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女殺し油の地獄
上 の 巻 舟は新造の乗り心地、さよいよえ、君と我と、我と君とは図に乗った乗って来た。しっとんとん、しと とん、しととんしととん、しっとと、逢瀬の波枕、盃は何処へ行った。君が盃、何時も飲みたや、武蔵野 の、月の、月の夜すがら戯れ遊べ、囃し立てたる大騒ぎ。 北の新地の料理茶屋、主なけれど咲く花や、後家のお亀が請け込んで(引き受ける、飲み込む)客の 替え名は蠟九(ろうきゅう)とて、生まれは陸奥会津であり、世間の評判を落とさない程度の程よい遊興 ぶりだ。 この頃難波のこの里に上り詰めたよ、天王寺屋。小菊を思い、思われたさに鯰(なまず)川からゆらゆ らと野崎参りの屋形船、卯月(陰暦四月)半ばの初暑さ、末の閏(うるう)に追い繰りてまだ肌寒い川風 っを酒で凌いで、浮かれ行く。昔在霊山名法華(しゃくざいりょうぜんみょうほっけ)、今在西方名阿弥 陀(こんざいさいほうみょうあみだ)、娑婆示現観世音(しゃばじげんかんぜおん)、三世の利益(りや く)、三年続き、去去年戊亥(つちのえゐ)の春は、裏屋背戸屋(裏長屋)に罪深く針櫛箱や数珠袋、底 に日の目も見ず知らず、一文不通の衆生まで千手(せんじゅ)の御手の掴み取り、紫磨黄金(しまおうご ん)の御膚(はだえ)に忽ちに成る、那智の観世音。 去年は和州法隆寺、聖徳太子の千百年忌、聖徳太子もまた救世(くせ)の大悲の化身。続いて今年はこ の薩唾の沙汰、櫻の見頃が去った山里の、誰訪うべきもなかったのに、老若男女の花が咲いて(着飾って 参詣する様)足を空に惑うではないが、そらそら、空吹く風に散らぬ色香の伊達参り、大人も童も謡うの を聞けば、行くもちんつ、帰るもちんつ、また来る人もちんつちりつて、ちりてって、傳(つて)を頼み の乗合船は借り切るよりは得、徳庵堤(寝屋川の北、徳庵村の堤)では艫(とも)に舳(へさき)を漕ぎ 付けて他所も一つの舟の内、客はこれ見よ顔自慢、ややともすれば痴話事(色ばなし)になりがちだがそ れを避けることもできない遊女の身の上、人も恥ずかしい、気詰まりだと小菊は陸(おか)に一飛びにぴ らり帽子(女が外出時に笠の下に被った紫縮緬の帽子。額を覆って左右に垂れ、ひらひらと翻る所から名 付けた)を深々と眉は隠しているが風采(とりなり)は町では見慣れない名古屋の胸高帯には、小笹に露 が溜まらない如くに、小菊の艶姿を目にしてはとても堪らずに、始末算用世智辯、始末心も吹き飛んでし まう。人にこそより品により誰にでも応じるわけではない。 縒(よ)れたり縺(もつ)れたりして、道草に、人の言草が、ああ、難しく、煩く、憎く、厭らしい( (道行く人が小菊に付きまとい詞をかける様)。我が供船を手招きして、これの見さんせな、愛宕の山に に、よえ、沈(じん)の煙が三筋立つ。煙がな沈の、沈の煙が三筋立つ。 四筋に分かれる玉鉾の道、これより巽(たつみ、東南)奈良街道、艮(うしとら、東北)隅は八幡道、 玉造(たまつくり)へは坤(ひつじさる)。西は元来た京橋や野田の片町、大和川、此処は名に負う寿命 の松、御代長久の岡山を歌では忍びの岡とも詠み、佐良々山口一つ橋を渡して救う御願力、無量無辺の聚 福閣慈眼視衆生念被観音(じゅふくかくじげんじしゅじょうねんぴかんのん)、身得度者の御誓、問うも 語るも行く舟も、陸路(かちじ)拾うも諸共に迷いを開く腰扇(腰に差した扇。当時、神仏に参詣の折は 扇を開いて前に置き、これに神仏を勧請して礼拝する風があった。迷いを開く意と、扇を開く意をかけ た)、御堂に念珠繰り返す。 所を問えば本天満町、町の幅さえ細々の柳腰、柳髪、とろり渡世も種油、梅花(髪油)紙漉(髪で漉し た精製油)荏(え、えごま)の油(荏の実から取る油)、夫は豊島屋(てしまや)七左衛門で、妻の野崎 の開帳参り、姉は九つ三人娘、抱く手、引く手に見返る人も子持ちとは見ない華盛り、吉野の吉を取って お吉とは誰が名を付けたのであろう。