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母は念仏の回向より、嫁夫婦の願以此(がんいし)功徳が気懸りで、余所にゆるりと居る空もない。
店を閉める夕暮れ時ににょっと帰り、のう、お千世や。戻りゃったか。さっきにも言ったとおりにちっ とした領解違いで(誤解から)、苦労をかけた、愛しやの、ほんの生き如来を見たいと思うならおれだと思 いなさいよ、長くもない浮世で酷い辛い目を見せて何になろう。厭だな、こりゃ、半兵衛や、台所の流し の包丁をよく研がしておいたぞや。ちょいと触っても剣じゃぞ。あ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と半 兵衛に合図の詞、嫁はまだ事の真相を知らないと思い込んでいる。こればっかりは仏である。 夫婦は母の機嫌顔を見ればこの世の本望と、思うのだがやがては寂と死滅する命だ、考えなくとも雨と 降る涙、隠すのは実に哀れであるよ。 これ、半兵衛よ、何か忘れたことはないか。よう思い出しゃ。お千世泣かずと此処へおじゃいの。まだ おれが怖いか、此処へ此処へと猫撫で声。あいあい、お側に参りますと立ち寄らんとするのを、半兵衛が 取りついて突きのけ、女房ばかりは母の言いなりにはさせないぞ。この俺の気に入らない。 去った、去った、出て失せい。こりゃ、さんも丁稚もよく聞けよ。半兵衛が女房を去ったぞ。向い隣り 町内でも母の憂き名を立てたならば聞くことでない、うろうろせずと出て失せろ。と、真顔で睨む目に 涙。 これ、嫁御、おりゃ去らぬぞや。親のままにもならないのは夫婦で是非もない。おれを恨むと思いやる な、そう言うのだが何の返答もない。泣き入り泣き入りしゃくり泣く。 むむ、その涙はまだ母に恨みがあるそうな、有るなら言いや、聞きましょう。いいえ、いいえ、お慈悲 深い姑御に、何の、何のとばかりにて、かっぱと伏して泣いている。 おお、おのれが言うまでもない、母じゃ人に何の恨み、口手間を入れる面倒なと、小腕(こかいな)を取 って門口に引き出す。この身もついに行く、後で後でと囁きつつ、目交(ま)ぜで出会う宿の名前を言い、 名残の涙、弱る心を見られじと門口びっしゃり見世がったり、鳴るのは暮れ六つの鐘か、初夜なのか、時 も時分も六々に、胸はわけない五々八々(月始めの三・四・五の三日は辰・昼の五つ時・午前八時頃、戌・ 夜の五つ時・午後八時頃、丑・夜の八つ時・午後二時頃、未・昼の八つ時・午後二時頃の四刻を知死期と するので、五々八々、と言った。但し両人の心中が行われたのは六日の早朝になっている)、知死期(ちし ご)が近づくばかりなのだ。 飽かない夫婦の生き別れ、さすがの母も挨拶はなく、お上(うえ、茶の間、居間)を立って奥の間の罪滅 ぼしの鉦(かね)の声、善悪照らす御明しの火を見るよりも居眠る下女。外に見る目もない、荒布(あらめ) の束(たば)中に隠した一尺四寸、これが冥途の案内者、魂吹き込む書き置き場。地獄に落ちるか、極楽 か、末は白茶の死装束、くるくる包む毛氈も早紅の血を見れば、死に損ないはしないぞと、一心は据わっ ているのだが暖簾一重の向こうには鋭い母の鉦の声、胸にこたえて身も震い、踏み所を覚えない差し足に 懸金外す手もわなわなと、そっと出でたる門口に、いやあ、お千世か、おいの、鰐の口を逃れた、さあ、 おじゃと手を引けば、まあ、待って下さんせ。なまなか、一度戻ってこの様の口から退くぞ、去るぞと言 われては、未来までもの気懸かり、この門口で、去らぬと言って下さんせ。 はて、愚痴なことばかり、今宵は五日宵庚申、夫婦連れでこの家を去ると思えばよいわいの。 ほんにそうじゃ、手に手を取ってこの世を去る。輪廻を去る、迷いを去る。今日を最後の羊の歩み。足 に任せて参りましょうか……。 八百屋半兵衛・女房お千世 道行 名残も夏の薄衣、鶯の巣に育てられ(時鳥はみずからの巣を作らずに卵を鶯の巣に生み、時鳥はそれと知 らずに温めて孵化させると言う伝えにより、養子半兵衛の境遇を譬えて言った)子で子にならずに振り捨 てて死にに行く身は人ならぬ、 死出の田長か時鳥、同じ類の夫婦ずれ、肩に掛けた毛氈は鳴く音血を吐く姿なのか。覚悟を決めた足元も 影がほの暗い薄曇り、卯月(陰暦四月の称)五日の宵庚申、死ぬならば一所にと約束した。 