近松の作品を読む その四十六
山崎與治兵衛 壽(ねびき、根引き、身代金を出して遊女を遊廓から請け出して妻妾とすること)の門松 上 之 巻 筑波根の峯より落つる、それではないが、瀧の白玉、一二三四(ひいふうみいよ)、五六七八(いつむうななや)、九軒の町(新町遊郭の一劃)に羽を突き交わす、それではないが、比翼の鳥、羽子板・木患子(むくろじ、木患子の実は羽子の玉となる)ならぬ少女の禿も磨きをかければ美しい遊女となる。 恋の二葉の禿(かぶろ)松、枝と枝とを遣羽子(やりばね)も、三四(みいよう)、いつも末長い(禿の返事はいつも語尾を長く引いた)返事に馴れる門の松、抱えの松・遊女の大夫もある。 客も待つ、先づ新町の初子(はつね、正月の初めの子の日、この里には生きた松・大夫がいて根引き・身請けが絶える事はあるまい。 これこれ、新介、嫌と言う物を無理に突いちゃって、それ見やの。羽子(はね)を突いて門松にかけてしまった。元のようにして返しておくれよ。そう言って袖に取りつく禿ども。 取りつかないでくれよ、男に突かしたらあのように止まるとは頭から知れたことだ。分かり切ったことを今更らしく言う物だと振り離し、手を叩いてほっほらほ、こちゃ知らぬぞ。安倍川のしんこと洒落を言いながら、新介は走って奥に駆けこんだ。 そりゃそりゃ、逃がすな、捕らえよと羽子から起こって諍(いさか)いは飛ぶが如くに追って行く。 情・口説(くぜつ、口喧嘩)の萌え出る、雪間に素足(遊女は雪の有る冬でも足袋をはかなかった)、雪間の若菜とは事変わりこの里では新春早々から痴話喧嘩の種が尽きない。 伽羅香が薫る霞の袂、虹の帯、雲の上着をゆったりと着なして、新艘・突出の遊女たちがきらびやかな衣装をつけて一段と美しく見栄えがする。紺に欝金(うこん)に薄染め浅黄、織物・縫物・染物尽くし。小紋・三重染・二重染、浅黄・鹿の子に鶸(ひわ)鹿の子、紫鹿の子に古い年の憂さも忘れて消す、芥子の紅鹿の子、極彩色の絵の様な越後町、廓の三筋町に年と月と日の三つの初めである元旦がやって来たので、松・大夫は若緑、若葉の色も瑞々しく、梅・天神は時節を迎えて益々あでやかな姿を競い、遣り手が前垂れに茜(あかね)色で美々しく飾り、天も酔ったが人も酔う。 初盃の内祝い、過ぎて諸礼の妓揃(よねそろえ)、雪駄の音のしゃらしゃらと春めく中に、紫の色は古代から色の司(つかさ)であり、藤屋の内、吾妻と言う名木(めいぼく)の松に続く花もない。 恋と利発を目の張に情にこぼれる道中姿は、往来(ゆきき)の人も立ち止まり、花を見捨てる雁がねも帰りくるであろう、廓での晴れ所。身にも年にも恥もせずに七十ばかりの古婆が古綿帽子(真綿を平たくして作った帽子)の頬被り、春知り顔に七つ屋・質屋の蔵から請け出して来た鴬茶色の婦人着物、布子の袖を摺れ縺れ附き纏行く足元、遣り手のかやが声高に、これ、ここな婆様、この広い道を何ぞいの、高砂の尉が姥と離別した様な形で大夫さんに摺れ縺れて、えい、嫌らしい、こじたたるい(甘ったるい様子)。あの跡から同じようについて来る若い男はまんざら駕籠舁きとも見えないが、こなたの連れですか。とっととのいてもらいましょうか、押しやったのだが腹も立てずに、おお、お道理さまや、御免なされませ。音に聞こえた吾妻様、お慮外ながらしみじみとお話申したい事が御座いまして、廓の中をぶらぶらと致して居りました。どうぞお聞き入れなされてお情けに預かれば、婆の後生も助かります。 大事な、大事な大夫様に塩の辛い梅干し婆が酔狂で物好きと思召しなさろうが、お恥ずかしい事です、と言ったところ、おお、いや、柄にもなく駄洒落を言う、この女郎さん達の全盛を見かけて、姥の祖母のと言う騙り事は古い、古い。その為の遣り手じゃ、これ目が黒いであろうに。見ておきなさいよ。 ねえ、怖い事を言わないでくださいな、騙り事を言うように見えますか。ああ、貧乏はしたくない。亡き夫は船場で隠れもない、千貫目の廻しもした難波屋の與左衛門。