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廓の出入り口の引手茶屋(客を妓楼に案内する茶屋)の佐渡屋と薄約束(内々の約束)、おまえの下りを月
よ星よと待ち受けたりゃ、こんな始末でした。人手に渡ればわしゃ生きてはおらぬぞや、金を借りたとし ても返せば恥にはならないことです。私に任せておおきなさいと、振り切ったが、遣るも涙、行くのも涙 涙、涙を隠して座敷へと繰り歩み(腰を据えて上体を動かさずに、静々と歩み出ること)、毛剃の側に座 ればぱっと衣(きぬ)の香があたりの人はうろうろと、顔を見合わす荒男達が俄かにつくろう衣紋附き、 鬼が花を見るような風情である。 毛剃様(さん)、お久しぶりですね。わしゃ、こなさんに無心に来た、こちらに大きな揉め事ができて て、馴染みの客から急に身請けをしてもらわなければ、どうしようもない首尾になったのですが、肝心の 物、金がない。かねがね、まさかの時は力になろうとの詞もあり、こちらの才覚が整うまで、私の身請け が成る程の金を貸してくだしゃんせ、頼みやすると言ったところ、九右衛門が、日本一の粋様(小女郎を 褒めて言う言葉、満座の中で金を貸せなどとは普通の遊女には言えないこと。それを讃えて言った、粋は 人情の表裏に通じ、鮮やかな応対をする意)だ、金貸して下さいとは言いにくいこと。 二度と同じ言葉は言わせない、お前の用なら千両でも、万両でも、こりゃ、亭主、小女郎様も一緒に身 請けさせて行きたい所に遣りまする。金は毛剃が呑み込んだぞ。先刻に口を掛けた女郎方が見えるまで、 小女郎様を借りました。飲めや唄えと騒ぎたった。 ああ、待たんせ、待たんせ、あの障子の向こうに今言った大事な男が来ているのです。連れて来て、礼 を言わさせますので、毛剃さん、詞を違えないで下さいな。 男冥利、商い冥利、虚言は御座らぬ。お連れなされよ、の言葉でいそいそと立ち帰る。 太夫様、お出で、と呼ばわる声。門から色の掴み取り、どんな美人でもよりどり見取り、勝山、江口、 大磯に寄せ来た波の大騒ぎ。座敷いっぱいに入り込んで、薄雲様、操様、小倉様、三人はお後から、そり ゃこそお敵(てき、相手の遊女を指していう通言)と色めいて、毛剃の連れどもがうつつを抜かし、顔に 余念はないのだった。 九右衛門が声を掛けて、これこれ、亭主此処にはちっと用がある。妓(よね)様方は入口に近い座敷に 控えていて貰いたい。跡から見える太夫方もこの座敷に入ることはしばらく遠慮してもらいたい。おっ と、こなたへ来てもらいたい。それで亭主の言いなりに動くのだ。 太夫も田舎となると、こんな扱いを受けても腹も立てずに、誠に大人しいものだ 出るも如何、出ないのも如何と小女郎に手を引かれて惣七は、障子を押し開けて立ち出でた。顔と顔を お互いに見合わせて、やあ、小女郎の馴染みの男とは今おもいだしたがそちの事だったのか。 おお、おのれらに会いたかったのだ、やあ、誰かいないか、こいつらは下関の…、後は言わせないと毛 剃の連れども大声を挙げて、頬桁きかすな、撃ち殺せと、蹴り立てた盃、燗鍋(かんなべ)がこけて畳に たぶたぶたぶ、畳が濡れるそれではないが、濡れ(情事・色事)から起こった喧嘩だそうな。大事にはな らないかと上女中(台所働きの下女に対して、座敷の事を扱う女中)達や下男。うろつく顔も青ざめて生 きた心地もないのである。 毛剃は一寸も動かずにいる。ああ、騒ぐまい、騒ぐまい。この九右衛門に思案がある。彌平次始め皆は 残らずに女郎衆のそばへ行け。後は俺が受け取った。 いや、そうではない。我々が相手になりましょう。親仁一人では心もとない。やあ、この毛剃に引けを 取る男と思うのか。わいらが居れば喧しいぞ。とっとと行けと睨みつけると、そんなら行きましょう、親 仁次第ですと打ち連れて表の座敷へと出て行ったのだ。 小女郎は跡先知らず、何が何だか前後の事情を知らないので、惣七に引き添って九右衛門と惣七の目の 動きに気を配る。 