5.サヨコ・J・ミツカワ、アップ/増殖するメモ。
小説を書いていくときにやたらと増えていくものがある。 それはメモ。 書いている部分でふと思った疑問点(スライってのはいいやつなのか?)とか、他の人から指摘してもらったもの(『草』って何?)とか、いろんな本で気になったことば(脳波に影響を及ぼす放射線の可能性は?)とか、誰かとのおしゃべりでひっかかったこと(瞳の色が変わるんだ)とか・・・要するに、自分が書いているものにちらっとでもひっかかったものは、ことごとくメモしていく。 で、そのメモは折に触れて読み返し眺め返しながら、新たな疑問点を書きくわえたり(いいやつって何だ?)、調べるべきものを確認したり(資料参照!を○で囲む)、日常生活の中で体験とか認識を深めたり(瞳の色って日本人でも変わるかねえ?)、それらのこともやっぱりメモする。 あるいはまた、展開として踏んでおきたいステップや、できたらいれたいおいしいフレーズや、これだけは書くぞ!みたいなうひゃひゃシーン(どんなのさ?)も、メモする。 segakiの文字はうんとこさ汚いので、このメモ群はほとんど他者には確認不可能だ。 一度ダンナが覗き込みはしたものの、どうにも読めなくって悩んでたら、実はさかさまだったりした。なるほどってんで、向きを変えてもやっぱり読解不可能だった、という代物。 そのメモに、書き終わったやつとかもう関係ないやつとかを棒線で消したり、もう一度考えようって赤丸つけたり、同じことを四回も書いてるよ、ってんで整理しようと切り貼りしたりするんで、ますます何がなんだかわからない物体になる。あげくのはてには。五枚あったのがどうしても三枚しかないってゴミ箱あさってうろたえて探し回ったりしたら、その実、裏表で五枚分と言う笑えない事態もあって。 ノートの方がばらばらにならないし、どんどん書き込んでもいいんじゃないかとやってみたこともあるけど、これがダメなんだ。 なんというか、構え過ぎてるというか、あっちのものをこっちへやれなかったりするし、その紙のものを一通り終わらせたからと言って捨てるわけにはいかないし。 そうこれらのメモ群は中盤か詰め前後までひたすら増殖し、それから以降はどかどかと捨てられていく運命にある。 で、最後になると、それでも入れ損ねた幾つかのポイントを書いた一枚程度を残してあっさり消え去っていくのだな。 で、この一枚は大事に残されて、次にかかる小説の最初の一枚になったり、続編の最初の一枚になったりする。中には、その一枚がメモ入れの中に放り込まれて、何年も、あるいは永久に寝かされてたりもする。そういうメモは、きっと書き上げた作品の数十倍はあるだろう。 デッサンのようなもの、なのかもしれないな。 幾つも、あちこちから、いろんなところをかいてみる。 気に入ったり入らなかったり。色の選択や構成なんかもここで考えているのかも。 だから、話が長ければ長いほど、複雑であれば複雑であるほど、しんどければしんどいほど、segakiはごちゃごちゃしたものを抱えてうろうろと移動することになる。 だって、ほらさ、一応主婦なもんで、書き物机はないのよ。空いてる場所で書くの。こたつとかテーブルの隅とか食器棚の端とか洗面所の壁とか(をいをい)。 あ、そうか。だからメモなんだよなー。思いついたときにどんどん書き留めてくもんだから、ノートを広げる場所がないときの方が多いんだわ。 だから、どこに行くにも、メモと鉛筆を持ってうろうろ。エプロンのポケットに入ってるときもあるし、普段人がいないときには食卓のテーブルには基本的にはノートとメモが広がってる。 こう書くと随分悲惨な状況みたいだけど、今はパソコン前っていう定位置もあるし(をいをい・・ダンナがひきつってるって)、まとめにかかるときは「ええいっ、そこのけーっ、segakiが書くんだあああっ!」状態で占拠するから、どっちかっていうとあちこち妙な場所でメモ取るのは、単にいちいちテーブルまで戻ってくるのがめんどいだけかもしれない。 そして今はじわじわとメモが増えていっている状態。 でもって、読んでる本とノートと資料とメモをまとめて持ち歩くsegakiの移動は次第に大掛かりになってくるのだな。 そのうちに家の中で鞄でうろうろしたりして。 おや、どちらへお出かけ、segakiさん? ええ、まあ、そこのこたつまで。 ・・・・暇なやつ・・・。