レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」日本上陸
3月20日から開催されていたものの、なかなか行けなくてようやく先日行ってきました。
にしても、ものすごい行列でセキュリティも万全(当たり前か・・・)
モナ・リザが来日したのは1974年。
ということは、33年ぶりにダ・ヴィンチ作品が日本に来たんですね。
この「受胎告知」はダ・ヴィンチが20歳くらいの初期の作品なんですね。
絵画の知識は皆無なので、ひたすらこの重厚で緻密な構図の絵に圧倒。
マリアの衣のひだなんか、丸みを帯びたふくよかな肉体すら平面的な絵から感じ取れます。
ダ・ヴィンチ、といっても「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだり映画で観たりして興味を持ったのと、これらのブームによってよくテレビでも特集が組まれていたのを何気なしに観ていたのでちょっと知った気にもなっていましたが、これほどの多彩な才能と好奇心。
底知れず深いです。
私のパープリンな頭では到底理解が及びません(苦笑)
結婚もしないで生涯独身を貫き通し、これだけ膨大な研究と素描(メモ)を残し、時には人体解剖までして
この同時代に生きた人から見たら、さぞかし「変わった人」であったのではないかしらん。
こういう探究心が天才を生む。
私は飽きっぽい。やっぱり凡人だ(どう転がっても・笑)
ダ・ヴィンチの生い立ちを聞くと父親は裕福な人であったものの、母親はおそらく妾腹なのか正式な結婚の元に誕生しなかった(非嫡子として育った)ために、初等教育などもしっかりと受けられなかった、という。
それが後々のコンプレックスでもあったのかとも感じられる。
コンプレックスがバネになり大きな成果と名を残すことになったとすれば、なんだか人類にとって希望が開ける(笑)
ダ・ヴィンチの素描などの展示を観ながら「どこにたどり着こうとしてるんだろう」
全くわからないのだけれど、絵画などは未完のままとなっているものや世に出回っている現存するものは十数点しかないとか。
ダ・ヴィンチの絵には何度も筆を入れて修正したあとがあると聞いたけれど、とある画家はテレビで「ダ・ヴィンチの絵画技術は未熟である」と話していました。
学術的なことを知らない私にはその根拠すらピンとこなかったのだけれど、当時としては「優柔不断だったのかなぁ」なんて思ったものでした(笑)
でも、この展覧会でパープリンなりに考えてみて
完成することが完璧な姿なのではなく。
常に探求し、進化し続けること。
完成形というものの概念はない。
研究者でもないので偉そうに語れないのだけれど、ダ・ヴィンチの生き様をそんな風に感じました。
ダ・ヴィンチが亡くなってから、この絵画たちの進化は止まったままだけれど、
この膨大な手稿に基づいた天文学、物理学、解剖学、建築学は現代までの研究者が引き継いで進化し続けているんですよね。
コンパスで円や多面体をひたすら描きまくり、黄金比なるものを割り出したダ・ヴィンチ。
天才たる由縁の説明ができないけれど、面白い展覧会を見ました。
思えば、1452年にフィレンツェ近郊のヴィンチ村に誕生したダ・ヴィンチ。
1519年に死去しているけれど、ちょうど萬華鏡でリチャード三世についてアレコレ書いているのもこの時代。
国は違えど、リチャード三世の即位は1483年くらいですからね、ダ・ヴィンチはバリバリ生きて活躍中( ̄∀ ̄)
ちょっと前の「花の乱」で学んだ応仁の乱もこのダ・ヴィンチが生きている時代のことです。
だから?なんだ?と言われると困るのだけれど(笑)
なんだか中世づいています( ̄∀ ̄)