カテゴリ:カテゴリ未分類
心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)
上 之 巻 花のお江戸へ六十里、梅の難波へも六十里、百二十里の相の宿(もと宿場と宿場との間にあり、立場・宿 場の出入り口にあって、旅人・駕籠舁き・人足・傳馬などが休息した掛茶屋 茶店、旅籠などがある里を 言う)、都を離れて遠江(とうとうみ)、浜松の一城主・淺山殿が御在国(国主が江戸参勤中ではなく在国中 であるのを言う)、町屋、町屋の賑わいや商いに弛(たゆ)みはなく、武士は弓馬に怠らず、一日置きの お鷹狩、上一人の励みより犬でさえ油断はしないのだった(鷹狩には犬を連れていくのが常なので言う)。 お家相伝(譜代の家来)の弓頭(ゆみがしら、弓組を統括する役。弓大将)坂部郷左衛門は六十歳の皺が夜 となく昼となく、主君のお側を離れない野出頭(主のしゅっとう、君が郊外に出かける際に常にお側を離れ ない寵臣)である。 今日も鷹野へのお供をして、留守の屋敷は大手の見附(城の表門の前にある)、お鷹帰りの御入りとて、 昼に当場から先案内(狩場からの先触れがあって)、給人若党お出入りの町人までが降ってわいたかの如き 忙しさ。 御主君が御成りとあって、座敷の畳を替え、床には掛物、臺子(だいす、茶の湯に用いる四本柱の棚。茶 の道具を載せる)の埃を掃いたり拭ったり、お庭の掃除、どさくさ紛れに雑草の根を引っこ抜く。薄茶も 挽く。茶道は引き木で揉まれる。げに誠を忘れてしまう忙しさだ。 門の盛り砂、小者は箒に揉まれる、臺所の板本(いたもと、板場、料理場)には青物の淵、魚鳥の山、献 立は三汁九菜、おちた肴(魚が腐っていないか)を吟味の役人、こりゃ目出たいと、鯛を三枚におろし、山 葵(わさび)は八百屋が請け取り(引き受け)、南京の皿、蒔絵の家具(椀家具、食器)、膳を尽くしてのもて なしなのだ。 組下の二番生(にばんばえ、部屋住み、次男坊)金田甚蔵、岡軍右衛門、大橋逸平など打ちそろって血気 盛り、立ち掛けのんこ(髷の根を高く立てた派手な髪の結い方)の頭がち、裾はお留守の勝手見舞い、いず れもご苦労、ご苦労と声を掛けた。 今日のお鷹狩りでは野から直にお腰かけとな(主君御休息との由)、急な御成りでさぞや取り込み(混雑) お料理組はもう出来たか、早い、早い、我々も幸い非番だ。用があれば遠慮は無用だ。そう、口々に挨拶 して、座敷口から小姓の山脇小七郎が生け花屑を花盆に、花の露が浮く前髪の盛り、するすると立ち出で て、これはこれは日頃の御懇意、お揃いなされてのお出で、主人の郷左衛門もさぞ満足でしょう。 ただ今の御主君は先代と違い何かにつけて軽いお身持ち(お振舞)、壁に馬を乗りかけた今日の御成り(出 し抜けに事を行う意の諺)、主人はお供、我々が当惑した。掃除などもそこそこに、書院(武家の表座敷を 言う)の筆架(使った筆を掛けておく台)飾り石(床の間に飾っておく石)、生け花も手づつ(不手際、不器 用)ながら間に合わせるのも御奉公のうち、御内見の上で御直しくだされい。詞も風も出過ぎてはいない、 糠味噌と若衆は武家屋敷に極まるのだ。 金田甚蔵、岡、大橋、どうしてどうして君への御手際で手抜かりがあろうか。そうではあるが、人に心 を尽くさせようとする薄情でない心がひとつの疵となり、目面も明かぬ取り込みに額で睨みつけて、袖を 引き、手の中をつまむ(情を通じる仕草)のも一昔古い仕掛けがやはり田舎なのだ。 