その一言は庚申(かのえさる)、庚申堂に参詣の人の群れに打ち交じり忍んで出るのも商売の、八百萬を 一文字に、半兵衛と言う名にも似ずただ葱の如くに根深くも思いを摘む。若菜ではないが若気の一徹さで 心を突き詰めて、詞の義理に恥じるそれではないが、ハジカミ・生姜(しょうが)。智者は惑わず、勇者は 懼れぬ生まれつきである。さすがは武士の種である。 千世も今度で三度目の嫁入りで、嫁の盛りは過ぎているが、諸事を細かに芥子や辛子、人の言う事にも 耳を傾けて、木耳(きくらげ)ではないが聴くのだ。夫の親を手にササゲではないが捧げる、昼夜に孝行を 土筆(つくし)ならぬ、尽くして、仰せには背かない宮仕え奉公、気の鶏冠菜(とつさかな、とさかのり)で ある(何にでも意地悪く万事に逆に出る意)姑(しゅうとめ)に芹々、せりせり弄(いじ)り蓼(たで)ら れて命も梨か、有りの実(梨の異名)の、瓜ならない谷川淵に身を投げてしまおうか、今日は甘海苔(あまの り)ならぬ尼になってしまおうかと、心は有頂天ではない寒天の、何時も山葵(わさび)ならぬ、わっさり (さっぱり)としないので、かくなる蓮ではないが、はずで御ざんしょう。 何としょう、生姜の身の果てを、言うても帰らぬ水蕗(みずぶき、茨実・おにはす、蕗の臺・とうを蕗の 姑と言う)の、姑去りで殺したと悪名を付けて世の人の笑うでしょう、蕨、が御笑止と悔やめば夫は芋苗( ずいき)ならぬ随喜の涙。 のう、そなたさえそのように悔やんでたもるのに、この半兵衛。年頃日頃の御厚恩に報いないで死ぬの は人の屑、葛(くず)、罰を被るであろうの蕪(かぶ)、考えれば恐ろしい。酸漿(ほおづき)程の血の涙、は らはら零せば走り寄り、わしも病者の父(とと)様を先に送るのが順の蓴菜(じゅんさい)なのに、却って憂 き目を見せまする。 これも何故、相生の松茸(まつたけ、夫)故と抱き付けば、木末に知らぬ松の露(二人の涙)、落ちて松露 になるのであろうか。 あれ、一群れに声高く下向の衆(参詣帰りの人々)のぞめき歌(騒ぎ歌)、見つけられじと影を隠す。 我が恋路は糸無き三味よ、何の音(寝)もせで、待ち明かす。それじゃ、それじゃ、見れば思いの雲の 帯、雲の帯、さすぞ盃、飲めなくとも一つ参れ、いや、とおしゃるに、こちゃも、それじゃ、それじゃ、 そうさんせ、そうさんせ、それじゃ、それじゃ、しかもよいこの、情け盛りにちょきりこきり、小女房の 腰も撓(しな)えてやっくるり。くるりやくるり、やっくるりとぬめらしゃんす(浮かれ歩く)は二人の外に 名取川、おお、それ、二人と名取川、それじゃそれじゃと、それ行き過ぎたと立出でて、今の小唄の一節 に二人と二人が名取川、おお、それそれじゃと謡ったのは俺とそなたが名取川、辻占がよい此方(こなた) へと勇のは男の弥猛心(やたけこころ)、ああ、嬉しいと引き連れて、共に急ぐのは女気の情け鋭に人は絶 えて物しんしんたる寺町を死にに行く身もしばらくは、此処(ここ)生玉の馬場先に法界無縁(広大な世界に あって救済を受ける縁故を持たない衆生を言う)の勧進所(東大寺大仏殿の、僧侶が堂塔や仏像などの建 立・修復の為の財物寄進を扱う場所)、無明能化(むみょうのうけ、煩悩に悩む者を教化する)の門前に念 仏を頼りにたどり着いた。 のう、お千世、心髄萬境轉(しんずいばんきょうてん)(景徳伝灯録、巻二、心髄萬境轉、転処実能幽、髄 流認得性、無喜復無憂)と聞く時には、心は境涯に従って転じ変わる。そんたも千世と言う名を風覚良信 女と改め、我も八百屋半兵衛を露秋禅定門と改め、息の有る内より早や亡き人の数に入れば、死後の体の 置き場も俗縁を離れて、寺の庭でと思えども、門が開かないので力なし(仕方ない)。 此処は奈良の東大寺大仏殿の勧進所、先年了海和尚衆生済度の説法をこの所に説き始めて、今遷化(僧侶 の死を言う語)の後までも我が親は講中の第一(講中でも第一の信者で)で、由緒あるところであるから最 後を此処と思い寄った。但し、他に望みの場所があるかと問えば、のう、死ぬる身に何の望みがありまし ょう。水の中、火のなかでも此方様と先の世までも一緒です。夫婦にになっている所を、見立てて死んで 下さんせ。