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私や子供は何を着ないでも、男は世間が大事、請出して小春も助け、太兵衛とやらに一分を立てて見せて
くだしゃんせ。と、おさんが言うのだが始終俯いて、しくしく泣いていたのだが、手付を渡して取り止 め、請出してその後、小春を他に囲って住まわせておくか、内に入れるにしても、そなたは何となるのじ ゃ。そう言われておさんははっとして、行き当たり、おお、そうじゃ、はて、何としょう。子供の乳母か 飯炊きか、隠居なりともしましょうと、わっと叫んで泣き沈む。 余りの冥加が恐ろしい、あまりに自分勝手の事になり天罰が下るのが空恐ろしい。この冶兵衛には親の 罰、天の罰、仏神の罰が当たらなくとも、女房の罰ひとつでも将来は良くない筈だ。許してたもれと手を 合わせて口説き歎けば、勿体無い。それを拝む事かいな、手足の爪を放しても皆夫への奉公・奉仕と思え ば滿足です。紙問屋の仕切り銀、いつからか着類を質に入れて遣り繰りをして、私の箪笥は皆明き殻です が、それを惜しいとも思っていません。何を言っても後偏では返らない。手遅れになっては取り返しがつ きませんよ。 さあさあ、早く、小袖も着替えて、にっこり笑って行かしゃんせと、下に郡内黒羽二重縞の羽織に紗綾 (さや、綾に似た絖地・ぬめじ の絹織物。稲妻・菱垣などの浮き彫りの模様がある)の帯、金拵えの (金具を金で飾った)中脇差(九寸五分までを小脇差、一尺七寸までを中脇差、一尺九寸までを大脇差と 言う)、今宵小春の血で染められるとは仏様だけが知ろしめされけん。 三五郎、此処へと風呂敷包みを肩に負わせて、供に連れ、金も肌にしっかりと付けて立ち出でた門の 口。冶兵衛は内におゐやるかと、毛頭巾(けづきん、毛皮製の頭巾。老人用の古風な被り物)を取って入 るのを見れば、南無三方、舅の五左衛門である。 これはさて、折も折、ようお帰りなされたと夫婦は顛倒(てんどう、驚き慌てて、度を失うこと)狼狽 える。五左衛門は三五郎が背負った風呂敷包みをもぎ取って、どっかと座り、刺々しい声、女郎下にけつ かろう。婿殿これは珍しい、上下着飾り、脇差、羽織、あっぱれよい衆の金遣い、お金持ちの遊興姿、紙 屋とは見えないぞ。新地への御出か、御精が出ますな。内の女房は要らないだろうからおさんに暇をやり な。連れに来たのだと口に針がある苦い顔。 治兵衛はとこうの言句(ごんく)も出ない。父(とっ)様、今日は寒いのによう歩かしゃんす。先ずはお 茶を一つと、茶碗を差し出すのを機会に立ち寄って、主の新地通いも最前、母様と孫右衛門様がおいでな されてだんだん、色々と懇切な御異見があり、夫も熱い涙を流して誓紙を書いての発起心(仏語の一念発 起から出て、ここは更生をちかったの意)、母様に渡したのですがまだご覧にはなられませんか。 おお、誓紙とこれのことか、と懐中から取り出して、阿呆狂い(放蕩、馬鹿遊び)する者の起請誓紙は 方々先々、書き出し(掛売の勘定書)程に書き散らす。合点が行かないと思い思い来てみれば、案のごと くにこの様でも梵天帝釈に誓ったと言えるのか、誓紙を書く隙があったら去り状(離縁状)を書けとずん ずんに引き裂いて投げ捨てた。 夫婦はあっと顔を見合わせて、呆れて言葉も出ないのだ。冶兵衛は手をつき、頭を下げて、ご立腹はご 尤もとお詫び申すのは以前の治兵衛であった時分のことです。今日の只今よりは何事も御慈悲と思し召し ておさんに添わせて下されかし。よしんば冶兵衛が乞食非人(こつじきひにん)の身になり、諸人の箸の 余り(残飯、食べ残し)にて身命(しんみょう)を繋ぐように落ちぶれたとしても、おさんはきっと上に据 え、憂き目は見せず、辛い目見せず、添わねばならない大恩があるのです。その譯に就いては月日も経 ち、私の勤めぶりも変わり身代も持ち直してお見せ申すならば自然にお解りいただける筈。それまではど うか目を塞いでおさんに添わせて下さいませと、はらはらと零す血の涙。畳に食らいついて泣きながら詫 びた所、非人の女房にはなおさせないぞ、去り状を書け。去り状を書け。おさんが持参した道具や衣類の 数を改めて封を付けようと、立ち寄れば、女房は慌てて着物の数は揃うて有りまする。