坂部郷左衛門は衣服の綺羅も世につれて(衣服を飾ることも特に抑制したわけではないが、世間の風潮に つれ上意を体して戒めることはないのだが、上に従う木綿羽織に紺股引、鷹野出立の凛々しさですたすた と立ち帰り、家来共、掃除は出来たか、やあ、三人の若侍、いずれも見廻りご苦労であるぞ。有難い。 いやさ、いやさ、年は取りたくないものだ、岩松村の岩水寺の門前からお暇を請け、たった一飛びとは 思ったのだが氣情(けじょう)も足も心ばかり(気ばかり焦って足が進まなかった)、さりながら、殿には今 一拳(ひとこぶし、一回鷹を合わせること)あってから参られるぞ。急くことは全くないぞ。 先ず、御献立を一見と、長々と書付けた物に半分目を通してから、おおきに魂消たぞ、こりゃなんだ、 殿の御膳は一汁一菜と先達(せんだって)言い越してあったのに三汁九菜で魚鳥づくし。身の身上を板木で 切りはたくのか、この献立は誰の指図だ。そう言って以ての外の不機嫌に、頭も光らせながらに叱り飛ば したのだった。 小七郎がしとやかに進み出て来て、憚りながらこの儀はお侍中の指図ではありません。二三日以前より 長屋に逗留中の大阪の住人、靭油(うつぼあぶら)掛町八百屋半兵衛と申して、もとは御当地の遠州生ま れ、腹換わりの兄。様子があって五歳の時に大阪に立ち越え、町人に奉公致して商人の養子となり、現在 の親は八百屋の伊右衛門。実父の山脇三左右衛門は私が生まれた年に相果てて、当年は十七年忌で親の墓 への年忌参り、私事も懐かしく召し使われるご主人への御礼も申したいと、逗留いたしている兄の半兵衛 は商売は八百屋、殊更に料理利き、それを幸いと今日の御献立を致させましたのはこの私。不調法を致し ました。 御目出度き折柄、御機嫌を直されて、兄へもお会い下されましと恐れ入っての謝りに、主人の顔も打ち 解けたので、これ、半兵衛殿、よき折の御目通り、御献立をし直す為に、早く、早くと呼び出したのだ。 その声を頼りにして兄半兵衛、魂は武士であるが三十余年の間町人で業(わざ)も姿も染みついて、料理 袴をはいて仮初に御前への姿を現すにも気後れがして、台所の板敷にけつまずくやら滑るやらで、ほうほ う這い出して手をつかえ、御国の御家風も存ぜず御献立を致したのは無調法、先達てお使いに一汁三菜と の御意でしたが、大阪蔵屋敷留守居方の振る舞いでも、随分と軽くても二汁五菜、結構には段々と上等の 料理ともなれば限もなく、朝鮮人のもてなしで御堂にも雇われて、七五三、五五三、山蔭中納言の家の切 り方など、料理一通りは承って居りますゆえに、何と言いましてもお大名の膳部、よもや一汁三菜とはお 使いの聞き誤りと言われぬのに念を入れ過ぎたのはやはり無調法で、御望みの一汁三菜は我らが手際でき りきりと切って焚き立て、塩梅好しの御機嫌よし。御意を待つまでもなく、松茸、塩漬けの筍(たけのこ) も生の物と変わらぬように料理するのが秘訣。 料理の味加減同様に弁舌も巧みに、郷左衛門はうち笑って、むむ、山脇三左衛門の倅であるから身がた めにも家来筋だ。親の廟参(墓参)は殊勝である。幼少から他国に育ち当御代の御風儀を知らないのは道 理、料理は勿論、衣類諸道具すべての無益な費えが御嫌い、上方でもその風聞はないか(田舎侍の面目躍 如)、去年十月高師山(たかしやま、二川の宿と白須賀の間にある)のお狩場、身の相役佐野文太左が初め てのお供に縮緬羽織を着用召されたるを殿がじろじろと御覧なされ、縮緬は風を含んで自由がきかない。 