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草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年05月15日
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下 之 巻

 夏も来て、青物見世に水乾く、筵庇(むしろひさし)に避(よ)けられし、日陰の千世の舅の家は新靭(しん

うつぼ)油掛(かけ)町八百屋伊右衛門、浄土宗の願い手(信者)で了海坊の談議に随喜して、開帳回向の世

話をやき仲間で、店は半兵衛に打ち任せ、大阪中の寺狂い(寺々を参詣して廻ること)、女房は内外の世話

に五つも年更けて朝から晩まで気を苛立てて、この半兵衛は蔵にだらだらと何をしてい遣る。店の売り物

が萎びる。やい、松や、きりきりと(さっさと)水を打つのだよ。こりゃ、さんよ、糊付けの洗濯物が干上

がってしまうだろう。洗濯物を早く取り込んで畳み、打ち盤を出してちょきちょきと打て。や、そのちょ

きちょきで思い出したが、夕飯の御根葉(おねば、菜飯、または雑炊などに入れる間引き菜)を刻みなさ

い。こりゃ、松よ、今日は五日宵庚申(庚申待ちをする日の宵、庚申待は、庚申の日に三猿の像を掛けて庚

申青面を祭ること。この夜寝ると三尸・さんし虫が禍をして命を短くするという迷信があり、信者は終夜

起きている習わしがあった)甲子(きのえね、甲子待。甲子の日、夜の子・ねの刻まで起きていて大黒天を

祭ること)が近い。二股大根(大黒天の供物に使う)を除けておきなさいよ。

 それ、さんよ、茶釜の下が燃え出ている。商売が八百屋だけに八百色程に言い付けるのだった。口がせ

かせかとして忙(せわ)しないのは大晦日(おおつごもり)の生まれなのだろうか。

 伯母には似ない甥の太兵衛が市(青物市場)通い、走り(野菜などの初荷を言う)の筍、片荷には独活(うど

)・生姜(しょうが)・青山椒(あおさんしょう)・白瓜(うり)二つ、

 これは、さっても早いことで御座んすよの。俺が戻るのはても遅い事でごんすよの。

 こりゃ、のらっぽ(怠け者)、今朝の卯の刻(午前六時頃)から内を出て、何時じゃと思う、昼下がり(昼過

ぎ)、何処で鼻毛を読まれていた。旦那衆(お得意先)からの誂えものは日覆いをしていても痛むもの、

値段の高い物を天道干(てんとぼし)しろ、商売のおうこ(天秤棒)を喰らわせて魂に覚えさせてやろうと、

天秤棒に手をかければ、半兵衛が走り出て、母じゃ人の申されたことがこりゃ尤もじゃ。これ、太兵衛、

何処でのらのらやっていたのだ。おくび町の笹屋から竹の子取に矢の使い(矢継ぎ早の使)、阿波座堀(あは

ざぼり)の丹波屋から栗をよこせと言って来る。

 朝倉屋からは青山椒、内には切れている。返事に困った。大儀ながら母じゃ人の機嫌を直し、つい一走

り廻っておじゃ。

 はて、わしじゃとて何の悪い所に入っていましょうか。横町の山城屋から呼びこまれ、二つ三つ咄した

だけ、それも外の事では御座らぬ。こなたに誰やらが会いたいと言って、今朝から此処で待っていると言

って呉れとの言伝。わしゃ、得意を廻って来よう。こなたもちょっと行かしゃれと、誂えものを取り揃え

て荷拵えをしてから出かけて行った。

 半兵衛は山城屋と聞くより、お千世が来たのであろう、気取られまいと空惚けて、はて、山城屋から何

の用だろうか。どりゃ、ちょっと行って来ようと走り出そうとするのをむんずと捕え、息子殿、こりゃ何

処へ、いや、山城屋から逢いたいと、おお、その山城屋は合点(その山城屋からの呼び出しが何であるか

はとっくに承知している)、成りませぬ。あの、ぬっけりとした顔わいの(よくも、まあぬけぬけとした顔

でいられるね)、われわれ夫婦が何も知らないと思っているのか。気に入らないので離縁した嫁だ、遠州

からの戻りに在所に寄りよくも咥えて戻ったものだ。

 常盤町の従兄弟の所に預けておき、商売にかこつけて間がな隙がな夫婦こってり(こってりは濃厚でしつ

こいさま、二人で会って情愛を交わしているんであろう)、おれが知らないでおこうかいな。さぞやおれ

のことを謗っているであろうが。十五年世話した親が嫌う女房に随分と孝行を尽くし、親には不幸を尽く

す。恩知らずめと畳を叩いて喚いている所に、青布子の西念坊が案内も乞わずにずっと通り、熊野屋の権

