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待てと知らせの合図のしわぶき、えへん、えへん、かっちかっち、えへんに拍子木打ち付混ぜて、上の町
から番太郎が来る、来る、手繰る風の夜は、咳きが出る、しわぶく、急き急き廻る火の用心、ごよざ、ご よざごよざも人目を忍ぶ時分にとっては辛い、葛城の神がくれしてやり過ごし、隙を伺い立ち寄れば潜り 戸が内側からそっと開く。 小春か、待ってか、治兵衛様、早く出たいと気を急けば、急く程に廻る車戸(下方に車のついた戸)が 開く音を人が聞きつけるのではないかと、持ち上げるようにして掬うようにして開ければ、しゃくって響 き耳に轟く胸の内。 冶兵衛が外から手を添えても心が震えているので手先も震え、三分四分五分と戸を少しずつ開けて、嬉 しい戸が開く。先の地獄の苦しみよりも傳兵衛ら鬼の居ぬ間とやっとのことで明ける年の春。 小春は内を抜け出して互いに手と手を取り交わして、北へ行こうかそれとも南にか、西か東か、行く末 はとても定まらずに、心の逸るそれではないが、早瀬の蜆川、流れる月に逆らって、東の方角を指して足 に任せて急いだのだ。 名残の橋づくし 走り書きした謡の本は近衛流(近衛三疏院信伊が始めたもの)と決まっているもの。野郎帽子(歌舞伎 俳優が用いる帽子)も若紫(紫縮緬)と決まっている。 悪所・色里狂いの身の果てはこのように成りゆくものと定まっている。釈迦の教えもあるものか、我が 身の因果(不幸な運命)の次第を因果経に照らして読んでみたいものだ。今日か明日には世上の言種(こ とくさ)に紙屋冶兵衛が心中したと絵草紙に摺られて根掘り葉掘りが世上に噂が広まるであろう。 桜木の版に剃る紙ではないが、神ならぬ死に神が絵草紙の紙の中に隠れているとも知らずに、商売を疎 くした報いだと観念はするものの、ともすれば後へ心が惹かれて歩み悩むのは道理であるよ。 頃は十月十五夜の、月にも見えない身の上は頃の闇の印なのか。今置く霜は明日消える、儚い喩えのそ れよりも先に消えていく。寝屋の内で、愛し可愛いと締めて寝た移り香も何となろうか。絶えず流れる蜆 川を西に見て、朝夕に渡るこの橋は天神橋、その昔に天滿天神が管丞相(かんしょうじょう)と申せし時 に筑紫に流されなされたのだが、君・ご主人を慕って太宰府へたった一飛びした梅、その梅田橋、後を 追う老い松の緑橋、別れを歎き悲しみて跡に焦がれる、木も枯れる櫻橋、今に噺を聞き渡る。一首の歌の 御威徳、このように尊い霊験のあらたかな神、その氏子として生まれた甲斐もなく、そなたを殺し我も死 ぬ。元はと問えばあの小さな蜆貝の殻にも満たない思慮分別を持たなかったから、短いものは我々のこの 世での住まい。飽きるまでもなく秋の日よ、十九と二十八年の今日の今宵を限りにて、二人の命の捨て 所、ぢいとばばとの末までもまめで(無事で、達者で)添おうと契ったのだが、丸三年も馴染まないで此 の災難に遭う大江橋(蜆川の南の川、堂島川に架かる)、あれを御覧よ、難波小橋から舟入橋の濱伝い、 此処まで来れば来る程は冥途の道が近づくと、嘆けば女も縋り寄り、もうこの道が冥土かと見交わす顔も 見えぬ程の滂沱の涙だ。 天満堀川に架かる橋も二人の涙で水浸しになるであろうよ。北へ歩けば我宿をひと目で見えるが見返ら ずに、子供の行方、女房の哀れも胸に押し包み、南へ渡る橋柱も数が数え切れぬほどにある。家の数も無 数であるが、如何に名付けたのか八軒屋(天神橋と天満橋の間、大川の南岸にある。伏見通いの船の発着 場)、誰と一緒に臥すではないが、伏見の下り舟が着かないうちにと道を急ぐ。 この世を捨てて行く身には、聞くのも恐ろしい天魔ならぬ、天満橋。淀と大和の二つの川が一つに合流 して大川となる。水と魚とは一緒に連れて行く。 