二度と着るな、これを呉れると御意なされてお手づから下された召し替えの木綿羽織、さしもの文太左も はっとばかりに赤面して、その後はこのことを工夫して(よくよく考えて)お供に参る文太左、縮緬の羽織 は決して着用しなくなった。 兼ねて文太左が殿と示し合わせて家中一同が見る前で木綿羽織を下されたのは、表立って奢侈禁止と布 告をせずに自然に奢りを一同が止めるようにとの御意見と見た。 それを察しない御家中の二番生(ばんばえ)達の樣(ざま)を見よ。江戸の芝居町の木挽町や堺町の役者も 顔負けするほどの派手な身なり、自分の身の分際も知らずに、一概に、殿はお吝(しわ)い、お吝いと勿体 無い陰口、綾錦を召されてもお大名、綿服を召されてもお大名、斎藤別当実盛の最後は錦の直垂(ひたた れ)を着ていたけれども、源氏を捨てて平家に返り忠(旧主に背いて現在の主に忠義を尽くすこと、裏切 り)の武士だ、心は汚れて襤褸(つづれ、ぼろ)同然。 又、佐々木源蔵は二君にも仕えず襤褸の肩を裾に結び、頼朝の御代を待ったのは心の錦、今の武士が美 麗を好むのは實盛流、佐々木の遺風を芳しと思召す此の殿の御行跡は下を寛げて世を豊かにし、売り買い を安くしようとしての御倹約、武士はもとより町人のそちとらまでこの御恩を忘れてはいけない。 朝夕の御膳部も一汁三菜、酒も数を定められて三盃限り、今日の御もてなしも粗末な程に御気に入るだ ろう。献立も書くには及ばないぞ。こりゃ、飯は質の悪い赤米を混ぜたかび臭いやつをこわ目に焚かせ て、おとし味噌の汁に小菜を浮かせて、向付にはおろし大根と鰯と膾(なます)、焼き物(炙りもの、魚や鳥 の肉の焙ったものを言う)は室鯵(むろあじ、播磨の国室津で多く獲れたので言う)の酢煎り、それも二つ 切り、それに古茄子の香の物、さて、平椀(ひらわん、あさくて平らな椀)には、おお、それよ、家来に持 たせて来た山の芋だ、これへ、これへと呼び出せば、五尺ばかりの山の芋、中間二人が差し担い、料理場 の板敷に、菰(こも)を放して舁き上げれば半兵衛は横手を打って(意外な折に、思わず両手の掌を打ち合わ せる仕草)、飛んでもない山の芋だ、御当地は芋所なのか、一生の見始めだ。大阪で見世物に致したら銭 金の摑み取りだ。第一にお家の吉相。何故とならば今日は殿の御成り、旦那の御出世、追っ付山の芋から 鰻にお成りなされよう。と、軽薄なぬらくら口に鰻の油をとろりと乗せ掛ければ(おだて上げれば)、され ばされば今日の仕合せ、手下の百姓が殿の御成りを聞きつけて、身が帰る際の道料理にせよと言って呉れ たのは幸い、今日のおもてなしで御馳走と言えるのはこれだけだ。 お身が自慢の包丁、切り方を随分と発揮してきれ。頼む、頼むと言う詞の下で、御成門の閂を外す音が 響いた。すは、殿の御入りだとざわざわと騒ぎ立つ。 郷左衛門も袴を改めるので次の間へ行き、お出迎えにと出て行けば、山脇、小七、岡、大橋、金田らが 続いて急ぎ出て行く。 半兵衛は料理に料理に心が急く、打ったり舞ったり身はひとつだ(一人で同時に種々の事をするのに言 う)。薄刃を押っ取り五尺の大芋を三寸ばかりに切り整えて、さっとばかりに気軽に皮を剥き、ちょきち ょきちょき、葛醤油の出し塩梅煮方は急ぐ、殿の御顔も拝みたいので座敷口からさし覗けば、御城主は股 引がけで上段に着座された。 