近松の作品を読む その三十六
中 之 巻 京都に近い岡崎村に分限者の下屋敷をば両隣りにして、挟まれてしょんぼりとして気力のない鳥の如き浪人の巣、その取り葺き屋根(屋根にそぎ板を並べ石又は丸太等で抑えた屋根)。見る影もない細い釣り行灯(門に吊るした行灯)、太平記講釈(客を集め、太平記を読み聞かせて銭を乞うこと。太平記読み、後の講談)赤松梅龍と記しているのは、玉のためには肉親の伯父であるが、奉公の請けに立ち世間向きには他人のようにして暮らしている。 講釈が終了すれば聞き手の老若男女が出家混じりに立ち帰る。何と巧みで上手な講釈ぶり、五銭では安いもの、あの梅龍ももう七十歳でもあろうが、何事にも理窟をこねそうな顔付き、ああ、良い弁舌じゃったと客同士で会話している。楠の湊川合戦は面白い中での頂点で、身振り手振りで講釈をやられたので本物の和田の新發意(ぼちは新たに仏門に入った者の意で、和田賢秀、入道して新発意と称し、楠正行とともに四条畷で共に戦い、正行の死後は敵陣に潜入して高師直を狙ったが果たさず戦没した)が立ち現れたようだった。偉い勇士であったな、いずれも又明晩お会い致しましょうと、散り散りに別れるのだった。 大経師助右衛門が駕籠を先に押し立てて、梅龍、宿におるかや、と言って門の戸を開けようとすると門の鍵は既に下りている。はて、門を閉めた閉めないと言っても、盗人に盗られる物もあるまいが、と割れるばかりに戸を叩く。梅龍は内から突っ慳貪で愛想のない声で、喧しいぞ、何者じゃ、この家に聾はいないぞ。講釈なら明日来い、明日来い。いやいや、講釈などは聞きたくはないぞ、大経師以春の手代の助右衛門じゃ、至急に会わなければ事が収まらない。そう言って戸をしきりに叩けば、忙しない奴じゃ、開ける時間もいるのだとにょっと姿を現した白髪交じりの総髪(月代を剃らずに髪を全部生やして頂で束ねたもの。医者・山伏などの髪の風)のせむし僧、紙子の広袖、皮柄の大脇差、や、助右殿、夜中にけたたましい、何の用でござると言えば、何の用と言えば落ち着きが過ぎる、この間から毎日人をよこしてそなたが請け人にたっている玉の事で用があると言わせたのだが、酢の蒟蒻のと言を左右にして我が儘言う保証人が何処の国いるか。今月の一日に、明ければ二日の暁に、旦那が外から帰った門口で擦れ違うようにして手代の茂兵衛めが内儀のおさん女郎を唆して走り出た。あれあれと言う内に行くへが知れなくなった。 詮議をすれば、玉めが寝所におさん女郎と茂兵衛めが寝た体で、玉めはおさんの寝間に入れ替わって寝ていた。そうであるから、玉は主人の内儀の間男を仲立ちしたわけで、同罪は免れないところ。おさんと茂兵衛を探し出すまで身元保証人ではあるし、内実は伯父であり姪である。そなたに確かに預けに来た。二人の者が磔になれば、玉は獄門さらし首の刑だ。確かに預ける、そりゃ駕籠入れ、と駕籠を舁き込む所を梅龍が棒の端を掴んで、二三間押し戻し、これ、お手代、この赤松梅龍の姪などをむざむざと町家の奉公になど出す筈もなく、二親もいないやつだ、ようやく伯父が太平記の講釈で、暮れ六つから四つ時分(午後六時から十時)まで口を叩いて、一人につき五銭づづ、十人で五十銭の席料をもらって露命をつないでいる。素浪人の伯父の力では絹物を着せて腰元(身分ある家に仕える侍女)奉公させることも出来ない。大経師の家は常の町人とは違い国王や大臣でさえ一年の鏡となさる、暦の商売、日月の運行を明らかに示すものだから結局は日月に奉公させるのだと観念して、大経師手代衆に参る奉公人玉、請け人赤松梅龍と判を据えた。それは姪が不憫であったからだ、自分がまだ鄕国にいた時分は人並みに武士の真似をして振る舞い、托鉢僧の報謝米程の碌を取ったこの梅龍だ、罪の嫌疑のある者の受け渡しにはそれなりの仕方があろう。