介護が快護であるように・・・・

2024/09/30(月)18:11

義父とのお別れ 2

介護日誌(253)

​​​​8月のこと​​ 21日 医師に死亡診断書を書いていただいて、各所に提出するために10枚ぐらいコピーする。     すぐに葬儀屋に連絡して葬儀の準備にかかる。     通夜と葬儀は自宅ではなく葬儀会場で行い、親族だけでゆっくり過ごせる家族葬にした。    「今夜は義父の傍に居たい」と義母が言うので、線香の番を任せて二人だけにしてあげた。 22日 11時に東京の義兄一家が新幹線で到着。             義姉が最近足を骨折して車椅子使用なので、駅からそのまま葬儀会場に行ってもらった。     会場は家族が宿泊もできるので、義兄一家は今夜家に泊まるよりその方が良いと思った。              お昼に葬儀社が家に義父を迎えに来て会場に運んでもらった。     通夜は19時からだが、その前に「湯灌の儀式」をしていただいた。     葬儀職員さんと家族が一緒に、義父をお風呂に入れるのだ。     お風呂が大好きだった義父。でも亡くなる前の数日は入ることができなかった。     髭を剃ってもらい、洗髪もしてさっぱりとした義父。     ほんのり化粧もしてもらって血色が良く見える。     闘病期間が短かったからか、闘病やつれがほとんど見られない義父は、     「お~っ 気持ち良かった~ よく寝た。」と再びまた目を開けそうに見えた。          家族葬なのに義母がいろんな知人に知らせてしまい、通夜には沢山の弔問客が来られた。     家族葬用の狭い会場には入りきれないお客様が、廊下や外まであふれてしまった。     ほとんどが高齢者なので足の悪い人も多く、立っているのも大変そうで申し訳ない。     私は葬儀屋さんと別部屋から椅子を運んで会場や廊下におられる方たちのために並べた。     家族葬なので帳場も立てていないから大混乱。     とりあえず丁寧にお礼を言って、香典はお返しし名簿だけ記帳していただいた。     まったく・・・義母には困ったものだ。         23日 10時から葬儀  昨夜に続き今日も沢山の弔問客が来てくださった。     今日も私は接客のためにバタバタ動き、義父とのお別れがゆっくりできなかった。     でも、義母は多くの知人に久しぶりに会えて話ができたことを喜んでいた。     きっと義父も沢山の人に見送っていただいて、喜んでいるんだろうな・・・     もしかして、これはこれで良かったのかもしれない・・・と思った。 24日 広島12時18分発の新幹線で義兄一家が帰って行った。     忌引きで7日間の休暇を取ったんだから、もう少し義母の傍にいてくれても良いのに・・・     義兄だけでも残って、この後の事務手続きを手伝ってほしかったのに・・・     親が手続きをどう進めるかを知るのは、子供達にも経験になるのになぁ・・と思った。      25日 主人の忌引き休み中に事務手続きをできるだけ終わらせなければならない。     私は介護と葬儀でここ数日はほとんど睡眠がとれていないので、頭がうまく回らない。     でも今日私は施設の父の定期健診のため、病院に連れて行かなければならなかった。     「私は行けないけど、午前中にお義母さんと一緒に支所に行っておいて」と主人に頼む 施設から自宅に戻る帰り道の畑にヒマワリが沢山咲いていました。ちょっと癒されました。     病院の健診が済んで父を施設に送り届けてから自宅に戻ると、主人と義母が家に居た。     「支所の手続きは済んだの?」と訊くと「お前が帰ってくるのを待っていた」と言う。     「はぁ~? 私が居なくてもできるでしょう!」と怒り、急いで3人で支所に行った。     家族が亡くなった後の手続きは種類も多くて大変だが、支所の方が丁寧に教えてくれた。     マイナンバーカードがあると省ける手続きもあったので、作っておいて良かった。     遺族年金の手続きをするために、年金事務所に電話をかけて30日の予約が取れた。     義父が持っていた高齢者用バスカードの清算のために、バス会社に行った。     窓口閉店時間ギリギリ間に合って良かった。 26日 午前 義母と一緒にお世話になった医師や知人に挨拶するための菓子折りを買いに行く。        業者が介護保険で借りていた電動ベットと喀痰吸引の機械を回収に来る。     午後 ケアマネージャーさんが挨拶に来られる。         28日 義母の誕生日 81歳になった。     いつもならプレートで飾ったケーキにするのだが、喪中なので今年は質素にした。     義兄家族から花が届いた。 29日 義父が亡くなったことを知った親戚夫婦がお参りに来られた。     家族葬にしたので遠くの親戚には知らせていなかったのだが、    「私達もお別れがしたかった。知らせてほしかった。」と悲しそうに言われた。     家族葬にするときには、知らせるか知らせないか親戚の選別が難しい。申し訳なかった。    「お知らせできなくて、申し訳ありませんでした。     でも当日は予定外の弔問客で葬儀会場はごった返して、ゆっくりお別れもできなかった。     少し落ち着いた頃お参りいただいたので、義父の当時の様子を詳しくご報告できます。」     と言って義父の写真などを見せながら、長い時間お話をして納得されたように見えた。          業者が在宅酸素の機械を回収に来られた。    今日は母の月命日なので、夕方になってしまったけれど納骨堂にお参りに行きました。 今月のお供えはこちら・・・ゼリーにしました。  30日 義母の遺族年金の手続きをするために、3人で年金事務所に行った。

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