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かかるところへ悪七兵衛景清は重忠を打ち損じてようようとして来た、清水の阿古屋の庵にたど
り着いた。 女房は子供を引き連れて、これは珍しや、何としてのお上りですか。まずはこちらへと請じ入れ た。景清が語るには、内々でお身も知るとおりに我平家の御恩を報じる為に鎌倉殿を狙ったのだが が、その甲斐なくて、一両年は尾張の国熱田の大宮司にかくまわれて、空しく月日を送っていたと ころ、この度畠山の重忠東大寺再興の奉行に上ることをよきしおと、まずは重忠の命を狙わん為に わが身を賤しの下郎にしなし、既に間近に付け寄せたのだが、運の強い重忠で我らが知略が現れて 本意もなく討ち損じて、一向に重忠と刺し違えて死のうと思ったのだが、思えば御身が懐かしく子 供の顔も見たいと思い、無念ながらも永らえて、扨てただ今の仕合せである。 誠にしばらく会わぬ間に子供もいたく成人して、御身もずんと女房ぶりを仕上げたな。何でも今 宵はしっぽりと積る辛さを語らんとしとと(ぴったりと)寄れば、ええ、栄耀らしい(我儘勝手)、こ のように浪人の憂い身と言い、殊更敵を持った身がせめて一年に一度の便りもし給わずに…。 おお、それも理(り)だ、この頃聞けば大宮司の娘小野の姫に深い事と承る。尤もかな、みづから は子持ち筵(むしろ)のうらふれて(子持ちで惨めになって)、見る目に厭とおぼすれども子にほださ れてのお出でですか。悋気するのではないけれども、浮世狂い(浮気、色狂い)も年によります。し ゃ、本に可笑しい事、よい機嫌じゃのとありければ、景清は打ち笑い、これは迷惑な、その大宮司 の娘小野の姫にはしかしか物をも言わばこそ、八幡八幡(誓って、弓矢の神八幡にかけて)そうした ことでは更になし、そちならで世の中に愛しい者があるべきか。と、尚も凭れる袖枕、阿古屋も心 打ち解けて、思うあまりの恋いさかい、犬が食うとはこのことを言うのだ。 銚子盃を携えて彌石(いやいし)に酌を取らせて三年積もった物語、語らい明しなされたのだ。二 人の契りの深さこそゆかしいのである。 景清が宣うには、我久しく尾州に蟄居して観音参詣を怠ったので、在京の間はひとまず日参の志 有り。さりながら、これより毎日往来すれば人の咎めも如何なり(人に見咎められても困る)。轟 (とどろき)の御坊にて一七夜は通夜申し、やがて帰り対面しようと編み笠を取って打ち被(かづ)き 表をさして出で給えば、彌石が門まで送りに出て、さらばさらばの小手招き、しおらしかりし生い 先である(殊勝で、成人した後が偲ばれる)。 ここに阿古屋の一腹(いっぷく)の兄、伊庭(いば)の十蔵廣近(ひろちか)は北野詣(北野神社参詣 )をしたのだが、大息をついて我が家に帰り、妹の阿古屋を傍らに招き、是を見よ、まことに果報 は寝て待てだ。悪七兵衛景清を討ってなりとも絡めたなりとも参らせたならば、軍功は望み次第と の御制札(たてふだ)を立てられたり。 我らが栄華の瑞相は今だとこそ覚えたぞ。兵衛はいずくにありけるぞ。早く六波羅に訴えて、一 かど(相当、並々ならぬ)御恩に預かろう。如何に、如何にと申したのだ。 阿古屋はしばらくは返事もせずに、涙に暮れていたのだが、のう、兄上、そもや(一体)御身は本 気で宣うのですか。ただしは狂気なされたのか。わらわの夫にて候えば御身がためには妹聟、この 子は甥ではありませんか。平家の御世にて候えば誰かあろう景清と、飛ぶ鳥までも落とす身であっ たのを今はこのご時世でありますので、数ならぬ我々を頼みて御入り候ものを例えば日本に唐を添 えて給わるとても、そもや訴人(そにん)がなるべきか。 飛ぶ鳥が懐に入る時には狩人も助けると言いますよ。昨日までも今朝までも隔てぬ仲をそもやそ も手を切ることが出来ようか、さりとては、人は一代、名は末代、思い分けても御覧ぜよ。と、泣 きながら口説いて制止したのだ。 十蔵はからからと打ち笑い、名を惜しんで徳を取らないのは昔風の侍だ、当世には流行らない古 い事、その上に御辺が夫よ妻よなんどとて心中立てをしたところで、あの景清はな、大宮司が娘 小野の姫を最愛して、御身が事は当座の花、後悔したところで叶うまいよ。