が、同じ東の守りにつくというのにことばを交わすこともない再会に、互いの間は未だにあの剣で引き裂かれているのだと知った。

 リディノがシャイラに応じたと言う話は聞かなかった。風の噂に、リディノはアシャに恋い焦がれているのだと知り、アシャがラズーンに帰還した時には、なぜか心が緩むのを感じた。命に代えても友を失ってでもと想いを寄せた女性の、恋の相手が戻って来たのだ、うろたえ慌てていいはずなのに、胸に広がったのは、これ以上シャイラと離れて行かずに済むという安堵感だった。

 その想いは、こうして勝ち目のない戦いに身を投じていると、より鮮やかに湧き上がってくる。

(剣を…引き抜こう、シャイラ)

 打ち掛かってくる敵の刃を寸前で躱しながら、グードスは胸の奥で呟いた。

(剣を引き抜き、酒を酌み交わそう、シャイラ)

 動乱の闇、大地を染める地の紅、人の絆も揺らぐこの時代、だからこそ、誇りも何も投げ捨てて切れかけた結び目を繋ぎ直すのだ。人が人として真に生きるために、人が人としてただ一所懸命に生きるために、全てを越えてもう一度。

(今度こそ……この戦いが終わったその時にこそ!)

「アギャン公!」

「何だ!」

「兵が……動きます!!」

「何っ」

 グードスははっと彼方へ目を転じた。刻一刻、暗さを増す空の下、確かに兵の流れが変わって来ている。じわじわと油が流れるように西へ、ラズーンの方へ流れて行く。その証拠に、グードスに相対する勢力がみるみる少なくなって行きつつあった。

「今なら押せます、アギャン公!」

「待て!」

 勝ち誇ったように叫ぶ兵を制したグードスの頭は、その真の意味を悟って一瞬にして凍てついた。

 西へ戦いが流れる。それはつまり、西の抑えが効かなくなったということではないのか。

 シャイラが退くはずはない。逃げるはずもない。グードスはシャイラの気性をよく知っている。後ろに『守るべきもの』(ラズーン)を控えて、あのシャイラがその場を譲るわけはない。そのシャイラが抑えているはずの西へ戦いが流れたということは即ち、シャイラの死を意味するのではないか。

(シャイ…)

 胸にせり上がってくる熱いものを、グードスは必死に噛み殺した。血を吐くように一言、

「退け!!」

「は?」

「退くんだ!」

「し、しかし! 今なら我らが押せます!」

「馬鹿者! 『運命(リマイン)』の後ろからラズーンに攻め込む気か!」

「っっ!!」

「全隊後退! ヨルン!」

 抗議しかけた部下を叱りつけ、相手が怯むのをもはや取り合わず、グードスは険しい顔で側近の1人を呼んだ。

「はっ!」

「ラズーンへ走れ……東が崩れ、中央へ攻め込まれるのは時間の問題だ、と…」

「アギャン公…」

「失敗するようなら帰ってくるな、行け!」

「は…はっ!!」

 防衛線の背後を縫い北上して行くヨルンを見送ったグードスの心には、焦りが渦巻いている。

 ラズーンの東の防衛には、今誰が回されているだろう。『銅羽根』の残り少数と野戦部隊(シーガリオン)。何れにしても長く持ち堪えられるわけはない。少しでも東の兵力を減らしておきたい。が、グードスは既に防衛線を突破された身、追うにしてもかなりの速度で追わねば、逆に『穴の老人』(ディスティヤト)をラズーンに追い込む結果になる。

 あるいは…東の防衛線が保たせられるほんの僅かな時間に、勝敗を決することができる攻め方があれば、万が一の活路が開けるかも知れない。

(攻め方…)

「ゴーリック! エノン!」

「はっ!」「はいっ!」

「『飢粉(シイナ)』を手に入れろ」

「は…?」

「できる限り、大量にな。行け!」

 呼ばれた2人は、グードスの昏い表情にぞくりとしたように身を竦め、慌てて立ち去って行った。

****************

 今までの話はこちら

 






Last updated  2020.06.27 18:24:20
コメント(0) | コメントを書く
2020.06.24
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

「抜け、シャイラ!」

「グードス…」

 がらんとした部屋で、グードスと向き合ったシャイラは、相手の語調の激しさに呆然とした。

「剣を取れ。抜け、シャイラ……そうせねば…」

 グードスは床の上に放り出したままになっているシャイラの剣をあえて無視しながら、苦しげな声で続けた。

「俺達の付き合いを止めるしかない」

「グードス…」

 大人しい友だと思っていた。滅多に怒ったことのない優しい男だと。だが、それが心の底に秘めた激しさの裏返しだと気づいたのは、その時だった。シャイラに負けず劣らずの激情家なのを抑えようとしての穏やかさだったのだと。

