近松の作品を読む その八十六
追い行く體で取って返し、益良がついて突っ立ちたる。鐵の棒をひらりと取る。南無三宝、と振り返り掴みつけるのを飛び掛かり、続け打ちに打ちかけ、打ちかけ、味方の陣に追い込んだのだ。 益良は追われて、途方を失い、後ろは軍兵、前は手ひどく打ち立てる。ぐるぐる舞って立ったのはあっ晴れ気味よい次第である。 久馬平は声を掛けて、さあ、これまでは仕おおせたり、これからは御侍衆に振る舞い申す。一箸づつ遊ばせとどっと笑えば、勝舟と諸岩藤太入道、百太夫然らばお辞儀(辞退)は致さぬと、思い思いに切り伏せ切り伏せ、ずだずだに切って捨て、何時に変わらぬ久馬殿御手柄ざうと褒めければ、あの、おっつしゃますことわいの、上手く仰る、煽てるのが御上手ですね。と、会釈をしてから中に入ったのだ。 もはや王子は一人である。塀を乗り越えて討ち獲れ、承る、と諸軍勢がをめき叫んで切り入りける。王子、今は詮方なく幾年もふりた桐の木の一の梢に逃げ登り、傳えた呪文を唱えれば、忽ち梢に葉を生じ、王子の姿を隠したのは不思議なりける秘術である。 寄せ手は王子を見失い、官軍が攻めあぐんで見えた時に、親王は宮を抱き参らせ、南無仏法擁護(おうご)の諸天神外道の根を絶ち我が国に仏道成就なさしめ給えと念じ給えば、その時若宮が虚空に向かい南無仏と三度唱えて御手を開き給えば、一約に仏舎利の光明がたなびいて薫風が渡って桐の木の葉を、はらりはらりと吹き落とし王子の姿は顕然たり。 その時に王子は大音をあげて、我はこれ、提婆達多(だいばだった、釈迦仏の弟子で、後に違背したとされる人物)の後身である。唐土日本に再来すると言えども、仏力に妨げられる悔しさよ。汝聖徳太子上位にあって仏道を弘通(ぐづう)すと言えども、我又臣下として生まれ出で、現在に本意を遂げるべきぞや。最後の程を、是、見よやと枯れ木の節に頭を打ち当て、えいや、えいやと打ちければ微塵となって失せてしまったのは、ただ阿梨樹枝の如くである。 かかりし折に稲目の臣が勅使として発向あり。天王御位を親王に御譲り、玉世の姫は皇太妃(こうだいごう)、聖徳太子は儲けの君との宣旨である。目出たく目出たく勝鬨を挙げられよと高らかに述べられた。目出たし、嬉し、千秋楽万歳楽の萬代世まで、これを祝いの初めとして、猶打ち続く松竹の齢(よわい)も尽きず世も尽きず、仏神擁護のこの所、殊に大坂が繁盛する上に益々栄えたのだった。 けいせい 反魂香 白きを後と、絵画は描いたあとで胡粉で仕上げるが、花が咲いた後で白い落下の雪が降り、白きをのちと花の雪、野山は春を描くのであろうか。 聞きに来た、北野の時鳥の初音を鳴いている、「鳴け、聴かん、聞きに北野の時鳥」と詠むと果たして時鳥が初音を鳴いたと言う、そういう不思議があったと言う昔に、清涼殿に立てられた跳ね馬の障子の絵、夜毎に出て萩の戸の萩を喰ったと伝えれるのも、名匠の金岡が筆のすさみの跡絶えず、伝わる家や画工の誉、狩野(かのの)四郎次郎元信(もとのぶ)は丹青の器量(絵画の才能)は古今に長じて、心ばえよい男ぶり。親の絵筆の才能に、生まれつきなる美男である。 