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萬華鏡-まんげきょう-

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2005年01月21日
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「子午線の祀り」を読み出して、全く平家物語に出てくる登場人物の名前が頭に入ってなかった私は混乱しました(苦笑)

例えば・・・おなじみ
平知盛(とももり)は「新中納言」
知盛の弟で、一の谷の戦いで捕虜となった
平重衡(しげひら)は「本三位中将(ほんさんみちゅうじょう)」
壇ノ浦の戦いで最期の最期まで豪傑・豪腕ぶりを見せた
平教経(のりつね)は「能登の守」
そうそう、忘れてはならない現在大河『義経』で渡さんが渋い演技で魅了してくれる
平清盛は出家後は「入道相国」
おおーっと、忘れてはいけない
義経は後白河院から検非違使の尉を命じられて、この「尉」とは三等官のことで「判官(ほうがん)」と呼ばれたのですね。


ややこしや~( ̄▽ ̄:)

いわゆる本名(いみ名)ではなく、賜った官位(通り名)で呼ばれることが常だったとか。
子午線の祀りの舞台上でも、「知盛」「教経」と単純に言ってくれたら分かるのに、わざわざ新中納言、能登殿、なんて言われるから、慣れておかねばスラスラと頭に響いてこないのは、仕方の無いことかもしれません。

「役職名」で呼ばれるのが好き。現在の日本企業でもそうですね。
あるとき、我が社も「部長、課長」などという役職名で呼ぶのではなく「上司でも○○さん」と呼ぶようにしよう・・と全社的に通知が出されたんですけれども、一向に定着しませんでした。

本音を聞けば、やはり役職名で呼ばれたい・・・らしいものなのですね。(なるほど)

これって昔も今も変わらないのね、なんて思いました。

住居を持っている場所によってそう○○殿と呼ばれる場合もあるようですね。
清盛の嫡男で有能な武将として描かれることの多い、平重盛は小松というところに住居があったので「小松殿」などと呼ばれています。
大河「義経」でも幼い牛若が「小松の兄様」などと可愛らしい声で話していましたね。

ややこしや~( ̄▽ ̄:) その2

清盛は「入道相国」と呼ばれたというのは上に書きました。
「入道」とは・・・
1.出家後も貴族と同じ世俗的な生活をする者
2.三位以上の高位の者で出家した者
清盛は1.2のどちらも該当します。
「相国」は太政大臣・左大臣・右大臣の別名なんだそうです。

ややこしや~( ̄▽ ̄:) その3

そうそう、こういう「呼び名」であったことは、この時代の人にとってもなかなか「ややこしや」なことだったかもしれません。

知盛の弟である重衡は「本三位中将」と呼ばれていましたね。
で、一の谷合戦後、「本三位」が捕虜となったという噂が町に流れていたといいます。

このとき「本三位」と呼ばれた人は3人いるんです。
・小松三位中将維盛(これもり)
・小松新三位中将資盛(すけもり)
・本三位中将重衡(しげひら)←人質!

維盛(これもり)の奥方は「本三位が捕虜となった!」という噂を聞いて、これを自分の夫かどうか、家来に確認するように命じたそうです。

ややこしいことですね( ̄▽ ̄:)



余談ですが・・・
会社で「取締役席」にかかってきた電話を受けました。
相手「○○ですが・・折り返し電話もらえますか」
あ「了解いたしました。○○部長 内線○○○○でございますね」
相手「・・・・・・・はい(←不機嫌そう)」

( ̄□ ̄;)!! はっ!この人、「常務」だっ!

時すでに遅し・・・電話は切れました(ま、いっか)←こんなやつ

こういうときは無難に「○○様ですね」と言ったほうがよかったんですけれどね、部長で同じ名前の人が記憶にあったからつい・・・

ややこしや~( ̄▽ ̄:)







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最終更新日  2005年01月22日 14時04分27秒
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