右様から先達ての御約束、鋳物師の宗味の刻鐘(刻限を報じる鐘)の突き初めに粗末な食事式を執り行いま

す。講中(こうじゅう)が皆お揃いですぞ、旦那寺の住職も疾くお出で、御夫婦お揃いでお出でをお待ちい

たしますと言い捨てて帰る、そそっかしい坊主、こんな坊主に未来を頼むのは危ない事だ。

 あれ、親仁殿、熊野屋から呼びに来た、早く行かっしゃれ。おりゃ、行かない。きりきりさっしゃれと

とげとげしい声だ。

 親の伊右衛門は後生一遍(後生願のかたまり、信心以外に他意のない人物)、はれ、嚊(かか)何を喧し

く言っているのだ。またしても、またしても、半兵衛さえ見れば敵のように言う人じゃ。世間付合いをす

る若い人が呼びに来ないわけでもあるまい。少々の事は聞き逃しておやりなさい。

 それ、その人が好過ぎたので親を阿呆にするのですよ。現在おれの甥の太兵衛を差し置き、赤の他人の

この野良殿に、家屋敷を遣るこの母、邪(よこしま)は少しもない。

 これ、嚊、それは誰も知っていることだ。今更くどくど言う事はないぞ。そのような腹の立つ時には念

仏が薬じゃ。とかく如来の御方便、修羅を燃やす(怒りに狂う)そなたを呼びに来るのも弥陀如来、参る

こちとも弥陀如来、機嫌を直しなさいと宥めると、いや、われわれ夫婦が出て行って、跡へお千世を呼び

入れて、留守の間にふざけさせる事はなりません。

 こなた一人で参ってわしは俄かに目が眩んだ、或いは頓死したとでもいい加減に胡麻化して置いてくだ

さいな。これ、嚊、たった今、西念坊が見て行ったではないか、この伊右衛門に嘘を付けと言うのか。

あ、勿体無い、妄語戒(仏の妄語戒を犯すことになる)、この中、さるお寺で五戒の割口説(五戒について

の委しい説明)を聴聞した。三百戒、五百戒も約(つづ)まる所は赤貝(女性との関係が罪のもと)に止まる

とのお談義、半兵衛が叱られるのも貝の業(わざ)だ。

 そなたに俺が意見するのも貝の業、一蓮托生の閨のお同行(どうぎょう)、とふざけて機嫌を取ったとこ

ろ、そんなら、まあ、こなた参らっしゃれ、このように瞋恚が燃えるときに御念仏を申せば、喉にすくす

く立つような(念仏のひとつひとつが喉に突き刺さるような気がする)、心を静めてから後で参ろう。

 ええ、かてて加えてあた鈍な念仏講だ、こんな時は目から(目はしを)利かして延ばすのがよい。ほん

に、ほんにこちの同行に機転の利いた者は一人もいないわ。と、怖い目を知らないから我儘をたらだら、

おお、そんなら先に行くぞ、跡からおじゃ、仏法と萱屋の雨は出て聞けと(萱葺き屋根の家に籠っていては

雨が降るのが分からないように、仏法も外出してこそ有難い法話もきかれる、意の諺)、この度生玉大寶

寺での開帳に築山を飾られたのも、筑後の川中島の四段目から出た事じゃげな。こんな事も外出しなけれ

ば聞けない。

 ああ、有難い、南無阿弥陀仏と和数珠(輪になった数珠)を繰り繰り出かけたのだ。

 半兵衛は一言の答えもせずに涙にくれていたのだが、顔を振り上げて、申し母じゃ人、今めかしい(改ま

った)申し事ではありますが、武士の釜の飯で育ったこの半兵衛、二十二の年から御面倒に預かり、一人の

甥御を差し置いて家屋敷商売ともに私に御譲りなされる御厚恩、肝にこたえて仇にも存じません。

 御恩の母の気に入らない女房であれば、私が離別致してこそ孝行も立ち、世間も立つ。所が、この度国

元への留守の間に八百屋半兵衛の母が嫁を憎んで姑去りにしたと沙汰が有っては、よしんば千世めが悪い

にせよ判官贔屓の世の中です、お前の名しか出ません。母の悪名を立てて若い者が人中に出られましょう

か。親仁さまにも面目を失わせています、ここが一つの御訴訟、少しの間と思召して虫を殺し、大人しく

千世めをお入れなされ。

 その上で私が物の見事に去り状を書いて暇をやりましょう。

 ほほ、そこが男のこうけん(高家の転、威光、権威)貴人高位の娘でも夫が去るのに誰が文句をつけよう

か。時には千世めが姑への恨みもなく、お前を慈悲じゃと思うであろうが、是非ともそう思わせたい。十

六年この方、たった一度の御訴訟です、老少不定(ろうしょうふじょう)の世の中、たとえ私が先立っても

如何なる後の問い弔い、百万遍の御回向よりも聞き入れたとの御一言、知識長老からのお十念を授かる心

とばかりにて、女房の親と我が親と、世間の義理と夫婦の恩愛と、三筋四筋の涙の糸を手繰り出すが如く

である。