これ、若い人惣七殿、此の中のことを一言言っても命がなくなる。仰るな。この方達の商売は見られる とおり言葉に出さずとも知られる。何事も身が大切と思うので、この間の事は言いたくとも我慢なさい。 いやと言うなら事になってしまうぞ。や、堪えなされよ、小女郎をこちらに請出すと、そなたの詞が反古 (ほうぐ)になってしまう(約束が無になってしまう)。小女郎も可愛い、これまでそなた一途に真心を尽 くして来て、女郎の口から金を貸せとまで恥を忍んでの志、踏みつけの目に合わせるのは非常な邪見・無 慈悲だ。悪いことは言わないので、この人たちの仲間に入られれて、小女郎もそなたに添わせて、五十貫 目や百貫目の金は立て替えて、そなたの親御からは見放されても、必ずこの自分が取立てましょうよ。仲 間が多くなるほどこちらは損なのだが、運を力にする商売だ。運が弱くては埓が明かない。 この中のような危急の場を逃れた命冥加(命運のよい、神仏の加護で不思議に命が助かった)な運強い そなただ、九右衛門が力になる人と見て、これ、手を下げる。仲間に入ってくだされと詞だけは下手に出 ているが居合の腰、いやと言えば切りかけようと、様子が顔にありありと見える。 惣七も手詰めの返事、どうしても返事をしなければならない土壇場に追い詰められ、仲間に入れば家の 大事、刑死の運命が待ち受けている。嫌といえば小女郎を人手に渡すのみならず、この場で命まで取られ てしまうのだ。 いづれの道を選んでも死ぬ命だ、謹んで国法に従うか、小女郎に添うべきなのか。二つの心に身は一つ に定めかねている。 申し、これ、惣七様(さん)、あの方九右衛門殿の商売は知りませんが、駕籠に乗る人担ぐ人、人の運 命は様々です、乗る人と乗せる人、する事は違っても、行く道は同じです(海賊とは気づかずに言ってい る)。金も取り替え、何から何まで世話を焼こうとの心入れです。以上のことは御身に悪いことでもな し、あっと言って仲間になり、早く私と起き伏しをしようとは思わないのですか。それとも、本当に身の 為にならない筋合いの事ならば、嫌と返事を言い切りなさいな。こなさんに添われないのなら生きている 小女郎ではない。女房にするなり、殺すなりとして下さい。嫌か応かが私の生き死にを決める大事の返事 で御座いまする、急く事は御座いませんよと男の懐に手を差し入れ、おお、この汗の凄いこと。鼻紙のあ りたけを使って拭き捨てた。濡れで破れる人の身が抑えがたいのが色の道だ。 惣七は、はっとうち頷き、得心(心から承知すること)致した、只今より仲間になり、御指図には背く まい。承り及ぶ、長崎では物の堅めに血酒を飲むとかや。偽りではない惣七の心底、腕に傷を入れて誓を 見せましょうと片肌を脱げば、ああ、見えました、見えました、人にこそより何で此方に偽りが有ろう。 改めて盃事、皆来い、来いと呼び集めて、小女郎殿、嬉しかろう。 亭主、身請けの惣代金は何ほどだ。書き附けは此処にと差し出した。 おっ取ってさらりと読み、小女郎殿共に七人の身請け代金、千四百五十両だな。端(はした)があって 面倒だ、五十両は亭主にやろう。千五百両だ、これを受け取れと、一両二両と数えて七百五十、両方、惣 七と九右衛門の二人が合体しての仲間入り 皆、兄弟より隔意なく交われ。謠え、謠え。おんらが在所(俺の田舎)はな、奥山のててうち(丹波の 大栗の略)の、でんぐり、でんぐり、栗の木の木の根を枕の転び寝、この小女郎が恋する山家の品物で、 なまいだぶつと帯解いて、これ、ござれと抱いて寝て、面白いぞと楽しみける。町の夜番あわただしく人 を殺め法に背いた科人が、この曲輪(くるわ)に入り込んだと、上の町から遊客の取り調べ、一人も客衆 は外へ出ることは許されません。 捕り手の衆がはや此処へと言い捨てて、亭主を連れて駆け出した。物に動じないのを自慢の九右衛門始 め六七人がぐんにゃり、ぐんにゃり、俄かに顔色茹で菜のようしおしおと、こりゃ、堪らぬ、何とか船に たどり着く抜け道はないものか。