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萬華鏡-まんげきょう-

安倍晴明伝説

■安倍晴明伝説■

晴明2


【謎めく生い立ち】
921年 父は安倍益材、母は不明であり、晴明の陰陽師としての豊かな才気により人々からは「狐の子」と噂された。
映画「陰陽師」で、藤原兼家から頼まれて晴明邸へ向う途中「安倍晴明は、狐の子とも言われていて、気味が悪い。」というような意のことを言っている。
映画の所々では、そういったエピソードを踏襲し、滝田監督より「狐顔で演じてください」というリクエストに、萬斎晴明は素晴らしい演技力を魅せている。
萬斎氏の表情に注目!

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【晴明 百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)を見破る】
晴明の師は賀茂忠行。またはその息子の賀茂保徳とも言われている。
晴明は弟子として賀茂忠行の共を勤め、下京方面へ出掛けた。
その帰り道、晴明はただならぬ気配を察知し、牛車の中でウトウトと眠っていた忠行に緊急事態であることを知らせたと伝えられている。
「お師匠様!あちらの方角から異形の者たちが、やってきます」
前方にはまさしく「百鬼夜行」鬼が群れを成してやってくる。
このままでは、肉どころか血も骨も残るまい。
すぐさま賀茂忠行は「九字の呪法」により、今自分たちがいる場所を異界へと移し、百鬼の目をくらまし、難を逃れた。
この時代、陰陽師の第一人者と言われていた賀茂忠行でさえも、幼少の頃は修行なくして鬼を見ることは出来なかったというが、すでに晴明は鬼を見る能力が備わっていたという。
この類稀なる晴明の才気と能力を感じた忠行は、「瓶の水を移すが如し」・・・陰陽道の全てを晴明に伝授したと今昔物語集にも書かれている。

【晴明、広沢の遍照寺(へんしょうじ)にて蛙を呪殺?!】
「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」にも収録されているこのエピソードは安倍晴明伝説としてはあまりにも有名。

高野からの帰り道、寛朝僧正を訪れるため、広沢遍照寺に立ち寄った。
そこで、若い僧たちが晴明に興味本位で
「晴明殿、あなたは式神というものを使役されるそうですが、それでたやすく人を殺すことは出来ますか?」と問うた。
「そんなに簡単なことじゃありませんよ。不可能ではありませぬが、ここでの殺生は無益なものです。私は生き返らせることは出来ないのでね。」と晴明が言うと、
「それでは、あそこにいる蛙ならどうですか。蛙であればよろしいでしょう」と言う。
これは、しつこい。
元々、晴明に対する好奇心もあっただろうが、「都一の陰陽師」というネームバリューに加え、美しい顔立ち。宮中の女房たちに持て囃されて、かなり噂の的でもあっただろう。
そのため、ちょっとくらいは晴明に対しての敵対心なるものもあったかもしれない。ここで断れば、「口ほどにもない」と言われるのがオチ。

「それでは殺してみせましょう」と晴明が草の葉を摘み取り呪(しゅ)をかけ、蛙の方へ投げると、たちまち蛙は潰れて死んでしまったという。
今昔物語集「僧共、此れを見て、色を失ひてなむ 恐ぢ怖れける」と記されている。
これは、草の葉の精霊を使役し、このようなトリックを使って見せたのではないかと思われる。
このエピソードは映画「陰陽師」でも「蝶を殺める話」として映像化されている。

◇今後の更新予定◇

【藤原道長にかけられた呪詛を暴く】

【宿敵 芦屋道満との術比べ】

【智徳法師 晴明へ弟子入り】

【晴明 身固で呪詛を破る】他・・・

他、源博雅に関する伝説も作成中。


太極ほーむ


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