一間隔てて近習の人々、鷹匠、犬引き、勢子、足軽達が玄関の小庭に居あまり、台所口を押しとおって 長屋、長屋を休息場、奥では台所での料理を急き立てる。 主の郷左衛門は殿の御膳を目八分にささげて持ち出せば、思い思いに給仕の作法、お汁が替わる、替え 飯継ぎ、初献の肴は蛸の足一切れ当ての引重箱(膳部に添えて出す肴を盛る重箱)、二献めも御機嫌よくお 盃が替わって平の蓋、珍しい加田ワカメ(紀伊の国名産の海布)の台引物(膳部に添えて出す肴を盛る台)、 定めの通りに御酒三献、吸い物は殻蜆(からしじみ、殻付きの蜆)、思いの外の無馳走(粗末な料理)に上は 御悦喜なされ、納の盃、坂部もなみなみとつがれた酒を飲み干し、首尾よく膳部は下げられた。 郷左衛門が板本に立ちはだかって、半兵衛を睨ねめつけて、今日の料理は芋が一種、でっかいところを お目にかけるのが御馳走だったはずだ。どのように切ったにしても五尺あまりの大芋を一寸余りに切り砕 くとは言語道断だ。 手打ちにする所だが、他国者ではあり、殿の御成りの時節だ。屋敷には置いておけない、出て失せろと 息詰まった腹立ちは詞は少ないが凄まじい。 半兵衛は膝も動かさずに、これは旦那の御意とも受け取れません。今日の御料理は随分と切り方にも気 をつけて心一杯に出来上がったと面目を施したといささか得意でありました。御褒美は下されないで思い がけないお叱り。総じて貴人大人へは何に限らずかようの珍しい物はお目にかけないのが料理の習い。 大名高家は大様でして一度お目に触れなされては沢山にあるものと思し召して、隣国の大名方とのお出 会いにも、身が領内には珍しい山の芋があるなどお国自慢をなさり、ひょっとして余国から御所望があっ た場合ににっちもさっちもいかずに、国中を尋ね合わせても有り合わせずに思いがけずに殿さまを嘘つき にしてしまうでしょう。そこを弁えて常の如くに御調味致したのは旦那への御奉公と存じたのですが、ご 機嫌に違ってしまったのは身の不幸せです。如何様にも存分になさって下さいまし。と、どこやらに詞を きっぱりと言い切る所が残っているのは、武家生まれの気性である。 郷左衛門は口をあんぐりとさせて、むむ、こりゃ、尤もじゃ、いや、尤も。誤り申した、誤り申した ぞ。そちが言い分を真っすぐに殿に申し上げるのがまた御馳走である。 やれやれやれやれ、山の芋で足を突いたとどっと笑えば、早お立ちとお供周りが振り出す毛槍(鳥の毛で 飾った槍)、台笠(袋に入れ、長い棒の先につけた被り笠)、立て傘(袋に入れた長柄の傘)、大鳥毛 (鷹の羽で栗のいがの形を作り、馬印、または槍の鞘にしたもの)、乗り物、引き馬(鞍覆いをかけて引い て行く馬)が嘶き立ち、御城内まで御礼の御供(主君の来訪に対するお礼言上のため)、郷左衛門もお輿に 附き添って暮れぬ間に御帰城と気もせき、夕陽の入日影。 座敷の仕廻りは侍方、庭の締まりは中間や小者、役目役目に立ち分かれる。 台所には半兵衛が一人、包丁、真魚箸(まなばし)、薄刃、俎板、などを取りかたずけてから、煙管を咥 えて吹く息に鐵拐(てっかい、中国の仙人。自分の欲する物を口中から吐き出したと言う)、の皺を伸ばし たのだ(吐き出す煙の行方を眺めながら休憩する様はまるで鉄拐仙人のようだ)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年05月07日 15時43分28秒
コメント(0) | コメントを書く |