金が出るのは構わない、土の底へは入れないし、天に登る梯子はない か。隠れ蓑、隠れ笠があれば欲しい。あってくれたらなあと、我が身一つを片付けかねて震えている。 惣七と小女郎が手に手を取って、門口に気を配りながら、固唾(かたづ)を飲んでいる所に、内か隣か ぐゎたぐゎたぐゎた、捕った、捕ったと喚く声。 のう、悲しやと一同に、腰を抜かして魂の身に添う者はいないのだった。 亭主の四郎左が立ち帰り、ああ、気遣いない、気遣いない。この博多の殿町で飛脚を殺して金を奪った 奴が壁一つ隣の揚屋で捕縛され、代官所に引き連れていかれましたぞ。こっちの事ではない、こっちの 事ではないと言えば、一度に顔を見合わせて、ああ、有り難や、やれ、忝ない。あったら肝を潰したと溜 息をふっとついたのは、世並みの悪い疱瘡に二番湯をかけた如く(醜い顔にやや生気を取り戻した様)な のだ。 長居は無益、惣七殿、京へ上ろう、上ろう、さあさあ、皆々、往のう、往のうと、女郎衆は駕籠で舟場 まで、亭主さらばの声も八人が同時に言うとなると賑やかになる。 七人を一度に身請けとは、聞きも及ば大大盡、お一人お一人の顔に書付を貼り付けたい、のう、磔と聞 くもぞぞ髪(ぞっとして髪の毛がそそけ立つ事)嫌々、お手柄のお名が顯(あらわ)れよう、顯れるのは悪 事の露見にも言えるので猶気がかり。何にも言うなと出て行くのだ。男自慢は惣七を除いた七人の鼻に現 れている。 中 之 巻 競売の市を立てて、屋財家財の崩し売り、捨売に相場なし。戸棚箪笥塗り長持、燭台・椀家具・吸い物 椀、まな板仏壇、何や彼や、狩野の三幅対、表具ばかりで百貫の物を捨て値で売る。それに見合う編笠・ 提灯、同様に不釣合いな中国南京焼きの鉢を、八匁から九匁の捨て値で販売。鍔に見込みの中脇差(鍔の 細工に念が入った中くらいの長さの脇差)、鍋も釜も煤けた茶釜、畳も上げた荒道具、簀の子の竹の細道 具(こまどうぐ)、有りとあるもの塵も灰も、猫も値打ちににゃん匁、五分と飛んで時鳥、守り本尊に懸 け硯、鉄漿壺(おはぐろつぼ)も罷り出でて、金になれとや口々に値段をつけて競る。競る、競る、競り 市に町内騒ぎ、喧しいこと。 家主の菱屋嘉右衛門が不審の顔で駆け来たって、これはこれは、狼藉千萬、何事じゃ。この家は我らが 貸家だ、主は小町屋惣七と言う西国の商人(あきんど)、夫婦連れ(惣七と小女郎を言う)で十日あまりの 逗留で大阪に下る。跡にはあの婆がたった一人です。留守のことはお家主頼みますと言い置き、今日か明 日には戻られよう、お姥もお姥で、留守居とは何のこと、これ親仁、まず和御料(わごりょ)は誰なれば 良い年をして京の町の作法知らぬか、町所(ちょうところ)にも断りもなく人の留守に踏み込んで畳まで 売り払い、後始末はどうするつもりなのだ。この新清町(しんせいちょう、京都七本松通り今出川下るの 町名)一町の束ねをする年寄、則ち家主がうっかりと見過ごしにするものか。 姥も一緒に詮議する、隣が町の会所(町内の役人が寄り合って事務を取るところ)、さあさあ、一緒に 来いと喚いたのだが、姥は涙に顔を傾けて、親惣左衛門が両手をついて、お家主でもあり、お年寄り、ご 尤もご尤も、我らは惣七めが爺(てて)の小町屋惣左衛門と申して生国は長崎。二十ヶ年この方は上方に 居住致せども、資本(もとで)なければ商売も捗らず、山科辺に逼塞致して故郷の馴染みを便りに、惣七 めが西国通いを致しているが格別の儲けをしたとの便りもなく、どうかこうかと思い暮らす折節に、あち こちで人の取りざた、小町屋の惣七は西国で大儲けをして博多の傾城を請出して、心清町に檜の木作りで 節なしの上等な店を張り、風体は無人の暮らしでも、内証の栄耀は千貫目持との噂する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年03月21日 16時36分11秒
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