この家は僅か三間にも足りない小借家だ。周囲に小溝を掘ったり掘らなかったり。薄壁を一重塗ったけれども自分にとっては千早の城郭(河内国金剛山の中腹にあり楠正成がこもった城)も同然、六波羅の六万騎にも落とされまいと思っている場所だ。此処をどこと思って見苦しい駕籠舁きの泥ずねを、さあ、改めて渡せ、と弁舌は講釈で鍛えており事の道理は太平記、成り形は安東入道そのままに理屈を捏ねているようだ。 嫌にもっともらしい理窟ずめの脅かし、止めてもらおうか、武士でも侍でもこの助右衛門は何ともないわい、改めて受け取れと、駕籠を打ち明けると、高手小手の縛り縄に引っ立てて引き出す、玉は涙で目も顔も水から出たかのよう。伯父様、面目も御座いません、わっと叫んだ顔を見て鬼のようであった梅龍も涙を喉に詰まらせて歯噛みをするのも道理であるよ。 玉は恨みの身を震わせて、これ、助右衛門、物事には斟酌ということがある、色々な扱いがあるものだ。おさん様と茂兵衛殿が一緒に退いた上ですから、間男ではないとの言い訳は立たないけれども、こういう羽目に落ち込んだ元の起こりは、以春様の浮気です。そなたの心の拗けからおさん様に惚れた惚れた間男というのはそなたの事です。腰元のかやを騙して、何だかだと物を遣り、艶書の取次を頼んだのも私は知っています。もう少しで告口しようと考えたけれども、いやいや、人を損ねることだ、いずれにしてもおさん様に傷をつけなければよいと思い、この玉が厳重に見張りをしておさん様の側を少しも離れないようにしたので、かやも言い出す折がなかった。それで私を煙たそうにして、そなたの文を焼いていたのを見ていますよ。それを根に持って針を棒に取りなして、このような間違いが起こるように事を運んだ。私を磔にして、かやめをちょうど今の私のような状態に縛り付けて、獄門にかけられる奴ではあるが、この玉の慈悲心ひとつで助かったのだ。事件が起こった後の最近にその事言おうとすれば言い消し、言い消しして人非人め。慈悲が仇になったかとかっぱと伏して泣いたところ、このふんばり女め、血迷うて何を抜かすか、請け人に確かに預けたと言い捨てて立ち帰ろうとする。 梅龍は飛びかかり、盆の窪を引っつかんで引き上げれば、足を爪立てて、これ、何とするぞ。何とするとは玉を縛ったことさえ有るまじきことなのに、町人の分際で罪人に対する本式の縄のかけ方をしたのだ。早急に訴えでて処刑にふすべき奴であるが、御免なされと抜かして解きおるか。解きおるかと締め付けた。 あ痛た、痛た、唯の町人とは違って禁中のお役を勤めるので本縄にかけても大事はない。解いて欲しいならばそっちで解け。 やあ、うぬめは縄を付けて預けるのさえ昔からは無い無礼千万な仕方であるのに、禁中の御用を聞く町人は本縄かけても大事ないとは、何処から出た掟じゃ、お上の威光を軽ろんじた慮外(無礼)者め、どんな目に遭わせても大事はない、と駕籠の棒を引き抜いて力任せに七つ八つと息も絶え絶えになるほどにぶちのめされて、おのれ、助右衛門をぶったな。おお、ぶったぞ。この俺がぶったのが誤りか。町人の分際で本縄をかけたのが誤りか、御裁き所で埓を明けよう。さあ、一緒に来いと引き立てれば、それならば待っておれ、縄を解こう。おお、解かせないで置くものか、もう一つ棒を喰らうかと手強く叱りつけられて、不承不承(ふしょうぶしょう)に縄を解くのだった。 こりゃあ、確かに預けたぞ、この村の庄屋にも届けを出してから帰るぞ。ちょっとでも取り逃がしたら請け人共の首が飛ぶぞ。合点か、まだ減らず口をきいているのか、と頬骨に三つ四つ拳骨を食らわしてから玉の手を取って内に引き入れて、掛けがねをはたと掛けたのだ。 駕籠舁きの連中は気の毒がって、今のはひどく痛みましょうね。