我も小春と二人連れ、一つ刃の三瀬川、同じ刃で死んで三途の川を渡る定めであるが、大川の水を手向 けの水として受けたいものだ。何を嘆こうか、この世でこそは添わなかったが未来は言うに及ばず、今度 の今度、ずっと今度のその先までも夫婦ぞや。一つ蓮の頼みには一夏(いちげ、仏家で陰暦四月の十六日 から七月十五日までの九十日間、家に閉じこもって修行をするのを夏安日・げあご と言い、その期間を 一夏と言う。また、その間に経文を、本文では普門品、又は仏名を写すのを夏書・げがき と言う)に一 部を夏書した。 大慈大悲の普門品(ふもんぼん、法華経第二十五品、観音の利益を説く)、法蓮華経ならぬ、京橋を越 えれば到る彼岸(かのきし)の玉の台(うてな)に乗るではないが、法(のり)を得て仏の姿に身を成す、 成橋(なりはし、京橋を渡り、片町を経て網島に行く間の鯰川に架かる)、衆生済度(しゅじょうさいど) がままになるならば流れの人・遊女のこの後に、絶えて心中はしないように、守りたいぞと及び難い願い も世上の世迷い言・凡夫の愚痴、思いやられて哀れである。 野田の入江の水煙・朝靄、山の端白くほのぼのと、あれ、寺々の鐘の声、こう、こう、こうして何時ま でかとても長らえ果てぬ身を、最期を急ごうこなたへと手には百八つの玉の緒を、涙の玉にくり混ぜて、 南無阿弥陀仏、網島の大長寺(網島の北端にあった浄土宗の寺)、藪の外面(そとも)のいささ川。小川、 流れがみなぎる樋の口の上(水門の上流)に到着したのだ。 ねえ、何時までうかうか歩いても、此処が人の死に場所だと定まっている所もない。いざ、ここを往生 場と手を取り合って土に座したところ、それについて話がある。 死場(しにば)はどこでも同じこととは言いながら、途中、歩きながら思うのにも、二人が死に顔を並 べて小春と紙屋冶兵衛が心中したと噂が立ったならば、おさん様からの頼みで、殺してくれるな、殺すま い、治兵衛様とは縁を切りますと約束を取り交わしたその文を反故にして、大事の男を唆しての心中は、 さすが一座流れ、その場限りで真実のない遊女だと、義理知らず、の偽り者、と世の人の千人万人よりも おさん様お一人からの蔑み、恨み、妬みもさぞと思いやり、未来の迷いはこれだけです。 私を此処で殺して、こなさんはどこぞ所を変え、ずっと離れて脇で自害して下さいな、と治兵衛にうち 凭れて口説くと、冶兵衛も小春も共に口説き泣きする。 ああ、愚痴なことばかりだなあ、おさんは舅に取り返され、暇をやって離縁した以上は他人と他人、ど の様な義理もない。道すがらに言ったように、今度の今度の、ずんど今度の先の世までも夫婦とちぎった この二人だ、枕を並べて死ぬのに誰が謗るか、誰が妬むか。 さあ、その離別は誰の業でしょう。私よりこなさん、猶の愚痴です。体があの世に連れ立つか、別々の 場所で死んで、たとえこの体は鳶や鴉につつかれて、二人の魂は附き纏わり、地獄へも極楽へも連れ立っ て下さんせ。そう言って又伏し沈み泣いたところ、 おお、それよそれよ、この体は地水火風、死ぬれば空に帰る。五生七生と何度生まれ変わっても朽ちた りはしない夫婦としての魂は一体で決して離れはしません。証拠は合点かと、脇差をがばっと抜く放ち、 元結際から自分の黒髪をふっつと切って、これを見なさい小春、この髪のある中は紙屋冶兵衛と言うおさ んの夫、髪を切った以上は出家の身、三界(もと、一切衆生が生死・輪廻を繰り返す三種の世界。即ち欲 界・色界・無色界を言う。ここは娑婆、現世を言う)の家を出て、妻子珍宝不随者(係累のない)法師だ。 おさんと言う女房がないのだから、お主が立てる義理もない道理だ。と、涙ながらに投げ出した。 ああ、嬉しゅう御座んすと、小春も脇差を取り上げて、洗ったり梳いたり撫で付けたりした黒髪を、酷 いことだが惜しげもなく、投島田、はらりと切って投げ捨てた。 枯野の薄、夜半の霜、共に乱れる哀れさよ。