近松の作品を読む その六十六
後ろで與兵衛が邪見(殺意を孕んだの意。邪見は無慈悲、残忍の意)の刀を抜いて、待っているのだとは見もしないし、知らないで、祝って節句をお仕舞いなされ。こちの人とも割り入って(折り入って)相談して有る金ですから役に立てまいものでもない。五十年六十年の夫婦の中も金のことはままにならない女の常です。必ず私を恨んでは下さるな。そう言ううちに灯火を受けてきらりと光る刃の光にお吉はびっくりして、今のは何ですか與兵衛様、いや、何でもござらぬと後ろ手で脇差を押し隠した。 それそれ、きっと目も据わって、のう、恐ろしい顔色(がんしょく)、その右の手を此処へ出しなさいな。おっと、脇差を持ち替えて、是れ見さっしゃれ、何もない、何もない、そう言うのだがお吉もわなわな身を震わせて、ああ、こな様は小気味の悪いこと。必ず側に寄らずにいてくださいよ。 後退(しさ)りして寄る門の口、明けて逃げようと気を配るのだが、はて、きょろきょろと何が恐ろしいのです、と付け回し付け回しして出合えと喚く一声、二声を待たずに飛びかかり、取って締め、音骨(おとぼね、声を卑しめて言う)立てるな女めと、吭(ふえ)の鎖(喉笛、気管)をぐっと刺した。 刺されて悩乱(のうらん、身悶え)手足をもがき、そんなら声は声は立てまい、今死んでは年端もゆかない三人の子が流浪する(途方に暮れる)。それが可愛い、死にたくはない。金も要るほど持って御座れ。助けて下され與兵衛様。 おお、死にたくないのは尤も、尤も。此方が娘を可愛がる程に、俺も俺を可愛がる親仁が愛しい。借金を返して男を立てなければならないのだ。諦めて死んで下され。口で申せば人が聞く。心でお念仏、南無阿彌陀、南無阿彌陀仏と引き寄せて右手から左手に太腹に割いては抉る。抜いては切る。 お吉を迎いの冥途の夜風、はためく門(かど)の幟の音、煽(おうち、吹き起こる風)に売り場の火も消えて庭(土間)も心も暗闇に、打撒く油と流れる血、踏みのめらかし(踏んで前方に倒れ掛かる)踏み滑り、身内は血潮の赤面赤鬼、邪険の角を振り立ててお吉の身を裂く剣の山、目前に油の地獄の苦しみ。軒の菖蒲(あやめ)の刺した物で千々の病は避(よ)けるけれども前世からの過去の病苦・災難は逃れえない。菖蒲刀(端午に飾る木太刀)に置く露の、魂も乱れて息が絶えてしまった。 日頃は気丈夫なお吉の死に顔を見て、ぞっと我から気遅れがして、膝節(ひざぶし)ががたがた、がたつく胸を押し下げ、押し下げして、お吉が持っていた鍵を追っとって覗けば蚊帳の内では打ち解けて寝ている子供の顔附きさえ、自分を睨んでいるように感じて身も震え、それに連れてじゃらじゃらとがらつく鍵の音。頭(こうべ)の上で鳴る神が落ちかかるかと肝に応え、戸棚にひったり(ぴったりと寄り添い)引き出した打ち飼(が)い(腰袋)、上銀五百八十匁は宵に聞いていた心当て通りの金額だ。 懐にねじ込み、ねじ込み、その重さで足も思うように進まずに、薄氷を踏む、火炎踏む、この脇差は栴檀(せんだ)の木の橋(北浜から中の島の東端へかかる橋)から川底に沈めるとして、この罪の報いで来世は地獄に落ちるであろうが、それは目には見えないこと。金が入った幸運を思う存分に満喫してやれとばかりに豊島屋を抜け出すと一目散に廓へと走ったのだ。 おしてるや、難波の春は京に負け、京は難波の景色より劣る、水無月、夏神楽、廓四筋(新町遊郭を指す)は四季共に散る事を知らない花(遊女)が揃っている。 妓(よね)の風俗、揚屋(あげや、遊女を呼んで遊ぶ茶屋)のかかり(構え、つくり)、富士も及ばない恋の山(恋が栄える場所)で第一に日本の名所である。 一年三百六十日(太陰暦では一年は三百六十日である)、紋日(廓の祝日、紋日は客の出費がかさみそれだけ遊女屋は喜ぶのだ)が三日足りないと亡八(くつわ、遊女屋の主人)は歎く。 