駕籠でお帰りなされと勧めれば、助右衛門は顔を抱えて、この筈この筈、今年は此処が金神(こんじん、陰陽家が祭る方位の神。この神が宿る方角で物事をなしたことへの祟り)に当たったのだ。殊に今日は土用の入り、それでか跡がずきずきと痛む。暦のことは争えぬと減らず口を叩いて帰るのだ。 乱れた麻のようになまじに結び合った為に、辛い思いをするおさんと茂兵衛は夢さえ恋してはいなかった恋仲になり、連れて走ったその日でさえ、茂兵衛の肌につけていた紙入れにはたった三歩(一歩は一両の四分の一の価格の金貨)の金しかなかった。以前には思いもかけなかった旅の空、おさんの肌着を金に替えて、一枚の白の肌着の上に芦に鷺の裾模様をつけた黒茶染の着物を着て、足に任せて奈良や堺、大津、伏見をうかうかと夫婦ではない夫婦として、神仏にも人にも疎まれ果てた身の上、互の心が恥ずかしくて顔を打ち上げて顔と顔、見合わせては顔を赤らめ、涙の他に言葉はないのだ。 ねえ、茂兵衛殿、どうせ私らは今日だけあって明日はない。命を惜しいとは思わないが、愛しや玉はどうなったのだろう。案ずるのはそのことばかり、ただ床しいのは父様母様、どんなに思い諦めても逢いたくて仕方がありませんとむせ返って、歩みかねて泣くのだが、おお、会いたいのはお道理です、我も何かと目をかけてくださったお主筋の方々です。お名残惜しさの気持ちは同様です。此処があのお玉の在所の岡崎です。あれ、あの行灯の出たところが即ち伯父の宿、ここに訪ね寄っておさんの実家の様子やら、玉の噂などを聞こうと存じて参ったが、内の都合を聞き合わせず案内を乞うのも不躾でしょう。と軒に立ち寄って伺えば、内では玉が泣く声がして、何を言っているかは分からないが、口説き言。叔父の梅龍の声がして、やい、玉、この本はこの俺が毎夜講釈をする太平記の二十一巻目だ。尊氏将軍の執権、高師直と言う大名盬冶判官と言う、これも歴々の武士の妻に心をかけ、末代まで悪名を残し、鹽冶判官もそれゆえに命を落としたのだ。もと侍従と言う女が媒介して起こったことだ。おさん殿と茂兵衛とが真実の間男でないと極まったとしても、二人は手を取って駆け落ちをされたのは定まった。この二人に何処で会ったとしても、万が一に此処へ訪ねて来たとしても、必ず必ず物を言うな、見ぬ顔をせよ。こう言えば二人に対して無情であり、水臭いようではあるが、そうではないぞ。間男と言う浮名のたった二人の仲に仲立ちしたと言われているそちが混じって三人になれば、素振りだけでも人に見られでもしたら、そりゃ、一つ穴のいたずら狐と、一緒に寄ったのはやはり玉の仲介だったと、おさんと茂兵衛の不義は決定したと、言い立てられては益々科が重くなるぞ。この点をよく合点せよ。つれなく当たるのは却ってお為じゃぞ、この事故にそなたも縄目の恥を受け、今のように預けられた。そうである以上は同罪も免れ難い。首を切られ手足をもがれ、試し斬り(罪人などを刀の切れ味を試す為に切る事)の材料にされてしまうにせよ、主と頼んだ人の為に命を惜しむな、梅龍の姪だぞ。最後は清く死んでくれ。そう言う言葉が聞こえてくる。 それは気遣いなさらないで下さいな、とうから覚悟は決めています。伯父ひとり、姪ひとり、私が死んだら伯父様がさぞ心細く思し召されるでしょう。茂兵衛殿はどうしておられることでしょうか。愛しいおさん様は何処でどうしておられるでしょうか。常が気の弱い正直な心を知っている私ですから、何やかやと心配でなりませんよと泣きいれば、梅龍も、おお、そちが愛しく思うおさん殿、身は下立ち売の親御達の嘆きが思いやられると、内では伯父と姪が口説き泣き、外では二人が立ち聞いて涙を漏らす戸の隙間、声のない冬のきりぎりすも壁にすがって鳴いている。