 シャイラの声にグードスは目を伏せた。

「俺はリディノ姫を愛している。他の誰にも譲れぬほどに。そして、お前も彼女を愛している。俺と同じ激しさで」

 ゆっくりと目を見開く。灰色の瞳が陽を浴びて眩いような煌めきを宿していた。

「それとも、友情に掛けて、リディノ姫を俺に譲るか?」

「…姫は『もの』ではない」

 シャイラの弱い反論はグードスを納得させられなかった。瞳が強く光り、シャイラの返答を促す。

「………できん」

「では、抜け、シャイラ」

「…」

「お前に友情の欠片があるのなら」

 黙するシャイラに、グードスは言い募った。

 シャイラの心に様々な想いが交錯し通り抜けて行く。

 リディノは彼にとって唯一の守り神のようなものだった。無邪気な笑みを見る度に、どんな訓練の辛さも忘れた。柔らかに甘い声を聞く度、己の心がひとりでにリディノに向かって駆け出すのを感じていた。ミダス公の一人娘と一介の兵士が結ばれるわけはない。リディノの想い人はアシャとも聞く。自分などに望みはない。だが、何度己に言い聞かせても無駄だった。

 なるほど、世の中の全ての者はシャイラの想いを否定するかも知れない。けれど、いやそれならなおさら、己が己の想いを否定してしまうわけにはいかない。

 気づいた矢先、グードスからリディノへの思いを打ち明けられ、シャイラは愕然とした。10年来の友人の恋、叶えてやりたいのは山々、けれども己の心を偽るなら、リディノへの献身も偽りになる。

 考えに考えた挙句、同じ想いを抱いていると伝えたシャイラに、グードスはためらうことなく剣を打ち合わせることを望んだ。

 友情は変わらぬ、けれど愛を減らすこともできない。

 応じたグードスにシャイラは剣を捨てた。自分には友も愛しい人も捨てられぬ、と・

 だが、グードスはそれを拒否した。それは本当の友情でもないし、本当の愛でもない。真実はいつも、たった一つだ、と。

「………」

 シャイラは剣を拾い上げた。グードスが剣を抜き、構える。気迫を痛いほどに感じながら、シャイラは己の剣を持ち上げ、窓に歩み寄り、ゆっくりと手から下へ落とした。

「シャイラ…」

「……」

 無言で振り返れば、グードスは灰色の眼を複雑な色に染めて、シャイラを見つめていた。

「それが…お前の答えか」

「…」

「それが…お前の真実か」

「……」

「……くっ!」

 頷くシャイラにグードスは唇を嚙んだ。手にした剣を振り上げる。逃げようともせず目を閉じたシャイラの耳に、ダンッと激しい音が響き、足元が揺れた。目を開ける。石の床の隙間を削り込むように突き立つ剣と、その向こうに背を向けて歩み去る友の姿があった。

 取り残されたシャイラの頭に、アギャンの古い慣習が陽炎のようによぎって行く。

 互いの間に突き立てた剣は訣別の徴、死しても再び交わらぬ…と。

「ふっ!」

 突き出された剣に身を沈め、下から一気に突き上げる。モス兵士らしい男が喉首を貫かれ、悲鳴をあげる間も無く絶命して崩れる。返り血が頬に飛んだのをそのままに、駆け抜けざまに剣を引き抜くと、革袋から水が吹き出すように血潮が空を染めた。

(死しても人は交われるのか、グードス?)

「ぎゃっ!!」

「がっ!」

「くうっ!」

 削られた左腕が血を吐いて、シャイラはよろめいた。薄笑みを浮かべ、体を立て直す。

(何れにしても、答えは次の世で聞こう)

 不思議に、恋い焦がれ、そのせいで無二の友人まで失ったリディノの面影は淡かった。それよりもやはり、北で血みどろになって戦っているだろうグードスのことが、胸に深く刻まれた。

「ターズ! ティオベベ!」

(やられたか)

 ついさっきまで返事をしていた部下の名前に声は戻らない。雪崩を打って攻めてくるモディスン軍は、長を失って『穴の老人』(ディスティヤト)に追われて奔馬のよう、恐らくは『銀羽根』を突破し、この場を生き抜くことしか考えていないのだろう、死に物狂いでシャイラを襲う。漂う腐臭にむかつきを覚える間も無く大地を朱に染めて、シャイラは己の立った場所を死守する覚悟を決めていた。ほんの少しでも長く東を押さえれば、その分、ミダス公邸へ走ったジットーが、味方の防衛戦を強める時間が稼げる。

(もう少し…)

「っ!!」

 左脇腹に鋭い痛みを感じて、シャイラは跳ね上がった。気配を殺して忍び寄ったらしい『運命(リマイン)』の黒い姿がシャイラの体に剣先を埋めている。見上げてきてにやりと笑う、朱い唇の男とも女ともつかぬ異形の者の妖しい笑みに、ふっと意識の一部が崩され、シャイラは膝を折った。バキ、と骨が砕けた音を伴って『運命(リマイン)』の剣が脇腹を抉りながら押し上げられ、シャイラは激痛に気を失った。

