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朝6時に近隣2社に国旗を掲げる。 10時6台に分乗して駅前通りを通り陸軍墓地へ。この通りは祝日のたびに金子氏などの友が国旗を掲揚してくれている商店街。皆さんにジックリ堪能していただいた。全て脚立を用いて一本ずつ丁寧に地上2.5メートルほどの位置に取り付けたもの。こうした地道な努力で近隣の民家などでも少しづつ国旗が出始めたのです。 さて陸軍墓地。概要を説明後、皆さん総勢20余名に小旗を数本ずつお配りし、献花の代わりに備えていただいた。夜の回収時まで英霊に国旗と共にいていただく。そして献花ならぬ献旗していただいた墓には責任をもって祈っていただいた。 村田春樹先生の音頭で全員で海ゆかばを斉唱。鎮魂の誠をささげた。 出発して前芝小学校に立ち寄る。ここには大正時代に建てられた二宮尊徳先生の金次郎像がありこれが日本で最初に小学校におかれた尊徳像。背中には薪ではなく魚籠(ビク)を背負った像。皆さんの関心も高くまずまずの滑り出し。時間の関係で三ヶ根グリーンホテルに直行。昭和天皇陛下他多くの皇族がお泊りになったお部屋を見学させていただく。ここは愛知で植樹祭がなされた際に陛下がこの三ヶ根の地をわざわざお選びになられた由緒ある場所。殉国7士はじめ英霊の休まれる聖地をおろがみになられるうえで最適のホテル。ご朝食後に佇立になられずっとこうべをおたれになられたと当時を知るホテルマンに取材して文になされた方は若狭和朋先生。 この部屋に入り皆さんで記念写真を撮る。 更にホテルの庭に移動。記念の石碑やさざれ石などを見学。スカイラインに入り比島観音参拝に。しかしなぜか後続者が来ず、連絡すると七士墓に行っている。呼びに行く時間なくならばと二時より開始の慰霊祭場所に私らも行くことに。式典後に比島観音の参拝とする。 式典には元最高裁長官はじめ学者、文筆家などの皆さんや公職者の方々もご参列に。総員一五〇名ほどでありましょうか。厳かに式典がなされた。 直会の後歓談、写真撮影など。日本兵にコメを運ぶ任を担った台湾の方がコメに手を付けずに餓死なされていた部隊の碑やお町さんの碑などを参拝。 駆け足で比島観音を参拝。ゆうとぴあにより歓談。一路豊橋公園に走り部隊関連施設や記念碑、神武天皇像や陛下の御即位記念の桜を見ていただく。ご即位の年、一〇年二〇年そして二五年の記念植樹を市の許可をいただき行っていたのであります。 ここでタイムアップ。五時半を回ってしまったので隗さん。皆さんを駅に送る。新幹線で上京なさる皆さんの出発までこ一時間しかなく買い物や御食事ができたか心配でありましたが私は見送る時間なく陸軍墓地へ戻り後始末。 急ぎ岡崎に帰り仕事に。多忙な一日でありましたが今から国旗の撤収に。およそ三時間ほどかかりましょうが、これも楽しきことであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.29 22:02:35
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