頃は文龜(ぶんき)の弥生(やよい、三月)の空、天満天神(菅原道真の神霊)の告げが有って、越前の國氣比の浦へと旅羽織、我は笠を着て大小の柄(つか)にも袋を着せるそれではないが、煙管筒を腰にさした前髪姿の召使の丁稚をお供に連れて、越の白山(しらやま、岐阜・石川に跨る火山)も去年の緑に戻る、それではないが、帰山(かえるやま、福井県南条郡の山、歌枕)、山の頂が青々と、雲に移ろう月代(さかやき)を剃る際に使う湯ではないが、湯の尾峠の名物・孫杓子(まごしゃくし、疱瘡の守りになると言う)、人の目につくような派手な美しい形(なり)で、花重ねした衣装ではないが、重ね、重ねした旅籠屋が、情も篤い、熱い燗鍋の弦ではないが、敦賀に到着したのだ。 四郎二郎は一僕を招き、やい、雅(うた)の介、外の弟子にも隠したこの所に下ったのは、余の義ではない、近江の国の大名六角左京の太夫頼賢(よりかた)殿と申すのは佐々木源氏(宇多源氏で、近江佐々木荘に居住して佐々木を氏とした。中世には本家は六角家を称した)の旗頭で高嶋の屋形と言い、系図所領並ぶ者がない大将であるが、将軍家の御意を受けて本朝名木の松の絵本を集められていらっしゃる。 然るに、奥州武隈(たけくま)の松と言う名木は古えに能因法師さえ跡は無くなったと詠んでいるので、名だけが残って知る人がいない。我がこれを描き表して誉を得さしめたまえと天満天神に祈った所、武隈の松を見ようと思うならば、越前の気比の浜に行くべしとあらたに霊夢を蒙ったのだが、それは陸奥、此処は越路である。何をしるべに尋ねようか。哀れ、里人よ来たれかし。物を問わんと呼ばわれば、所の者が御用とはと、都人にて有りげに候、お尋ね有りたきとは何事にてばし御座候とある。 御覧の如くに都の者であるが、天神の教えによって松を尋ねている仔細がある。この所にこそは名高い松が候め、教えて給わり候えとよ。 これは思いもよらぬ事を承るものかな。この北国にてお尋ねあろうならば、越前布、越前綿、もしは実盛の生国であるからお供の奴(やっこ)の髭に塗る油墨などのお尋ねも有るべきに、名高い松とはさすがは優しい都人、先ず當国の名木は西行の鹽越しの松、麻生の松若が物見の松、金が崎は義貞の腰かけ松、山のを山松、松庭のを庭松、門には門松、酒には濵松、肥えているのは肥え松、拗けているのは捩松、割松、たい松、ぬっぽり松、我らが息子には岩松・長松と申す嬰児も有り申す。 庄屋の名は松兵衛、若い時には相撲取り、赤松をぶち割ったように御座ありしが、今は老い松になられて力ももとより下がり松、腰もかがんでいざり松、いざり松とこそ所の者は呼び候。これぞ京にも類なしと心をかけぬ人もなし。 色良い松が候が、もしや左様の松にては御座なく候か。げにや、往き来も慕うとは疑いもなく我等が尋ねる名木よ。急いで見せて給われかし。いつも夕暮れ時にはこの所に現れ出で候。我らはお暇致し候。やあ、やあ、早あれへ御出で候、我等はお暇給わり候べし。 御逗留の間の御用の事は承り候べし。頼み申し候わん。心得申して候。 高き名の松の門が立ち馴れて、人待ち顔の暮であるよ。町は敦賀のかけわたし(海岸にかけ渡して作った町)、遊女が間夫(まぶ)に会うのも潮の干満のように差し引きがある。 誰と言って親しく知る人のいないこの敦賀の色里の大夫となったのも親の為。売られ、買われて 北国の土氣(つちけ、泥臭い、田舎びた)賤(しず)の里であるが、妓(米)の育ちは上田の水損なしの大夫職、名を遠山と呼ばれているのも、人に登れと言わないばかりに恋を仕掛けて、坂おろし、歩みの道中は花の立ち木をそのままに、滑らかに出現したのであった。 