お清は六歳の中娘、母(かか)様、茶(ぶぶ)が飲みたい、と声を 出した。折節、傍の出茶屋見世に、此処を借りますと休憩したのだ。 こちらも同町の筋向い、河内屋(かわちや)與兵衛まだ二十三、親ががりだ。同商売の色友達(色里通 いの仲間)刷毛(はけ、刷毛鬢)の彌五郎と皆朱(かいしゅ、朱塗は赤ら顔から来た渾名であろうか)の 善兵衛、野崎詣りの三人連れ、万事を夢と飲み上げて、寝覚め提重(物見遊山などに用いる軽便な提重 箱)と五升樽を坊主持(同行の者が途中で坊主に会う毎に荷持ちの役を変わること)して来た。 小菊が客と連れ立ってよしよしと下向する。この道筋、のさばり返って来る道、茶店の内から、申し、 申し、與兵衛様、此処へ、此処へと呼びかけられて、や、お吉様、子供衆連れての参詣ですか。存じてい たならば連れになりましたものを。七左衛門殿は留守をなされておられるのですか。 いや、此方の人も同道です。二三軒寄るところもあり、追っ付け此処に見える筈、お連れ衆もまあ、此 処へ。平に平に(是非とも)と強いられて、煙草を一服致そうかと、腰を打ちかけたのも道楽者らしい。 何と與兵衛様、御繁盛なお参りではないかいのう。金満家の娘子達やお家(中流以上の商家の主婦)様 方、あれあれ、あそこに桔梗染めの腰変わり(衣装の腰から下の染色や模様が変わっている物)、縞繻の 帯、それ者(玄人)じゃわいの、わいの。それ、それ、それ、そこへ縞縮(しまちじみ)に鹿の子の帯、 確かに中(大阪で、新町を指して言う。他の色里に対して一段高い格式を持った)の風と見た。また一位 見事ではあるぞ。いかさま(成る程)若いお衆がこのような折に、あんな見事な者を引き連れて、人が羨 む様な贅を尽くしたのは道理です。此方(こな)様も連れ立ちたい者がいるでしょう。 こんな折に、新地の天王寺屋小菊殿か、新町の備前屋松風殿か、どうです、図星でしょう。よく知って いるでしょう。何故に連れ立って参らなかったのです、正面からおだてると直ぐに乗せられて、残り多 い、どうぞ今日は物の見事なことで、参詣の群衆に目を覚まさせてやろうと、この間中から色々ともがい たが備前屋の松風めは先約があり、貰いも貸すもならぬと抜かした。 天王寺屋の小菊めは野崎へは方が悪い、どなたの御意でも参らぬと言い切った。それに、聞いてくださ れ。小菊めが今日は会津の客に揚げられて早朝から川御座(かわござ、川を上下する屋形舟)で参りお った。 田舎者に仕負けては(張り合って引けをとっては)この與兵衛が立たない。小菊めが帰るのを待って一 出入(一談判、一悶着)とは噺の内から二人の連れ、腕を押しもんで力みかけ、鬼とでも組もうという勢 いなのだ。 それそれ、問うには落ちずに語るには落ちると、利口そうにそれが信心の観音参りかと、喧嘩師の野良 参り。買わしゃんす、お山も傾城も、何屋の誰、何屋の誰と親御達がよく知っていとしぼ、愛おしい。そ ちへは與兵衛が間がな隙がな入り浸たっておる。異見して下されと、私等(わしら)夫婦に折り入って口 説き事(嘆願)、こちの七左衛門殿も定めし意見もされたはず。きっと此方(こな)様の心には場所もこ そあれ野天の掛茶屋で若い女子のざまで、人子鉢(大小数個組み合わせて、段々に中へ納まるように仕組 んだ鉢)の様な自分の子供の世話ばかりを焼いておらずに、小差し出たと憎かろが、この諸万人の群衆を 突き除け押し除けして目に立つ風俗、本天満町河内屋徳兵衛と言う、油屋の二番息子、茶屋々々の譯もろ くに立てず(支払い勘定もろくにしないで)、あのざま見よと指差しをするのが笑止な。実直で手堅い兄 御を手本として商人(あきんど)と言うものは一文の銭も徒(あだ)にせずに、雀の巣さえ少しずつ材料 を運んでいても立派に形になる。随分と稼いで、親達の肩を助けよと心願を立てなさいな。脇へは行かな いその身の荘厳(他人の為ばかりではなく、結局本人の身に幸福となって返ってくる)。はあ、気に入ら ないのか返事がない。お吉は中の娘に向かって、姉おじゃ、早く帰ろう。 道で此方(こち)の人に会われたら本堂で待っていると言って下さいな。