改めるには及びま せんよと駆け寄って立ちふさがれば、突き除けてぐっと引き出して、こりゃどうじゃ、又引き出してもち んからり(空っぽの意を表す擬声語)、有りたけこたけ引き出しても、継ぎ切れ一尺あらばこそ葛籠(つ づら)長持ち、衣装櫃、これ程に空になったかと舅は怒りの目玉も据わり、夫婦の心は今更に明けて悔 しい浦島の子ではないが、縞の炬燵に身を寄せて火にも入りたい(穴にでも入りたい、と同義)風情であ る。 この風呂敷も気遣いだと引きほどき、取り散らして、さればこそ推量した通りだった、これも質屋に飛 ばすのか、やい、冶兵衛、女房子供の身の皮を剥いで、その金でお山狂い(遊女狂い)するのか。いけど う掏摸め。老妻はそなたとは叔母と甥の関係ではあるが、この五左衛門とは赤の他人だ、損をするいわれ 因縁がない。孫右衛門に断り(事情を語って)兄の方から取り返すぞ。 さあ、去り状、去り状と、七重の扉八重の鎖、百重(ももえ)の囲みは逃れられるにしても遁れ難い手 詰めの段(土壇場に追い詰められて、手詰めは、手厳しく詰め寄せること)。 おお、冶兵衛の去り状は筆では書かない、是、御覧ぜよ、おさんさらばと脇差に手を掛けた。おさんは 縋り付いて、のう、悲しや。父(とっ)様、身に誤りがあればこそだんだんの(色々と事をわけての)詫び 言、余りに理運が過ぎました(自己の立場が有利なのを頼みに、我意を張ること)。治兵衛殿こそ他人な れ、子供は孫、可愛くはないのですか。わしゃ、去り状は受け取りません。そう言って夫に抱きついて声 を挙げて泣き叫ぶ。それも道理なのだ。 よい、よい、去り状は要らない。女郎め来いと引き立てる。いや、わしゃ、行かぬ。飽きも飽かれもせ ぬ仲なのに、どれほど深い遺恨があって昼日中に夫婦の恥を晒すのですか。そう言って泣き詫びるのだが 聞き入れず、この上に何の恥があるものか、町内一杯に喚いて行くぞと引き立てれば、振り放し、小腕取 られてよろよろと、足の爪先に、可愛やはたと行き当った二人の子供が目を覚まして、大事の母(かか) 様をなぜ連れて行くのです、祖父(じい)様め、今から誰と寝よう。そう言って慕い寄り嘆けば、おお、 愛しや、生まれてから一夜さえ母(かか)の肌を離さなかったもの。晩からは父(とと)様とねねしや、二 人の子供に朝の菓子を与えるのを忘れないで下さいな。必ず桑山(子供の万病に効くとされた丸薬。もと 豊臣家の臣、桑山修理太夫が朝鮮から伝えたものと言う)飲ませて下されい。のう、悲しやと言い捨て る、跡に子供を見捨てる、藪に夫婦の二股竹、その竹ではないが長い別れとはなってしまった。 下 之 巻 恋情け、ここを瀬にせん蜆(しじみ)川、流れる水も行き交う人も、音せぬ丑三(うしみつ、午前二時 頃)の空に十五夜の月が冴えて、光は暗い門行灯(かどあんどん)、大和屋傳兵衛を一字書き、眠りがちな る拍子木に番太(番太郎の略、夜廻り、夜番)の足取りも千鳥足で、ごよざ、ごよざ(御用心の略語、夜 番が唱える語)の声が眠そうなのにも夜が更けたことが感じられる。 駕籠の衆、いこう更けたなと、上の町から下女子(しもおなご)、迎えの駕籠も大和屋の潜りくゎらく ゎらつっと入り、紀伊の国屋の小春さんを借りやんしょ。迎えとばかりほの聞こえて、跡は三つ四つと挨 拶の程なく潜りににょっと出て、小春様はお泊まりじゃ、駕籠の衆すぐに休すまっしゃれ。 ああ、言い残した(迎えの下女の言葉)、花車さん、小春様に気をつけてくださりませ。太兵衛様への 身請けが済んで金を受け取ったりゃ預かり物、酒を過ごさせて下さんすな。と、門の口から明日待たぬ、 冶兵衛と小春が土になる(死んで土に返る)種を撒き散らして下女は帰ったのだ。 茶屋の茶釜も夜一時、休むのは八つと七つとの間(午前二時から四時の間)にちらつく短檠(たんけ い、丈の低い燭台)の光も細く、更ける夜の川風寒く、霜が満ちている。 まだ夜が深い、送らせましょ。冶兵衛様のお帰りじゃ。小春様起こしませ。それ、呼びませ、は亭主の 声だ。冶兵衛は潜りをぐゎさと開け、これこれ、傳兵衛、小春に沙汰なし(自分が帰ることは黙っていて くれ)。耳に入れば夜明けまで括られる(引き止められる)。それ故によう寝させて抜けて往ぬる。日が出 てから起こして往なしゃ。我ら今から帰ると直ぐに買い物に京へ上る。沢山の用事を抱えているので、中 払い(盆と暮れとの中間、十月末の支払い)に間に合うように帰れるかは分からない。最前の金で、この 家の勘定は済ませ、河庄の所にも後の月見(陰暦十月十三夜の夜)の払いと言って四つ百五十目(四宝銀 を百五十匁)やって、その受け取りも貰っておいて欲しい。