雅の介は、是申し、見事な者がそれそこへ、それそれと言えば、それそれと言えば、四郎二郎、やあ、何と松が見えたか現れたか、写し止めんとふっと立ち、女郎にはたと突き当り、これはさて、松だと思ってはまったぞ(騙された、ひっかかった)。 本(ほん)の松を尋ねて見よう。丁稚よ来いと行き違う、その袖を捕えて是、申し、この遠国の我々と京の廓の松様達と比べさんすが不覚の至り、しかし無粋なお方から松と見られて嬉しゅうなし、杉(下女や遣り手の通り名)と言われても腹は立たない。桑の木とも、榎(え)の木ともこなさあに似合った阿呆の木とでも見さんせと、無駄事なしの言い捨ては田舎の妓(よね)は笑えない。 おお、ご機嫌を損ねたのは御尤も、げに、げに、松とは大夫様、我等は悪く心得て、不調法なる御挨拶でしたが、真っ平、真っ平、お詫び事、これをご縁に知り合いになりました。 下拙ことは狩野の四郎二郎元信(もとのぶ)と申す、詰まらぬ取るに足りない絵描きです。さるお方より武隈の松の図を仕れとの仰せ、即ち、天満天神の夢想に任せ、この所にて名の有る松をと尋ねた所大夫様との取り違え、これはこうもあろうこと、御料簡ついでにお付き合いもあまたであるよ。 願いの叶う便りもあれば、御世話頼み奉ると、思い入ってぞ語ったのだ。 女郎ははっと顔を眺めて、さては狩野四郎二郎元信様とは御身の上か、恥を包むのも時によります何を隠しましょうか、わしこそは土佐の将監光信の娘であるが、父は一年勅勘(天皇の勘気)を受けて今は浪人の憂き渡世、この身に沈むとは申さずとも、推して泣いて下さんせ。 さて、武隈の松の図は土佐の家の秘伝の絵本です。漏らすことは叶わないが、夕べ不思議や天神様の夢の告げ、狩野と言う絵師が下って来る。武隈の松を伝授せよ。父の出世の種となるだろう。と、見たのはまざまざ正夢でと、語りもあえぬに四郎二郎は感心、感涙が肝に染み、天を禮して地に拝して懐中の絵筆絵絹を広げて、さあ、遊ばせ、御伝授頼みますと悦びける。 如何にも伝え申さんが、親の許しもない中で絵筆を執ることは如何であろうか。ああ、何とせん、げに思い付きたり、あのお供の人の立ち姿を松の立ち木に准えて笠を枝葉の笠となして、此処にて学び見せ申さん。それにて、写し止め給え。これ、そこな奴さま、ここへ御座んせ、雇いましたよ、ない、ない、ない、手振る、頭を振る、年古る松の松根に倚って腰つきも、千年の翠(みどり)を写したのは作意である。 先ず歌人の見立てには一本松を二木とも三木と連ねし言の葉のそれは老木の松が枝なれども、写す若木の、やっこの、やっこの、やっこの、この膝の節、松の節、前に地摺りの下枝にぬっと出だせし片足は、慮外千万千貫枝、絵師が筆を投げ捨てる程に見事な枝ぶり。 久方の天つ乙女の肩車枝や腰かけ枝の三蓋松(枝葉が三段に重なった松)、月に障らない枝々がさざれ小松の松蔭を、さあ、沖を漕ぐ舟の帆が仄かに見えて、さす(伸ばす)腕には寿福の枝を、収める(引く)手には不老の枝、垂れて雪見の控えの松、是々これ、これ、頭っと伸びたる流しの枝。 松は非情の物なれど、傳えし心の色はなお、さながら青々條々として、松の生き木を生き生きと若やぎ立てるその風情、狩野は一点の違いもなく描き連ねたる筆勢。何れを写し絵とし、何れを立ち枝とするか迷う程の出来栄えであるよ。