****************

 今までの話はこちら







Last updated  2020.06.24 00:00:11
コメント(0) | コメントを書く
2020.06.23
カテゴリ:カテゴリ未分類

****************

 

「…そうだと言ったら?」

「!」「なんと!」「何を言われる、聖女王(シグラトル)!」

 堪えかねた叫びが上がった。互いを見交わし、再びユーノに眼窩を向ける。

「聞き捨てならぬ、ユーノ・セレディス」

「我ら『泉の狩人』(オーミノ)を愚弄する気か」

 殺気立つ狩人達を、ラフィンニがまとめた。

「ユーノ、我らはそのようなことのために、幾百の年を耐え忍んだのではない…」

「……では、何のためだ」

 唐突にミネルバが口を開いた。

「何のために『狩人の山』(オムニド)に籠り、聖女王(シグラトル)の帰還を待った」

 秘めた激しさをことばの端々に閃かせながら、

「聖女王(シグラトル)と共に、この山で消えていくためか」

「我らは長を待ち…」

 ラフィンニがたじろいだように呟くのに、ミネルバは被せた。

「長を待ち…それからどうするのだ、ラフィンニ。我らは『泉の狩人』(オーミノ)、狩こそが定め、獲物を仕留めてこそ、我らは己の生き様に誇りを持てる。長を待ち、再び敗退するのか、誇り高き我ら狩人が、あの『穴の老人』(ディスティヤト)の前に! 再び!」

「っ!!」

 ミネルバの白い手が、遙か東、宿敵の蠢く彼方の地を指し示した。ギクリとしたように、ラフィンニを始めとする『泉の狩人』(オーミノ)の面々が口を噤む。なおもミネルバは叩きつける。

「狩人にその者ありと言われた『死の長』が、みすみす獲物を見逃すのか!」

「………」

「私は嫌だ。あの想いを二度とは繰り返さぬ。長を敵地に残し、なおかつ秘薬を己が口にした愚かさ情けなさ、『魔』と化した今も、あの口惜しさは心を離れぬ。他の何が許そうとも、仮にも長より『生の勇者』と名付けられた、その長の心をこそ、これ以上裏切りたくはない。相手が『穴の老人』(ディスティヤト)ならば、なおのこと!」

 ミネルバの口調からは気怠い憂いが吹き飛んでいた。己の全てを賭けて宿敵に対面し、今度こそ勝敗をひっくり返そうという気概に満ちて、ラフィンニを見つめる。

 ゆら、とディーディエトの体が動き、向きを変え、ラフィンニの前に膝を突いた。

「長……ラフィンニ……どうか、私に追放を」

「ディーディエト…」

「…かつてセールは聖女王(シグラトル)の危機に『狩人の山』(オムニド)を抜けました。死ぬ寸前までセールが後悔していなかったことが、今、私にはわかります。……東へ向かいます、長ラフィンニ」

「…私も、長」

 カイルーンが身を翻し、頭を下げる。

「『穴の老人』(ディスティヤト)とは古い馴染み……あの時の決着はこちらの勝利だったはず。失うものとてない今こそ、思い知らせてやりたく思います」

「長…私も…」「…長」 

 続く声に、ラフィンニはしばらく沈黙していたが、やがて一歩、ユーノの方へ足を踏み出した。

 見下ろす。

「聖女王(シグラトル)よ」

「…」

 ユーノは無言のまま、しっかりと相手を見返した。

「…『今度こそ』……お帰りをお待ちいたしております」

「では長!」

「長ラフィンニ!」

 上がる歓声に厳しい声を放つ。

「カイルーン、ディーディエト! 両名手勢を連れ、『狩人の山』(オムニド)を降り、聖女王(シグラトル)をお助けせよ! 私は……この地を守る」

 くるりと背中を向けた。

「万が一の砦を失うわけには行かぬ」

「…懐かしい隊だ、ラフィンニ」

 ミネルバが低く呟いた。

「昔、長の元、よくこの隊を組んだ……私が先陣、そなたが守り…」

「言っておくが、ミネルバ」

 ラフィンニの声が、苛立たしげな、切なげな震えを帯びた。

「私はそなたを許したわけではない。今もただ、腹が立つばかりじゃ」

 ようやく半身振り返りながら、

「そなたばかりがいつも、聖女王(シグラトル)のお側におる!!」

「ラフィンニ…」

「皆の者! 用意をせよ! 『泉の狩人』(オーミノ)の名に懸けて、二度の負け戦は許さぬ!!」

「お、おう!」

 弓を突き上げて沸き起こった叫びに、『狩人の山』(オムニド)が微かに揺らいだ。

****************

 今までの話はこちら







Last updated  2020.06.23 00:00:12
コメント(0) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全4433件 (4433件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.