女郎はそれほど客に厄介をかけるので、一旦紋日での遊興を約束をしておいてそれを断る客もある。好んで紋日の遊興を引き受ける大尽客は一段と勿体らしく駕籠を飛ばして揚屋に駆けつける。 扇で顔を隠し忍ぶ色茶屋の客。一座遊び(遊女を並べての遊興)はその場限りで変哲もない。肩で風を切る空(から)ぞめき(冷やかし客)、位を取るのは(太夫か天神かと遊女の位を聞きたがるのが)田舎客。寝て物語る馴染み客。太鼓(廓の門限を知らせる太鼓)過ぎてからと囁くのは女郎の手もめの振る舞い客(女郎が身銭を切るほどの深い仲の客)、親や親方(両親や抱え主)を忘れる程に遊女が打ち込む客もいる。遊興に自分の身代を使い果たす客もある。様々な客が入り混じって行き通う。 道の間も暫くも口をただ置くのも恥らしく、役者の物真似、地の物真似(特定の歌舞伎役者を真似るのではなくて歌舞伎風の仕草や台詞回しを真似ること)、小唄浄瑠璃、口てんごう(冗談を言うこと、洒落を言う)、西口や東口に行くのも、帰るのも、障りのない夕べ夕べの大寄せ(大勢で遊里にくり込み、大勢の遊女を呼んで賑やかに遊ぶこと)は豊かなる世の功積(いさおし)であるよ。 さて、山本森右衛門は與兵衛の身持の知らせに驚き、暫く主人に暇を乞い、大坂に立ち越えたのだが、女を殺し金を盗んだ事も確かにそれとは知らないけれども、十目(じゅうもく)の見る所では與兵衛の所業と間違いはなくて、果てしもない身の放埒さ、もしやと詮議しようにも家には寄り付かず、先々を尋ねて廓の内、東口で尋ねたところそこら辺と教えられたが、どこも同じ局の係りで、ここや備前屋、これが教えられた備前屋かと見紛い佇み居るその折節に、手には嵩高な文を持って西の方から来る禿、これこれ、物を尋ねたい、備前屋と申す傾城屋は何処であろうか。その御内に松風殿と申す傾城を御存知なされないか。御存知ならば教えて下さらぬか。我ら当所は不案内、頼み入るぞと堅苦しく声を掛けた。 ふう、仔細らしい物の言いよう、備前屋はこの家、西の端に戸を鎖した局(局女郎・端女郎のいる所、長屋を数戸に区切り、一戸の間口は四尺五寸、乃至六尺。女郎は格子を隔てて直接客と交渉して、客が上がれば戸を閉じた)が松風様で御座んす。これ、お侍様、左の足を上げてくださいな。それそれ、右の足も上げなされ。おお、よく上げさんした。はい、ご苦労さまと大人ぶって言って行き過ぎた。 所柄なので人に馴れ、え、気軽い奴だと打ち笑い、教えられた局に立ち寄れば、内に火影あるのだが戸口はぴったりと締め切っているのだ。 さてこそ客は與兵衛に極まった。出て来るところを捕らえて会おうと待つ間も程なく、戸を開いて、編笠を被(かづ)き立ちいでた。すかさずむんずと羽交い締めに引き抱える。女郎が引き続いて出て、こりゃ誰ぞ、率爾(そつじ)せまい(軽はずみなことをしなさるな)と引き分けた。 苦しからず、率爾ではない。おのれ與兵衛め、隠れさえすれば見つからないと思っているのか、笠を引きちぎって顔を見合わせ、やあ、こりゃ與兵衛ではないぞ。人違いをした。真っ平、真っ平、面目なやと腰を折って手を擦れば、相手の客も人目を忍んでの恋なのであろう、頷くだけで顔を隠し、東の方へ走って行く。 河内屋與兵衛とは深い仲と音に聞こえた松風殿、昨日にも今日にも與兵衛は此処へまいらずか、別に心配な事ではない用事で尋ねる者だ、隠されては彼のためによくない。さあ、真っ直ぐなところを訊きたい。 まちっと先に見えまして、これから直ぐに曽根崎へ叶わぬ用事だとて御座りゃんした。何じゃ、曽根崎へだと。南無三遅かったか。拙者も跡から参らずばなるまい。序でにもう一つ尋ねたいが、五月の節句前か後か。六月に入って早くの六日でした。