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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2016.10.05
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七時資源ごみ回収。総代さんが激励に来てくださる。先日の岡崎中三生の覚せい剤問題を話す。ここまで広まっている現実に対して地域が動かねばなんともならない。吉田松陰先生の書物を四冊萩にて購入してきてくださった。感謝です。

 間もなく岡崎は市長選と市議会選。岡崎の教育を考える会代表の柏原文男氏がいてもたってもおられずと市議に立ってくださった。教育問題の提言などをともにしてきた友。大改革をするには彼に頑張ってもらうしかない。地元の候補者にも頑張っていただきたいのはやまやまですが、悩むところです。

犬頭神社と新田義貞と岡崎市の上和田城主宇都宮泰藤(のちの大久保彦左衛門で有名な大久保一族の祖)との関係は本当にあったのか、と聞かれてもわからぬとしか言いようがない。しかし新田義貞と熊谷直重の娘常盤との間にできた子供に熊谷貞直は、足利尊氏の追撃からのがれて三河奥地の多田氏を頼ってきており、さらに奥地へ住み着いて広大な地を治めて記録を残している。『ウィキペディア』の熊谷家伝記を引用する。

熊谷家伝記』(くまがいかでんき・くまがいけでんき)は、天竜川上流の信濃(長野)・三河(愛知)・遠江(静岡)の三国(三県)境地域の、中世(南北朝時代)の山村落形成から近世中期(1771年)に至る、山村落のほぼ編年的な記録。現在の長野県下伊那郡天龍村の坂部を開郷したとされる熊谷貞直の子孫の十二代目、熊谷直遐(なおはる、なおよし)が、代々熊谷家当主が記録してきた記録を編纂。中世山村史研究の重要史料とされるだけでなく、柳田國男が評価する(柳田國男「東国古道記」1949)など、民俗学界でも著名。

中略

一の巻

初代貞直記。

熊谷直重の娘常盤と新田義貞との子である熊谷貞直は、伯父熊谷直方の養子となり、南朝=新田方に属したが、新田義貞が手越河原の戦いで敗戦した後、足利尊氏の追及を逃れて、三河奥地の多田氏を頼る。多田氏とその女婿の田辺氏らの援助を得ながら、信濃国境の左閑辺(後の坂部)を開拓し、その分内の源公平に永住する。

引用以上

南朝側についた足助重範は現豊田市の豪族。隣市の岡崎にも勤皇南朝方の宇都宮氏がおり、響きあって足利に対抗したことは十分考えられるのではないか。

新田義貞の討ち死にの地は福井。京にさらし首にされ、それを岡崎の和田郷に持ち込んだのが宇都宮泰藤。その首の守りを大蛇伝説にして世人を欺き行う。私には犬頭神社の犬塚が新田義貞塚であることは十分可能性のある話だと思われるのだ。言い伝えがある以上、その事実は伝え行くべきなのだと思う

さて福井と言えば、勤皇家の若き大人物橋本佐内が生まれている。あまりに有名な「啓発録」を書いたことで有名。すべて漢文で記載してある。

 

啓 發 録           橋 本 左 内


去 稚 心

振  氣

  志
勉  學

擇 交 友
この5項目にわたり格調高い漢文でその思いを記載してある。今でいう中学生時に日記に書きつけたもの。その博学に驚く、

没年月日は安政六年一〇月七日(今日の暦で一一月一日)安政の大獄で亡くなられた。なんと年は二十六歳。すごいとしか言えません。

この日、私は五時から朝起き会研修。ちなみにこの日が私の誕生日。九時からは岡崎の建国準備の会合。がんばらねば。

経五日は頭山満翁のご命日。昭和一九年。こうした国に殉じる熱き心をみなぎらせた生きられた先人には頭が上がりません。

松山の「世界地図」社代表松岡功様から素晴らしき世界地図をお送りいただいた。地図には日本が世界にいかに評価されているかを示す順位表が記載されている。安全な国。良い影響を与えている国、平均寿命、創業二〇〇年以上の企業、歴史の古い国、などの分野で一位を占めている。ノーベル賞受賞者ランキングではアメリカイギリスドイツフランススウェーデンスイスに次いで七位ですが。

とある保守団体から日本は人口比率からいって受賞者は決して多くないとの主張があったが、それには反論が私にはある。そもそもがヨーロッパの研究者が優先的に受賞。有色人種の受賞など、しかも敗戦国から選ぶなどありえなかった話で湯川博士の受賞も原爆投下の反省からしぶしぶ授与。おそらくここまで日本の躍進がある以上、門戸を開くしかなくなり、結果は毎年受賞となる。今後も相当日本人が受けるのではないか。あまり卑下してほしくないのだが。






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Last updated  2016.10.05 12:49:30
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