女賢くして牛を売らぬ とは御分のことだぞ。諸事は兄に任せろ、と飛んで出ようとするのをまた引き留めて、いや、大宮 司の娘は人の言いなし、悪口です。景清殿に限ってさようのことは候まじ。 よし、人はともかくも妾の二世の夫ぞかし。さ程に思い捨てるのでしたら子供も妾も害して後に 心のままになしなされ。やあ、生きている間は叶わじと縋り付いてぞ泣き給う。 然るところに、熱田の大宮司からの飛脚が到着した。景清様の御宿所はこちらで御座いましょう か。と、直ぐに文箱を出だした。 十蔵が出合って、いかにもいかにも、是は景清殿の旅宿で候、宿願が有って景清殿は清水に参詣 なされておられる。御文を預かりおき帰えられ次第に見せ申さん。明日お出でなされと飛脚を返し 兄弟で文を開いて見れば、小野の姫からの文である。かりそめに(ついちょっと)御上りましまして いなせ(安否)の便りもなされないのは、かねがね聞きし阿古屋と言える遊女に御親しみ候か、未来 をかけし我が契り如何忘れ給うかと細々と書かれている。 阿古屋は読みも果てずにはっとせきたる気色で、恨めしや、腹が立つ、口惜しや、妬ましや、恋 に隔てはないものを、遊女とは何事ぞ。子の有る仲こそはまことの妻である。こうであるとは知ら ないで、儚くも大切がり、愛しがり、心を尽くした悔しさは人に恨みはないものの、男畜生、いた ずら者、ああ、恨めしや、無念やと、文をずんずんに引き裂いてかこち(歎きを言い)恨んで泣くの だった。道理であると聞こえるのだ。 十蔵は悦んで、それ見たか、この上は片時も早く訴人しよう。もはや思い切ったかと言えば、何 しに心が残りましょうか、せめて訴人してなりともこの恨みを晴らしてたべ。 げに、よき合点と立ち出でようとすると、又しばらくと引き留めて、とは言いながら如何に恨み が有るからと言って、夫の訴人は出来まいか、いや、また思えば腹が立つ、憎い女め、ええ、是非 もなや、と、或いは止め、或いは勧め、身を悶えてぞ嘆くのだ。 十蔵は袂を振り切って、ええ、輪廻したる(執念深い、車輪が無限に回るように、衆生が地獄・ 餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道を離れ得ぬ意」女かな、そこ除けと突きのけて、六波羅探題 を指して急いだのは料簡もない次第だった。 かくとは知らずに景清は清水寺に参篭して、轟の御坊に通夜をし、同宿達に双六を打たせ、助言 してこそ居たのだった。 頃は卯月十四日夜半ばかりの照る月に、直(ひた)兜五百余騎、江間の小四郎が大将にて、訴人の 十蔵が真っ先を駆けて轟の御坊を二重三重に取り回し、ときの声をぞ作ったのだ。 元来こらえぬ荒法師が門外に立って、そもこの寺は田村将軍このかた守護不入の霊地であるのに 狼藉は何者なるぞ、夜盗人と覚えたり、あれ、打ち獲れ、小僧ども、と声々に呼ばわれば江間の小 四郎が駒を駆け寄せて、さな言われそ、法師達、御坊に科はなけれども平家の落人悪七兵衛景清が 今宵ここに籠りし由、伊庭の十蔵の訴人によって義時が討っ手に向かったのだ。 異義に及べば寺とも言わせない、沙門とも言わせないぞ、片端から切って切り散らせと言い終わ らないのに悪七兵衛は此処にいると切って出た。 常陸の律師永範(りっしえいはん)、この由を見るより、慈悲第一のこの寺で信心の行者を空しく 討たせては観世音の誓願は如何ならん。防げや、防げ、法師ばら、支えよや下僧共。 承り候と衣の袖をしぼりあげ、得物、得物をひっさげて三十余人の荒法師、五百余騎に突っ支え て命を惜しまず戦いける。 五百余騎が四方に分かれて隙を見せないで防いだのだが、景清は飛鳥の術を得ているので、左右 (そう)なく討たれるわけもなくて、双方がしろみて(静まって)控えたのだ。 景清は縁端に突っ立って、今宵の訴人は妻の阿古屋と、同じく兄の十蔵と覚えたり。おのれ、数 年の恩愛を振り捨てて大欲に耽る愚人共め、勿体無くもこの御寺に血をあやす(流す、注ぎかける) 奇怪さよ。とても世になき某がおのれらの身のためならばなんじょう命が惜しいであろうか。 