その間にここもとで金銀の払い、 金を沢山に使ったことはないだろうか、それも隠さずにお知らせなされよ。どうでしょうか、金遣いのことまでは存じません。遣手(遊郭で遊女に付き添って世話を焼く女)にお聞きなさあいませ。そう言い捨てて局の中についと入った。 これは我ら不調法だった、よしそれとても、與兵衛に会えば知れることだ。行く道筋も知っている曽根崎にはたったひとっ飛び。一走りと、尻を腰のあたりまで引っからげて揉みに揉もうぞ(気を荒立てて飛んで行こうぞ)。 でぞ、君を待つ夜はよやよやよ、西も東も南も嫌よ、とかく待つ夜は来たの、北がよい。 先にも待ちは待ちながら、こちからひたと(せっせと、ひたすらに)行き通う。道の犬さえ見知るほどに現(うつつ)を抜かした河内屋與兵衛、小菊に会いたい一心で、田の面の雁ではないが、新町の花を見捨てて蜆川、ここの花屋に辿り寄った・ 後家のお亀が出て迎えて、たまたま見えるお客にこそようお出での言葉が相応ですが、與兵衛様は此処がお家、ちと風変わりでお出でを止めて戻りゃしゃんしたか、小菊呼びましゃ、内は上下座敷も詰まる、浜・川岸に据えた床几で酒盛りをきりきりと飲みかけましょう。 小菊様、さあ、此処へいらっしゃいな。行灯に油をさしなさい。油の序でに、油屋の女房殺し、酒屋に仕替えて幸左衛門がする芝居、殺し手は文蔵で憎いげな、與兵衛様はまだ見ていませんか、小菊様をお連れして少しは芝居見物などもお出でなされ。やれ、お盃を持って来い。と、たった一人で喋り立てる。 後家を窘めてちと人にも物を言わせろ。生まれて與兵衛はこんなむさい床机の上で酒を飲んだ事がないぞ。しかし今日は許そう。東隣を借り足して與兵衛の座敷分に一つ座敷を拵えろ。 材木大工の諸色諸入目は見事に我らが仕ろうよ。きつい物であろうが、何と豪勢なものであろうよ。え、下卑たこの蒲鉾の薄い切りよう。などと、僭上をたらたらと暴れ酒、暫くは時を移したのだ。 與兵衛は此処にいたのかと、知らせることが有って来た。そう言って刷毛の彌五郎が床机に腰を掛けて、我を侍が探しているぞ。 や、そしてそれはどんな侍か、と胸にぎっくり横になったのだが、心に包んでいる悪事の塊、俄かに仰天してうろうろ眼(まなこ)、はて、きょろきょろとするな。昨日から兄(太兵衛を指す)の所に来ている侍じゃとやい。ああ、それで落ち着いたぞ、高槻の伯父森右衛門じゃ。顔を合わせては面倒だ、此処へ訪ねてくるかも知れない。早く逸らして逢いたくないとは思うのだが、急には座を外せない。何か良い口実はないものかと見廻し見廻しして、ああ。思い出したぞ新町に紙入れを忘れて来た。中には呻くほどに金を入れて置いた。つい一走りして取ってこよう。刷毛も来いと立ち上がったのを小菊が止めて、あ、ざわざわと何じゃの、有り所の知れた紙入れなら明日にでもお取りなさいな。 いや、そうでない、そうでない。懐が重たくなればとんと遊ぶ心がしない。と、袖を引き離して二人連れ、根から(てんで)忘れてもいない紙入れの大法螺を吹いては先を急いだのだ。 熱い茶を四五杯飲む程の時間も経過しないうちに、森右衛門が行灯を目当てに花屋の門口、花車に会いたい、此処へ、此処へと呼び出して、河内屋與兵衛の跡を追って参った。二階にいるのか、下(しも)座敷にか、罷り通るとつっと入った。 これこれ、申し、新町に紙入れを忘れたとてたった今、お帰りです。 何だ、帰った。内儀が説明する、まだ、梅田橋を越すか越さぬかの時間です。 これはしたり、又後手になってしまった。然らば、明日にでも與兵衛が参り次第、酒でも飲ませて此処に留置き、早々、本天満町河内屋徳兵衛方に確かに知らせよ。只今、参りがけに櫻井屋源兵衛へも立ち寄り吟味致せば(問いただした所)五月四日の夜に大金三両銭を八百請け取ったと有る。