為替の金が滞(とどこお)って大阪を仕舞、八幡(山城の国の綴喜・つづき郡・こおり)に引き込み果てられた。その難波屋の婆で御座る。 あの頬被りの男は独り息子、いたって裕福な環境の千貫目の大釜の湯気で育った奴ではあるが、今では銭の一貫目さえ融通が利かない。難波屋の與平と呼ばれるべきなのを貧窮して軽んじられ、難與平、難與平と軽蔑されて、その日暮らしの日雇人夫ゆえ騙り見えるのも道理です。と、老いの繰り言目に涙、問わず語りに古を思い出した風情である。 曳き舟禿(大夫が連れた供の遊女)が遠慮なく、むむ、踊り唄に謡うのは婆のことか、えいえい、山崎な、山崎な、八幡山崎、難與平のお婆。 やあ、この誠に金を出せさ。盆にござれと笑ったのだ。 吾妻は始終貰い泣きして、皆の衆は何を笑うのですか。恋故の没落であろうがなかろうが、勤めする身の習い、落ち目と聞けば見捨てられない。吾妻を見込んで頼むとは、愛しい婆(ば)さん、傾城冥加ですよ。聞く気でごんす。此処は人立ちが多い。引き舟や、ちょっと横町の小店(こだな)を借り上げて下さい。どうぞこちらへ、こちらへと、手を取れば、涙を流して忝なや、忝なや。お話し申すことと言いましてもこの婆がこの年で、何の願いが御座いましょうか。月とも星とも思うのはあの與平め、いつぞや人に雇われての新町に文の使いのついでに、吾妻様を見初めて、ほほほほほほ、親の口からああ、おはもじ、恋病に患います。家主や隣への聞こえもあり、乞食になる前兆かと、叱って叱って追い出しても、退けようと存じたのですが、ああ、昔の身ならば若い者の手かけ、妾と言う最中に、口幅ったいことですが大夫様達を一年や二年買いつめたとしても、びくともする身代ではなかった。その気で育った奴のこと、ああ、可愛い、どうにかしてやりたいと母親の痩せ我慢も我が子の望みも、金銀という兵(つわもの)にはまたしても圧し付けられて見殺しにする子の命。 気になさるな、情けを商売になされる吾妻様だ。お願い申してお盃を頂かせましょう。それで思い切りなさいな。彼奴(あいつ)を連れて大夫につきまとうのも子が可愛いため。母の命が一夜さの傾城代になるものなら、今でも死んで見せましょう。押しつけがましい事ではありまするが、ちょっとばかりのお盃、これで上がって下されと、袖から取り出した小半(こなから)入り(二合五勺、一升の半分を更に半分にしたもの)の徳利には余る親心、欠けた盃の蒔絵の猩々、みすぼらしい徳利と盃に思わず笑いが込上げたが、その親心の切なさにやがてそれが涙を誘う種となった。泣くことを知らない遣り手でさえ横を向いて涙を隠すのは実に哀れだ。 話を聞くほどに吾妻はおし俯いて、恋に思いやりのある捌けたお婆さんですね。私には言う言葉が見つかりませんよ。與平様は何処にいらっしゃいますか、御顔が見たい。いらっしゃいな、と呼ばれて婆も急に生き返ってようになり、千歳を祝う門松の陰に隠れていた難與平、指をくわえて這いだしたのだ。 袖口取って引き寄せ、惚れた、惚れたと人毎に心にもない口先でけの決まり文句を言われても、相手をする身にはまずは誉、豪勇無双の公平(きんぴら、寛文頃に流行した公平浄瑠璃の主人公)の様な男を煩わしたのはこの吾妻です。嬉しゅうござんす、忝い、命にも替え身にも替え、逢い通したいものですが恋と言っては、少しの詞も交わされない深く言い交わした男があるのですよ。山崎の與次兵衛様と申して、新艘(しんそう、禿から一本になったばかりの遊女)の初床から、面白いのと、悲しいのと、およそ男女の情愛の全てを経験し尽くしたお方、勤めとは名ばかりで、夫婦同然の仲。他には誰ひとりとして真情を傾ける人はいません。と、言っても母御様の御真実、切ないお前のお心入れ、立ちながらのお盃に汲み流すのも本意ではない。これ、重山や、預けた物を此処へ。あい、答えて引き舟が袂の内の袱紗物、山吹色の小判で十両ばかりの一包み。此れも可愛い山様故の譯のある金ではあるが、母御様に進ぜます。與平様の身の廻り立派な大尽に仕立てて下さい。