人を多く討たせるよりは女房兄弟が折り合って俺の相手をして搦め取れとぞ喚きけれ。 十蔵の下人で二三太と言う曲者が分別もなく飛んで掛かった。 景清、にっこりと打ち笑い、側に有りける双六盤(縦四十センチ弱横二十センチ強)を片手に取っ て投げつければ、二三太の真向に響き渡ってはっしと当たれば首は胴にぞぐさぐさになってめり込 んだ。おお、でっく(重五は双六用語、でっくりは、でっぷりともしない、身體に肉もつかない、 の意)ともせぬ丁稚めが手柄しように見えたが、ぐしょぐしょとなってしまったのは誠に愚人、夏 の虫と戯れて立つ所に、十蔵が続いて切ってかかった。 景清、長刀を押っ取りのべて、虫同然の木っ端武者、娑婆の訴人はこれまでだぞ、閻魔の庁にて 訴人せよと、受けつ流しつ切り結ぶ。 江間の軍兵がこれを見て、訴人を討たすな加われと、どっと連れて押し隔てた。 心得たりと景清は西門(さいもん)を小盾に取り、入れ替え入れ替え大勢を左右(さう)に受けて、 眉間(みけん)真向(まっこう)鎧の外れ嫌わず余さず打ち立てた。 こは叶わじと軍兵共、十蔵をひっ包み六波羅指してぞ引きにける。 景清は、今はこれまでと、音羽(おとは)の山の峰を越え、梢を踏み分け巌を起こし、飛び越え、 跳ね越えて飛び越え、刹那の間に飛ぶが如くに東路さして落ちて行ったのは、まことに希代(きた い)の武士(もののふ)よと、扨て感じない者とてなかりける。 第 三 悪七兵衛景清が行方知れずになったので、尤も天下の御大事と諸国のゆかりを詮議有り、中でも 熱田の大宮司は現在の舅であるから千葉の小太郎が絡めとって、警護厳しく討ち連れさせて六波羅 に引き据えた。 梶原源太が大宮司に対面して、汝は当家の大敵平家の落人景清を婿の取っただけではなく、剰え 行方もなく落とした。罪科は甚だ軽くない。いず方へ落としたのか、真っ直ぐに申せ、少しも陳じ なければ拷問するぞと、はったと怒りの形相で睨みつけた。 大宮司は、仰せの如くに景清とは縁を結びましたが、去年の春に国元を立ち出でてから今に便り もなく候。土も木も源氏一統の御代です、一旦は陳じ申すとて隠し遂げられ申すべきか、婿のとっ たのが曲事(くせごと)として誅せられるのは力なく候(仕方が御座いません)。 行方については存じませぬと言葉涼しく申したのだ。 重忠が仰せなさるには、尤も、尤も、たとえ行方を知っていたとしても婿の訴人は出来ないであ ろうよ。たっては(強いて訊くのは)こちらの不調法だ、如何に梶原殿、かの景清は仁義第一の勇士 であるから、所詮(しょせん、結局)大宮司を牢舎させたと伝え聞いたならば舅の難を救う為に己と 名乗り出んことは目前に見え候。この儀は如何にとありければ、おのおの評定は尤もと、六波羅の 北の殿に新造の牢を立て、大宮司を押し込めて厳しく蕃をさせたのだ。 人に辛くは当たらないが、何の報いか袖の露、枯れも果てないで小野の姫、いたわしや夫は都へ 行ったままで、阿古屋の松の夕時雨、染め付けられてこぞ紅葉、が濃いではないが、恋に散るかと 明け暮れに人目を包んでくいくいと案じ煩う身の上に、父は都の六波羅に虜となって浅ましや。憂 き目に遭われなさるとの、その音づれを聞いてからは、思いに思いを積み重ねて、せめては憂きに 代ろうと乳人ばかりを力にして、旅衣の衣手も涙で冷たい紅の、紅絹裏も濡れて夕ざれて空飛ぶ雁 が自分の巣を指して帰るのを、物忘れしない故郷の風もわが身に吹き替えて今の門出を終わりだ と、国の名残もつつましく、身の種蒔いた産土(うぶ)の神、熱田の宮居を伏し拝み、父と夫とを安 穏に悪魔を祓えと取る弓の、桑名の舟に梶枕、敷寝の苫の粗莚(あらむしろ)、肌に荒れて辛いけれ ども、恋する蜑(あま)が鴛鴦の夜の衾と見る、みるめ刈る、かづく刈る藻はなになにぞ、歌に詠ま れた鹿尾菜藻(かじきも)や、加太和布(かだめ、ワカメの一種)甘海苔(あまのり)、春もまた、若布 (わかめ)交じりの目刺し干す。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年05月26日 16時52分12秒
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