神慮に依る 「野辺地ものがたり」
第 二十六 回 目 ― 以上が道元著「正法眼蔵」の 現成公按 の拙訳でありますが、この思想の実践が 只管打座(しかんたざ) となり収斂している。各自がそれぞれの 身心脱落 の行によって「仏」となる道である。「ほとけ」とは道元によれば、「もろもろの悪をつくらず、生死に着するこころなく、一切衆生のためにあはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろずをいとふこころなく、ねがふこころなく、心におもふことなくうれふることなき、これを佛となづく」と言っていますよ。 一般に、新しい考えや思想は、独創的な文体によって初めて可能になるのであって、そういう意味では 「何を」・what よりも「如何に」・how の方がより大事なことなのが納得できますね、実際のところ。 WHAT IS HE What is he ? ― A man , of course. Yes , but what does he do ?― He lives and is a man . Oh quite ! But he must work . He must have a job of some sort . ― Why ? Because obviously he’s not one of the leisured class. ― I don't know . He has lots of leisure . And he makes quite beautiful chairs . ― There you are then ! He 's a cabinet maker . ― No no ! Anyhow a carpenter and joiner . Not at all . But you said so . ― What did I say ? That he made chairs , but I did not say he was a carpenter . All right then , he's just an amateur . ― Perhaps ! Would you say a thrush was a professional flautist , or just an amateur ? ― I 'd say it was just a bird . ― And I say he is just a man . All right ! You always did quibble,「彼は、何者ですか?」、「人間です、もちろん…」、「そうでしょう、でも、何をしてるのですか?」、「彼は生きている、人間としてね」、「ああ、なるほど!で、彼は働かなくては、つまり、何らかの仕事をしなくてはならない筈だが…」、「なぜ?」、「何故って、彼は明らかに有閑階級の人間ではないからね」、「分かりませんね、彼には自由な時間がたっぷり有りますよ。その上、彼は見事な椅子をいくつも作っている…」、「だから言ったでしょ、彼は家具職人なんですね」、「いえ、いえ、違います」、「大工とか建具屋とかの、そう言った類の…」、「まるで違いますよ」、「でも、あなたはそう言いましたが…」、「その様な事は、何も。椅子を作る事は言いましたが、大工さんとは言わなかった」、「分かりましたよ、じゃあ彼はプロではなく、趣味としてやっている…」、「多分。所であなたは鶫(つぐみ)のことをプロのフルート奏者といいますか、それとも、単なるアマチュアだと…」、「単に、小鳥だと言いたいですな」、「ですから、最初に単に、人間だと…」、「もう、結構。あなたは何時でも言い逃ればかりする人だ」 これはイギリスの作家、D・H・ローレンス(1885―1930)の詩です。一事は万事といいますので、この様な何でもない詩にも、ローレンスらしさが出ていて面白いと思って取り上げただけで、これが優れた詩人でもあった彼の代表作というわけでは、決してありません。 人は、色眼鏡やレッテルを介してしか他人を見ようとしない。分かりやすく誤解を恐れずに断言すれば、自分に都合の良い解釈を他人に押し付けて、相手を断罪し、自分だけが安全地帯に立って他者を、勝手気ままに、思う様(さま)に裁き、悪者の烙印を押して憚らない ― 、少し言葉が過ぎたであろうか。しかし、少なくとも私・草加の爺は その様な目 に数多く遭ってきていますよ、出る釘は打たれるの諺の如くに…。これでも、置かれた環境の中では「エリート」であり「出る釘」であったわけでして…。