普通一般の客に身を売るのは、傾城の身の習い。枕をこそ交わさずとも年月の物思い、酒で流してくださんせと、渡した小判を難與平、吾妻の膝にどっと投げつけ、酷い仕打ち、情けない仕方。おりゃ、金には惚れぬぞ。貧な者と侮って金で口を塞ぐのか、我等が宿は庭も入れて七畳半、貧乏神の御旅所と言えそうな住居、師走正月も同じ布子一枚だけであるが、傾城から金を貰って揚屋に行ったと言われてはこの與平、人の中に面が出せない。 恋と見せかけて、内実は金をせびると見たのは目利きが狂ったぞ。吾妻様、七十に余る母まで騙りの同類かと人から顔をじろじろと見られ無念で御座る。許して下され母者人と声を忍んで泣いたのだが、ああ、よく思えば恨んだのは不調法、こちらのしくじりだった。追っ付け與次兵衛殿に請け出され奥様に直る御身、我等は日傭取りなので内方に雇われて、沙汰でもすればお身の為に悪いと、将来の事を先繰りして大事になされるのは御尤もです。御尤も。気遣いなされるな、ふっつりと思い切りましたぞ。口先だけの恋でない証拠はこれですと、腰の小刀を引き抜いて既に小指に引き当てれば、吾妻は取り付いて、待ってくださいな。私が誤りを致しました。と、ようように押しとどめて、金を進ぜたのは誤りですが、将来の身の落ち着きを予想して、金で事を済まそうなどと考える、そうしたさもしい根性の吾妻ではない。 與次兵衛様には幼馴染の本妻があり、父御様は隠れもない石の如き堅物です。わしから起こる御宿のもやもや、與次兵衛様のお家のごたごた事は、悋気やら御異見やら、去年の十二月の二十日前にちょっと逢って、それからは無首尾(都合が悪くて会えない)、無首尾の文ばかり、文使いの駕籠の者や揚屋への附け届け、正月初めの物日(廓の祝日)にかかる莫大な諸費用もわし一人の胸算用、廓へ奉公の年季がまだ残っている上に、更に年季を増して金を作り、男の恥を包んでいる始末。廓から足が抜けないこの苦患((くげん)、廓で婆になる吾妻ですから可哀想と思って下されいと、恥も哀れも打ち明けて思わずも漏らした正月の涙だ。 顔に憎からず、絞る袂の上、単衣の打掛を脱ぎ帯解き、逢う夜の床の温まり、また逢うまでは冷まさないと深い仲のそれではないが、中着は烏羽玉の黒羽二重、蛇の目の紋、與次兵衛様のお小袖、しばしも身を離していないが、これが私の心の精一杯、是を着て表向きの客になって下さいな。 そう言って小袖を渡せば難與平は、これが誠の御情けです、私の恋の思いが届いたも同然です、押し頂いて泣くばかりなのだ。 母は始終つっくりと、のう、御傾城の委細を尽くしての談判は難しそうなことやと、耳を澄ましていたのは殊勝である。 與平は涙を押し拭い、お前様に逢って真実の涙を覚えました。金の草鞋で尋ねて二人とはいない女郎に思われます。與次兵衛殿は羨やむべきもの、着物も戻しましょう。代わりには以前の御金を頂戴いたしたい。と、小判を受け取る手を母がはったと打ち、やい、卑怯者め、今の詞がもう違ってしまったぞ。難波屋の家に疵をつけるのか、下卑た奴め、と叱られて、與平は頭を振り、いやいや、自分の欲から貰うのではない。吾妻様と與次兵衛殿はこれ程の深い仲、聞き捨てにしては男が立たない。この金をこのままおけば揚屋の庭銭(遊里で客が祝儀として出す金。此処は、紋日に遊女から揚屋の主人に渡す心づけ)、埃になって廃るでしょう。小判と言えば小判ですが、元はと言えば吾妻様の苦労の塊です。金を俺が預かって、こっちも身から油商い(身から脂汗を流して働く事)、どか儲けもすればどか損もする。 身軽にすっと江戸に下って、十両を百両、百両を二百両に、弐百両から五百両、段々ととんとん拍子に金を儲けて千両にするのは三つ羽(ば)の征矢(そや、矢の柄に走り羽、外懸け羽、弓摺り羽の三羽をつけた矢、速力が速いことにたとえている)、関東方面への商品輸送の経路は我が家の先代が開拓している、吾妻様を身請けして與次兵衛殿と添わせ、お二人の悦びの顔を見て、今日の情の御厚恩に報じなければこの難與平、男が立たない、男が立たない。