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朝、国旗の補修を手掛ける。相当の痛み。掲揚中、木々の枝にぶつかる部分がやはりびりびりになるのである。とはいえ、枝を掃うわけにもいかず。悩ましい。国旗の周辺を切りそろえたり縫い直したりと、手間がかかる。 10時より町内の和田クラブ総会に出かける。60歳以上の方で組織する会。 会長の羽多野先生が今回ご勇退。そのご挨拶には野武士の心を感じた。人気の一年目には町内での祝日国旗掲揚の推進を掲げ、多くの皆さんが国旗を購入・掲揚が始まった。2年目は町内の活性化。年末に年忘れ会を初導入されたという。60歳までは企業活動の戦士。しかし60からは世のために動くべしとの信念をお持ちで、さまざまな活動を展開された。新会長にもその精神を継承いただきたき物です。来賓挨拶は代議士夫人と農協支店長と町の総代(自治会長・住民2400余名)。町の方針として交通安全やおれおれ詐欺などの犯罪の防止なども語られたが、さらに上和田の歴史の継承の活動を語られたのでありました。具体的には上和田城(砦)の歴史的意義と家康を守って討ち死にした土屋長吉について。1月11日が家康の前に立ち主君を守りながら果てられた命日。その日にご一緒に碑の前にて私も参拝させていただきその顕彰をしたが、やっと土屋長吉の名が、町民の中に語られたなあと、私も感無量っでありました。校区内の通信にも長吉のことをお書きくださっており、これで、おそらく戦後初めてのことだと思いますが、上和田の歴史の重要なおひとりの公認がなされたとうれしくおもった。まだ大久保一族のこと、宇都宮氏と新田義貞の首塚のことなど、町の歴史の中核が公認とは成されていない。今年中に何らかのアクションを町の役員や和田クラブの役員の方の力で起こしていただきたいものであります。 何しろ三河武士が江戸時代に全国の中心都市整備にかかわったわけで、その中核精神は本来三河人が、岡崎人が担い続けるべきもの。国旗掲揚も和田クラブの支援がありおそらく祝日国旗掲揚日本一は岡崎の約600本ではないかと勝手に自負。建国記念日の奉祝祭も岡崎の実施歴史は全国一でしょう。伝統文化の継承において岡崎・三河を全国のひな型にしたいものです。ちょい大袈裟ですが。 三ヶ根山の殉国七士墓周辺の美化活動の協力を西尾市にお願いに行く。先回の文面を少し和らげて市長への書類提出であります。ほぼこれなら承認を受けるのではとの言葉をいただく。頑張らねば。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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