浮世を逃れし尼法師、夫婦の義理とは俗の昔、とてものこ とにさっぱりと死場を変えて山と川とに別れて、この樋の上を山に準えて、そなたが最後場。我は又、こ の流れにて首括り、最期は同じ時ながら、捨身の品も所も変えて、おさんに義理を立て抜く心の道、その 抱え帯(細く絎・く けた帯。しごき)をこっちへと若紫の色も香も無常の風に散るそれではないが、縮 緬のこの世あの世の二重廻り樋の俎板木にしっかりとくくり、先を結んで狩場の雉(きぎし)の妻ゆえに 我も首を締め括る罠結び(帯の一端を引けば締まるように輪形に結ぶこと)。 我と我が身に死拵え、見るに目も昏れて、心昏れ、こなさんそれで死なしゃんすか、所を隔てて死ぬな らば側にいるのも少しの間、ここへ、ここへと手を取り合い、刃で死ぬるはひと思い、首を括るあなたの 方はさぞや苦痛なされましょう。そう思えば愛しい、愛しいと留め兼ねた忍び泣き。 首を括るのも喉を突くのも死ぬ苦しみが一通りのもので済むものか。由無い事に気を取られて、最後の 念を乱さなくても、西へ、西へと行く月を如来と拝み、目を離さずに、只今西方極楽浄土を忘りゃるな。 心残りの事があれば、言ってから死にゃ。何もない、何もない。こなさん定めしお二人の子達の事が気に かかろ。あれ、ひょんな事を言い出して、又泣かせるのか。父(てて)親が今死ぬとも何心もなくすやす やと可愛や寝顔を見るような、忘れないのはこればっかり。そう言って、かっぱと伏して泣き沈む。 冶兵衛の泣く声と鳴き声を争う群れ烏、塒を離れて鳴く声は、今の哀れを問うのかと、いとど涙を添え たのだ。 のう、あれを聞きなさい、二人を冥途に迎えの烏が牛王の裏に誓紙一枚書く度に、熊野の烏がお山にて 三羽ずつ死ぬと昔から言い伝えているが、我とそなたが新玉の年の始めに起請の書き初め、月の始め月が しら書いた誓紙の数々、そのたびごとに三羽ずつ殺した烏はどれほどだろうか。 常には、可愛い、可愛いと聞いていたが、今宵の耳にはその殺生の恨みの罪。報い、報いと聞こえるの だ。そう言えば、報いとは誰故なのか、我故に辛い死を遂げるのだ。 許してくれと抱き寄せれば、いや、わし故と締め寄せて顔と顔とを打ち重ねて、涙に閉じる鬢の髪、野 辺の嵐に凍りけり。 後ろに響く大長寺の鐘の声、南無三宝、長い夜も夫婦の命は短いと夜は早くも明け渡る。 晨朝に尋常の死は今ぞと引き寄せて、跡まで残る死に顔に泣き顔を残さじとにっこりと笑顔が暁の薄明 かりに白々と浮いて見える。霜に凍えて手も震え、我から先にと冶兵衛は目も暗み、刃の立てども無くて 泣く涙。 ああ、急くまい、急くまい、早う、早うと女が勇むのを力草にして風が誘い来る念仏は我に勧める南無 阿弥陀仏、弥陀の利剣とぐっと刺されて小春をその場に引き据えておこうとしても、反り返り、七転八 倒、こは如何に鋒は喉笛を外れて死にもやらず、最後の業苦に共に乱れて、苦しみの気を取り戻して引き 寄せて、鍔元まで刺し通した一刀、抉るのも苦しい暁の見果てぬ夢と消え果てた。 頭北面右脇臥にして羽織を打ち着せて屍骸を繕い、泣いても尽きない名残の袂を見捨てて、抱え帯をた ぐり寄せてから首に罠を引き掛けた。寺の念仏も切り回向(勤行の最後に唱える回向文)、有縁無縁乃至 法界平等の声を限りに樋の上から一連託生南無阿弥陀仏と踏み外し、暫し苦しんだが、生瓢が風に揺られ る如くで次第に消えていく息の道、呼吸を止める樋の口に、この世の縁は切れ果てた。 朝出の漁夫が網の目に見つけて死んだ、やれ、死んだ。出合え、出合えと声々に言い広めたる物語。直 ぐに成仏得脱の誓の網島心中と、目毎に涙をかけたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年04月14日 21時06分25秒
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