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カテゴリ:政治
安倍内閣の戦後レジーム解体の施策は実に軽快にして希望がわく。 2月11日の建国記念日に政府主催の式典を行うとの方針は待望のきわみ。産経の報道によれば、建国記念日に関し首相は「来年以降、主催に向けて検討したい」と述べる一方、竹島の日については「今後、適切に検討したい」と述べるにとどめた。高市早苗氏(自民)への答弁という。岡崎も既に国が方針を打ち出せばすぐに市主催で開催できるように、ほぼ重要な団体の結集がはかれており、後は財界の賛同だけ。今年も自民市長に主催を呼びかけたが、突出するわけに行かない為、主催も後援もなかったが,政府方針が定まれば市の主催も可能になる。是非実現したい。
更に4月28日の独立記念式典はまさに念願。総理は7日午前の衆院予算委員会で、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立を回復したことを記念し「本年4月28日に政府主催の記念式典を実施する方向で検討している」と表明。
昭和二十七年の四月二十八日は、わが国が七年間に及ぶ連合国の占領統治から解放され、国家として最も大切な主権を回復した日。正確に言えばこのときまで日本は連合軍との戦争状態にあった。 統治の間に実に巧妙に言論界の統制、誘導が繰り返しなされたことは、忘れてはならないことです。 本日の産経や読売では占領当時の米軍の非道な日本侮蔑、対日犯罪の様子が記載されていたが、敗戦とはこれほど悲惨なものかと悔しく読んだ。主権がこの手にない悲劇であります。米軍が進駐して真っ先に3万人の慰安婦を用意させた事実など、今現在、日本の戦中慰安婦問題を捏造している韓国やそそのかされている米国州議会の議員諸君の目に見せてやらねばならない。
戦時体制が終了し、武力戦から思想戦に移る際に、気概ある識者はパージされ、言論界から追放されていた。張り詰めた恐怖の中の生活から解放された日本国民は、善悪の観念や物思うゆとりなく、去勢された動物よろしく統治の延長の安易さの中でかつての気高い時代をわすれさった。いや、戦死につながる思い出の全てを忌み嫌い、大切な文化価値をさえ顧みることなく、新たな時代の価値観を受け入れてしまったのでしょう。命あってのものだねだと諦念仕切っていたのでしょうか。 国家に価値をおかず、経済至上主義の市民社会に唯一の価値を置くようになった。 GHQがNHKの放送に巧妙に占領軍歴史観を導入、「真相」シリーズを打ち出し、いかに無謀な戦争を軍部がなしたのかを刷り込ませて行ったかは、桜井よしこ女史「真相箱の呪縛を解く」などにより明らかにされてきたとはいえ、ほとんどの国民に知らされてもおりません。更に5000名もの「焚書坑儒」スタッフを高額で雇い入れ、二十万人もの愛国者、リーダーを公職追放し、主義を変えたものを登用していくのです。
しかし、和魂洋才の思いは日清日露を経て日本を世界の一等国にまでたどり着かせた。 そして今、安倍総理の誕生。民主主義や基本的人権の尊重などの諸価値やシステム・洋才の根源に、和魂がなくてはならない、日本人の物語が必須であると訴えてくれ始めた。 クリスマスやバレンタインデー、経済至上主義やマネーゲーム。これらはあくまで「鹿鳴館」。国家の根源はそこにあらず。
明治維新もおそらくそうだったのではないか。攘夷を実施し、英仏の国力にとても立ち向かえぬと知って和魂洋才の道に、開国の道にひた走ったごとく。大東亜の戦で米国の国力にとても叶わぬと知って世界標準を体得した。しかし決定的な違いはこの洋才には和魂が失われていた。明治には大久保に対する西郷がいたが、昭和の敗戦には西郷がいなかったのだ。。 本日はほとんどの時間を費やし通信発送準備。まだまだかかる。 明日から手渡しの再開。明日は碧南方面か。時間との勝負です。 北朝鮮の狂気にはうんざり。しかし、北だけではない。これは民族の特性なのか遺伝なのか。まともなトップは何故南北朝鮮には出ないのか、不思議である。
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Last updated
2013.03.07 23:35:39
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