 母は、ほくほくと笑顔を作り、むむ、思いあった夫婦の愛を誠らしいとは思わないが、嘘で涙はでない

もの、真実に離縁する事に間違いはないか。

 はて、お前を騙すほどであれば、この御訴訟は致しません。

 おお、嬉しい、嬉しいぞ。おれも鬼にはなりたくない。必ず去りなさいよ。当座逃れをして騙したのな

らば、これ、この母が喉笛を出刃包丁で掻き切るぞや。母を殺すか、女房を去るか、これからはそっちの

勝手次第だ。ああ、さらりと穢土の苦が抜けた。この世からの生き仏とはおれが事、足軽く非時(ひじ、非

時食、斎の対で僧が日中から後夜の間に取る食事)に参りましょう。こちゃ未来まで退(のき)去りしな

い閨の同行がさこそは待ち焦がれておられよう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。さんよ、

その成りで直ぐに供をせよ。あ、南無阿弥陀、松よ、また店の吊るし柿を喰らうでないぞ。あ、なまみ

だ、南無阿弥陀仏に取り混ぜてぶつぶつと言って出かけたのだ。

 お千世が重なる五月の身重であるが、足元も手も軽々と帯の下、小褄(こづま)を引き上げてちょこちょ

こと走り、はあ、久しぶりに内を見た、半兵衛様、今日と言う今日は町内を広く戻りましたよ。

 ああ、嬉しいと抱き付けば、半兵衛はぎょっとして、何として戻った、たった今母が出られた、道で会

いはしなかったか。

 さればいの、母様が山城屋に寄られて、何時になく門口からにこにことなされ、愛しや、愛しや、おれ

がちっとの思い違いから苦労をさせた。今から往きなさい、そのいの字も言うまいと心誓文を立てた。娘

は持たずに天にも地にもたった一人の花嫁、末期の水を取ってもらうのも骨(こつ)を拾ってもらうのもそ

なたじゃ。随分と孝行してたもれ。これからはおれもそなたを可愛がることにしよう。これから御念仏に

参る、そのうちに速く戻って後(のち)に会おう。早く、早くと、とんと桶の物を打ち明けたるようなお

心。皆こなた様の取り成し故、ほんに男の御恩は頂いていても飽きはない。

 松よ、久しぶりだな。もはや何処も蚊が出ている、女房主(主婦)がいないので蚊帳(かや)の釣り手もま

だ用意していない、あのさんの居眠りでは袷共の洗濯もまだ出来ていないだろう。この戸棚の埃がひどい

のはどうだろう。鼠が齧った奥の疵もまだ塞いでいない。漬物もよくならしておきたいし、何から手を付

けようかと気がうろつく。

 居つけた所に居てみようと、とんと座った茶釜の前、湯を沸かして水になる。骨折りを無駄にする。末

を知らないのが果敢無いことであるよ。

 半兵衛はとこうの挨拶をせずに、こりゃ、松よ、ぼんやりとしていないで蔵に行って椎茸を選んで来

い。と、人を退けてから千世の顔をつくずくと見て涙ぐみ、ええ、可愛や、利発なようでも女心、母の詞

を真実と思ったか、言われる事がみな嘘だ、さりながら昨日もくれぐれ言った通り、仏法の端も耳にして

聞きかじりの慈悲も知っている人だ。

 自分の甥を差し退けた他人の身どもに跡式を譲るからには根からは歪んではいないそれが証拠だ。人に

は合縁奇縁、血を分けた親子でも仲が悪いのは有るもの、乗合船の見ず知らずにも、可愛らしいと思う人

もある。人界(じんかい、人間世界)の習わしとはこうしたもの。可哀そうに根っからの悪人ではない母

に、そなた故に邪険者と言わせては、夫婦の者が後生が悪い。

 母が機嫌よく一旦は呼び返して、改めて俺の手で離縁する手筈なのだ。ええい、すりゃどうでも去られ

るのか、はて、肝を潰す事ではないぞ、死ぬのは二人だ、兼ねての覚悟通りだ。

 養い親に悪評も立たず、在所の親の遺恨もなく、ええ、さすがじゃ、見事に死んだと未練者の名を取

るまいために、母に向かってどれほどの詞を尽くしたと思やるぞ。

 書置きも認め、死装束や脇差も荒布(あらめ)の荷に巻き込み、この世への未練などは微塵もないけれど

も、金に詰まっての心中と一口に言われるだろうかと、これが一つの気懸りとわっと泣けば、お千世もわ

っと泣き、こなさんの孝行の道さえ立てばわしも心は残りませんと、夫婦は手を取り縋り寄り、伏し沈む

のは道理である。





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最終更新日  2025年05月15日 20時07分46秒
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