それと、福島の西悦坊(幇間の名前)が仏壇を 買った奉加(祝儀)に銀一枚を回向してやってくれないか。その他に関わり合いは、はあ、それよそれ よ、磯都(いそいち、盲目の幇間)への祝儀として小玉銀を五つ、それだけだ、仕舞って寝やれ。さら ば、さらば、京から戻ったらまた会おう。と、ふた足み足行くよりも早く立ち戻り、脇差を忘れた、ちゃ っと、ちゃっと(早く取って来てくれないか)、何と傳兵衛、町人はここが心安いぞ。侍なればそのまま 切腹するであろうな。我ら預かっておいてとんと失念。小刀も揃ったと渡せば取ってしっかりと差し、こ れさえあれば千人力だ。もう休みゃれと立ち帰った。 早く京からお帰り下さいませ。ようござりました(よくいらっしゃいました)の挨拶の言葉もそこそこ に跡はくろろ(くるる、戸が開かないようにする桟)をことりと差して、物音もなく静まった。 冶兵衛はつっと往ってしまった顔をして、また引き返す忍び足、大和屋の戸に縋り、内を覗いて見るう ちに通りを間近に迫ってくる人影にびっくりして、向かいの家の物陰に相手が通り過ぎるのを待ってやり 過ごした。 弟故に気を砕く粉屋孫右衛門は先に立ち、後には丁稚の三五郎が背中に勘太郎を背負って、行灯を目当 てに駆けて来て、大和屋の戸を打ち叩いて、ちと、物問いましょう、紙屋治兵衛はおりませんか。ちょっ と会わせて下されと呼ばわれば、さては兄貴だったかと、治兵衛は身動きもせずに更に身を潜めて忍んで いる。 内部では男の寝ぼけ声で、治兵衛様はもう少し前に京へ上られるとてお帰りになられました。此処には おいでではありません。とだけ、重ねては何の物音もしないのだ。 涙をはらはらと流して孫右衛門は、ここを出て帰ったのなら途中で会いそうなもの。京へとは合点が行 かない。ああ、気遣いで身が震える。小春を連れては行かなかったかと、思わず胸にどっきりと来て、心 の底に横たわる不安に堪えかねている。 心苦しさに耐えかねて、又戸を叩けば、夜更けて誰ですか、もう寝ましたよ。御無心ながら(ご迷惑は 承知しているが。申しかねるが)もう一度お尋ね致します。紀伊の国屋の小春殿はお帰りなされました か。ひょっとして冶兵衛と連れ立っては行きはしなかったでしょうか。 や、や、何じゃ、小春殿は二階で寝ておられる。あっ、先ずは心が落ち着いた。心中の疑念は無くなっ た。それにしても冶兵衛めは何処に隠れてこの苦しみをかけるのだ。一門一家親兄弟が固唾を呑んで臓腑 を揉んでいるとはよも知るまい。 舅への恨みから自分の立場も忘れて、無分別も出ようかと異見の種に勘太郎を連れて尋ねた甲斐もなく 今まで会えないのはどうしたことか、おろおろ涙の独り言。 治兵衛が隠れている場所とあまり距離もないこととて、孫右衛門の詞が聞こえて治兵衛は息を詰め、涙 を飲み込むばかりなのだ。 やい、三五郎、阿呆めが。夜々に失せる場所、外には知らないか。と、言えば阿呆は自分の名だと心得 て知ってはいても此処では恥ずかしくて申せません。 知っているとは、さあ、何処じゃ。言って聞かせろ。聞いた後で叱らないで下さいな。毎晩ちょこちょ こ行くところは市の側の納屋の下です。 おおだわけめ、それを誰が吟味する。さあ、来い。曽根崎新地の裏町を尋ねてみよう。勘太郎に風邪を ひかすな。役にも立たないろくでなしの親を持って、可哀想に冷たい目をするな。今の冷たい思いだけで 事が無事に済めば良いが。ひょっと憂き目を見せないだろうか。憎い、憎いの底心(そこしん)は不憫、 不憫の裏町をいざ尋ねんと行き過ぎる。 冶兵衛は影が隔たったので駆け出して跡を懐かしげに伸び上がり見て、心に物を言わせては十悪人(極 悪人)のこの冶兵衛を死ぬならば勝手に死ねとは捨てておけずに、跡から跡から御厄介、勿体無やと手を 合わせ伏拝み、伏拝み、猶この上のお慈悲には子供ことを宜しくお願い致しますとばかりに、暫し涙で咽 んでいたが、どうせ覚悟を決めた以上は小春を待とうと、大和屋の潜りの隙間をさし覗けば、内にちらつ く影は小春ではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年04月10日 19時45分23秒
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