そう言ってさまざめと歎けば、おお、過分な、この書置きにも書いた通り、養子になって十六 年この方、十方(方々で)旦那の機嫌を取り、暇ある日には町中を振り売り(商売物を担い、声を上げて売り 歩く事)して、元は僅かな八百屋棚、今では人に少々は金を貸すほどに儲けを溜めても、辛い目ばかりを日 を半日心を伸ばす事もなく、死のうとしたのも都合五度、恨みがある中でもそなたと縁組し、せめての憂 さを晴らしたのだが、それさえ添われないようになり死ぬる身にまでなり下がってしまった。 由無い者に連れ添って、半兵衛の身の因果をそなたにまで振る舞い在所の親仁や姉御にまで悲しい知ら せを聞かせることになると思えば、この胸に鑢(やすり)をかけ肝を猛火で炒るようである。ええ、悔し い、と拳を握り膝に押し付けて身を震わし、涙はらはら朝露と共に流れるようである。 あれ、また愚痴なことばかり、在所の父様、姉様はこな様よりも諦めがよい。水盃のその上に、門火ま で焚かれたのは生きて再び戻るなとわしに異見の暇乞い、その愚痴なことを言う手間で早く殺して下さい な。 あれ、あれ、あれ、三方四方に半鐘が鳴る、鐘が鳴る。人の来ぬ間に来ぬ間にと、急ぐ最後の玉葛(たま かずら)、夫に纏い泣き沈む。 お、それよ、それよ、由なき悔やみ、最早互いに親の事兄弟の事は言いだすまい。必ずそなた、言いだ しゃんな、いざこなやへと毛氈を土に打ち敷き、のう、お千世、この毛氈を普通の毛氈だとは思うなよ。 二人が一緒に乗る法(のり)の花だ。紅の蓮と観ずれば一蓮托生頼み有り、親兄弟への書置きもこの状箱に 入れて置けば、明日は早々に届くであろう。 さあさあ、最後の念仏を怠るな、今が最後とずはっと抜く、一尺四寸、先祖代々から譲り受けて来た脇 差、わが身を切れとは譲らなかった。是非ない半兵衛の最後だと思えば手も震え、不覚にも思わず落ちる 涙を止め兼ねて、極楽浄土があると信じられた西方と思われる方角を向いて、千世は合掌して両手を合わ せ光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨、南無阿弥陀仏の声よりも早く引き寄せて脇差を喉に押し当てた。 のう、待ってたべ、待たしゃんせ。と、身を摺り退けば半兵衛、待てとは未練な、刃物を見て俄かに命 が惜しくなったか、卑怯者めと睨(ね)め付ければ、いやいや未練も卑怯も出ぬ、今の回向はわが身の回 向、可愛やお腹に五月の男か女かは知らねども、この子の回向をしてやりたい。 嬉しやまめで生んだなら、どうして育てようこうしようと、考えて置いたことも皆無駄になりました。 日の目も見せずに殺すかと思えが可愛ゆう御座んすと、かっぱと伏して泣き入れば、男も声をすすり上げ て、俺も何で忘れようか、もし言い出したりしたらそなたが泣くであろう悲しさに、黙っていたとばかり にて、一度にわっと声を上げて前後正体もなく泣き叫ぶ。 自分と雌雄の翼を並べながら、人の最後を急がせると言う八声の鳥も告げ渡れば、さあさあ、夜明けに 間がない。明日は未来で添うものを、別れはしばしのこの世での別れ、十念迫って一念の声、諸共にぐっ と刺した。 喉の呼吸も乱れる刃、思い切っても四苦八苦、手足を足掻き、身を藻掻き、卯月六日の朝露が草には置 かないで、毛氈の上に亡き名を留めたのだ。 年は三九の二十七歳、算刺しの郡内縞、血潮に染まって紅の衣服に姿をかい繕い、妻の抱え帯を二つに 押し切り、もろ肌を脱いで我と我が鳩尾(きゅうび、みずおち)と臍の二所をうんと締めて引き括り引き括 り、脇差を逆手に取り持って、二首の辞世に、かくばかり古へを捨てばや、義理も思うまじ、朽ちても消 えぬ名こそ惜しけれ。 遥々と濵松風に揉まれ来て、涙に沈むざざんざの声、三国一じゃ、我は仏に成りすます。しゃんと左手 の腹に突き立てて、右手(めて)にくゎらりと引き廻し、返す刃に笛を掻き切り、この世の縁を切る、息を 引き切る。 晨朝(じんちょう、午前六時頃、寺ではこの時刻に勤行を勤め、鐘をつく)過ぎの勧進所、目すりすりす りすり、門番が見つけて心中じゃ、やれ心中、死んだ死んだと呼ばわる声、吹き伝えたる濵松風、枝を鳴 らさぬ君が世に、類稀なる死に姿に感じて語るばかりなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年05月19日 19時54分39秒
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