茶屋殿、過分(お世話様)と 言って袂から置く茶の銭の八九文、四分には重く、五分には軽々しげな物参りだ。別れてお吉は通りけ る。 悪性に上塗りする皆朱の善兵衛、あの女は與兵衛の筋向いのおか様(お内儀)ではないか、物腰もどこ やら恋のある美しい顔で、さてさて、堅い女房だな。されば、年もまだ二十七、色はあるけれども数の子 程に子供を産み広げても、所帯染みないで気が地味な、器量よしの女房に大変な疵だ。見かけばかりで旨 味がない。飴細工(葭茎の先に飴の塊をつけ、他の端から息を吹き込んで膨らませ、鳥の形などに拵えて けばけばしく彩ったもの。大道で売った)の鳥じゃぞ。そう言って笑う。 このようであるとはどうして知ろうか、白人の田舎の客に揚げられて、連れて女主人の亀も混じって替 え歌のちんつ、も国訛りで、やつしは甚左衛門、幸左衛門の思案事、四郎左の憂い事。ちんつ、ちんつ、 ちんちりつてつて、日本一の名人様、やっちゃ、やっちゃ、と褒める歌よりも褒めさせる。金さえあれば どんな芸でも上手で通る。 そりゃそりゃ来たぞと、三人が手ぐすね引いている顔の色。小菊が遠目にはっと驚き、申し、花車さ ん、同じ道ばかりでは気が尽きます。始めの舟に乗りたいと裾をかい取って立ち休らう。 先に與兵衛が真っ直ぐに帆柱の如くに立ち、跡には二王が張番立ち。與兵衛よ、急くな女郎と詰め開い て男を立てろ。会津の蝋燭客が光立ちしたら(とやかく文句を言ったなら)、こちらの二人が芯を切って 踏み消してくれよう。草履を腰に腕まくり、客は顛倒、花車も下女も狼狽えて、小菊を囲って震えてい る。 小菊殿を借りたぞ、馴染みの河與が借りるからは動かせぬと、茶屋の床几(しょうぎ)に引きずり据え て、これ売女(ばいた)様、安お山様、野崎は方が悪い、どなたの御意でも参らぬと、この河與と連れに なるのを嫌い、好いた客と参れば方も構わないのか。その譯を聞こうと理窟ばる。 目玉の鬼門金神(きもんこんじん)も柔らかく小菊は受け止めて、これ、河與様(さん)、角が取れま せんね(ひらけない、野暮ったい)、小菊と言う名が一つ出れば、與兵衛と言う名は三つ出るほどに深 い、深いと言い立てられた二人の仲です。連れ立って参らぬのもみなこなさんが愛しい故。 人におだてられ、けしかけられて何じゃいの、わしが心は誓文こうじゃと、ひたりと抱き寄せてしみじ みと囁く。色こそ見えないが、よい香が河與を包む。河與は悦喜して、ええ、忝ないと顔の相好を崩して 伸びた顔つき。 客は堪らず傍にどうと腰掛け、小菊殿、御身は聞こえぬか、如何なる縁であるのか会津様程愛しい人は 大坂中にいないと言ったぞや。国許の外聞、身の大慶と、大事の金銀を湯水のように使い、川遊び、ちょ がらかされに(嬲り者にされに)来たのではない。その男が聞く前で、昨夜の如く言わないか、そうでな いととやとや通り、山中の道を越えて二度と郷里には帰らぬぞ。 どうだ、どうだと責め立てる。言い合わせていた二人の連れがつかつかと寄って、やい。もさめ(田舎 者め)、この女郎はこっちに貰うぞ、置いて帰れ。但し、東土産に川の泥水を喰らわせようか。と、両方 から立ち挟み、投げてくれんと凄む面構えだ。 坂東者はどう強く、何をさぶい、さぶい共、人脅しに腕に色々の彫り物をして喧嘩に事寄せて懐の物を 取ると聞き及んでいる。貧乏と言う棒に脛を殴られて腰膝も立たない遊女狂い、上方の泥水よりも奥州者 の泥足でも喰らえ、とつっと寄り蹴上げた足首、刷毛の方が頤(おとがい)を蹴られて筋が違い、どうと 転んでころころころ、小川にどんぶと蹴落とされた。 これはと取り着いた皆朱は大事の命の玉(睾丸)縮み込む程に蹴りつけられて、しまった、鳶に物を攫 われた。呆れて空を見い見い、地べたに這いつくばって逃げて行くへは知れないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年04月16日 20時30分35秒
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