「太平記」 その八十五
去れども雨風の降り続く事は尚止まず。 かくては世界国土がみな流れ失せぬと見えければ法威を以て神の忿(いか)りを宥め申さばやと、法性坊の贈僧正を召された。 一二度までは辞退申されたが、勅宣が三度に及びければ、力なく下洛し給いけるに、鴨川が夥しく水が増して舟でなくては道はあるまじけるを、僧正は、ただその車を水の中を遣れ、と下知し給う。 牛飼いは命に随って、みなぎりたる河の中に車をさっと遣りかけたれば、洪水は左右に別れて、却って車は陸地(くがち、陸)を通ったのだ。 僧正は参内し給うより、雨み風は静まって、神の怒りも忽ちに宥まり給いぬと見えければ、僧正は叡感に預かって登山(とうさん)し給う。 山門の効験(延暦寺の修法の効き目)は天下の称讃はこれにありとぞ聞こえれる。 その後に、本院大臣は病を受けて身心はとこしなえ(永久)に苦しみ給う。浄蔵貴所(じょうぞうきしょ、三善清行の第八子。宇多法皇の弟子。比叡山で受戒。平将門の乱に当たって大蔵徳法を修した。康保元年寂。敬して浄蔵貴所と言う)を請じ奉り加持せられたところが、大臣の左右の耳から小青蛇(小さい青色の蛇)が頭を差し出して、やや、浄蔵貴所よ。我は無実の讒に沈んだ恨みを散ぜん為にこの大臣を取り殺そうと思うのだ。されば祈療共に験(しるし)あるべからず。かように申す者を誰と知るか。これこそは菅丞相の変化(へんげ、神仏が仮に人の姿となって現れる事)の神、天満大自在天神であるぞ。とぞ、示し給いける。 浄蔵貴所は示現(じげん、神仏が霊験を示し表す事。元亨釈書の浄蔵伝では青色のニ竜が持平の左右の耳から頭を出し、三善清行に告げたので、清行が浄蔵を去らせたところ時平が死んだとある)の不思議に驚いて、しばらく加持を止めて外に出た所、本院は忽ちに薨じ給いぬ。御息女の女御(従二位褒子。宇多天皇女御。京極御息女と言う。没年不明)は御孫の春宮をやがて隠れさせ給いぬ。 二男の八条大将保忠は同じく重病に沈み賜いけるが、験者(げんじゃ、秘法を用いて加持・祈祷をなし霊験を現わす行者)薬師經(薬師如来の本願・功徳を説いた教典)を読む時に、宮毘羅(くびら)大将(天竺の霊鷲山・りょうしゅうせんの鬼神。魚身で蛇形、尾に寶玉を蔵す。薬師の十二神将として金毘羅童子とも言う)と打ち挙げて読んだところが、我が首を切らんと言う声に聴き成して則ち絶え入り給いぬ。 三男の敦忠中納言も早世した。張本人の時平が滅びるのは仕方がないとしても、子孫までも一時に亡び給いける神罰の程が恐ろしい事であるよ。 その頃、延喜帝の御従父兄弟(おんいとこ)に右大辨公忠(きんただ)と申す人、悩む事もなく頓死なされた。三日を経て蘇り給いけるが大息を突き出でて(太い息を吐き出して)、奏聞すべき事がある。我を助け起こして内裏に参れ、と宣(のたま)いければ、子息の信明・信孝の二人が左右の手を扶けて参内なされた。 事の故は何であるか、と御尋ねありければ、公忠はわなわなと身を震わせながらも、臣は冥官の廰とて恐ろしき所に至り候つるが、長(身長に落ちるべきである)一丈余りなる人で、衣冠正しき人が金軸(黄金または黄金色の巻軸)の申し文(朝廷へ申し上げる文書)を捧げて、粟散邊地(片田舎の粟を散らしたような小国。日本を言う)の主、延喜帝王(醍醐天皇)、時平大臣の讒を信じて罪なき臣を流され候き。その誤りは最も重い、早く廰の御札に記されて、阿鼻地獄に落とされるべきである。と、申ししかば、三十余人が並み居給える冥官が大いに怒って、時刻を遷さずにその責めを及ぼすべし、同じ給いしを座中第二の冥官が、もし年号を改め咎を謝する道があるならば、如何し候べきと、宣いしに、座中が皆案じ煩いたる体に見えて、その後に公忠は蘇生仕り候。とぞ、奏されたのだ。 君は大いに驚き思召して、やがて延喜の年号を延長に改めて、菅丞相流罪の宣旨を焼き捨てて、官位を元の大臣に帰し、正二位の位階を贈られた。 その後、天慶(てんぎょう)九年近江の国比良の社のの祢宜は神(御部)の良種(よしざね)に託して(神託があって)大内(大内裏)の北野に千本の松を一夜に生いたりければ、ここに社壇を建てて天満大自在天神を崇め奉り、御眷属十六万八千の神が尚も静まり給わざりけるにや、天徳二年より天元五年に至るまで二十五年の間に、諸司八省が三度まで焼けたのだ。 このままで過ごすわけにはいかないので、内裏の造営あるべしとて、魯般斧を連ね(大工が優れた建築技術をふるって)新たに造立したりける柱に一首の蝕(むしくい)の歌があった。 造(つく)るとも 又も焼かなん 菅原や 棟の板間(いたま)の 合(あは)ん限りは この歌に神慮は尚も御受納なかりけりと、驚き思召して、一条院(円融天皇の第一皇子)。寛弘八 勅使が安楽寺に下って詔書を読み上げける時に、天に声が有って一首の詩が聞こえた。 昨(きのうは)北闕(ほっけつ、宮城の北門だが、ここは京都の皇居の意)に悲しみを蒙るの士となり 今(けふは)西都(せいと、大宰府の別名)に恥を雪(きよめ)る尸(かばね)となる 生(いきての)恨(うらみ) 死(ししての)歡(よろこび) それを我奈(いかん) 今すべからく望み足りぬ 皇基を護るべし その後からは、神の怒りも静まり、国土も穏やかである。 偉(おほ)いなるかな、本地(ほんち、仏・菩薩が衆生済度の為に仮の姿をとって現れた垂迹身に対し、その真実身たる仏・菩薩を言う)を尋ねれば、大慈大悲の観世音(菩薩の一つ。阿弥陀如来の左の脇侍)、弘誓(ぐせい、菩薩がひろく衆生を救おうとする弘大な誓願)の海は深くして、群生済度(ぐんしょうさいど、一切衆生を救って迷いを悟らせようとする菩薩の広大な誓願を船が人を乗せて渡すのに譬えた語)の船が彼岸に至らずと言う事なし。 垂迹(すいじゃく、仏・菩薩が直ちにその本地に近づく事の出来ない衆生を済度するために、仮に神として姿を現す事)を申せば、天満大自在天神の應化(おうげ、応現変化の略。仏・菩薩が迷える者を救う為に色々に姿を変えて出現することを言う)の身、利物(りぶつ、物は一切衆生を言う。仏が衆生を利益する事を言う)は日々に新たにして、一来結縁(いちらいけちえん、一度来て仏道の縁を結ぶ人)の人、所願は心に任せて成就する。 これを以て、上一人より下万民に至るまで渇仰(かつぎょう、渇しては水を思い、山に対しては高きを仰ぐように、深く仏道を信仰すること)の頭を傾けないという人はない。 誠に奇特無双の霊社である。