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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2017.05.31
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午前7時資源ごみ回収。プラとペットボトルと紙。後玉ねぎを縛り、軒下につるす。重量で竿が折れるアクシデント。町内に市政だよりを配る。幼稚園に孫の運動会演技を見に行く。なぜか息子夫婦も私の妻も仕事を休んでか、見に来ているではないか。ゆとりありすぎの気がするがまあ、家が回っていくならよいか。これで午前中が終わる。

実母がタイ国人であった中3の娘さんと話す。日本で生まれているハーフ。タイからおばあさんが見えて一緒に住んでいるとのこと。独立を保った大国の素晴らしさを話し、国王への敬意の素晴らしさをはなすと、それでおばあちゃんが年中黒の服装なのかと語る。聞けば、国王の逝去から丸一年間は黒装束で過ごすのだそうだ。驚いた。確かにあらゆる政争も、国王陛下が中に入られればピタッと収束する歴史を持つ国。国民は国王の立ち居振る舞いを見て自らの姿勢を律し、自我意識に流れる己を問い直す。この文化は一朝一夕にできたものではなく、教育現場を含めあらゆる機会場所において啓蒙を続けてできたもの。映画上映に関しても上映前に国王をたたえる映像が流れるのだそうです。いとこなど皆、仏教の経典をそらんじており、タイに行くといつも覚えていない自分が肩身の狭い思いをすると語ってくれました。

 

 

産経新聞にフードライフについて記載がある。

 外装が汚れるなどして売れない食品を企業などに寄付してもらい、施設に届けるフードバンクなどの団体もあるという。缶詰など、賞味期限が切れていようが十分に食せるものやへこみやラベルの破れなどで売れない商品を集め、必要とする団体や施設などに提供し、有効に消費するシステム。出どころがはっきりしないと安全上問題があろうが、ゴミとして処理するよりは行かせて使うほうがやはり好ましい。管理が信用のおける団体によってなされていれば一夕石二鳥。。

 認定NPO法人フードバンク山梨(山梨県南アルプス市)はJリーグチーム、ヴァンフォーレ甲府と協力。試合会場で28年7月、サポーターから缶詰など420キロを集めて施設に寄付した。 全国フードバンク推進協議会(事務局・東京)は加盟団体に呼び掛け、28年12月から今年1月まで「全国フードドライブキャンペーン」を実施。今回が2回目で、一般の家庭などから提供された食品は全国で約21トンとなり、前回の約11トンよりも大幅に増えた。こう記事にあった。おかしな業者が絡むと再処理を加えて製造日偽造などをなす危険があるがその危険性を排することが確実にできれば実に尊い、(しかし腐敗防止剤混入など添加物混入を入れる前歴のある国からのものは要注意である)食べ物を大切にすることのキャンペーンになればと期待したい、。


南モンゴルを支援しよう

モンゴルと言えば蒙古帝国をそして「元寇」の「元」を僕らは思い出す。大相撲で全勝優勝を成し遂げた白鳳関以前には朝青龍関などの出身の国。しかしここは北モンゴル。その南には南モンゴルがありましたが、しかし今そこはチャイナ領。内モンゴル自治区となっている。

 

以下、いかに南モンゴルがチャイナのジェノサイドの犠牲になってきたか、今までまとめてきた資料の要約を記載します。引用文献などは未整理です、すいません。

モンゴルの研究で知られる宮脇淳子氏の『朝青龍はなぜ強いのか?』(WACBUNKO)に、「モンゴル人が中国人を嫌いな最大の理由」が次のように書かれている。

 

「清朝を継承したと主張する中華人民共和国が、清朝の領土をすべて回復しようと企んでいる点にある。清朝の支配者は中国人ではなかったし、満州皇帝はモンゴル人の同盟者だった。北のモンゴル国(外モンゴル)は、事実上いまだ中国人に支配されたことはないのだ。中国農民に草原を荒らされたり、中国商人に好き勝手にされるのは、絶対にご免だとモンゴル人は考えている」

 

内モンゴル自治区に対して、中国共産党は過酷な弾圧と虐殺を重ねてきた。歴史も捏造してきた。

 

中国は、チンギス・ハーンのモンゴル帝国を元と呼び、歴史はわずか100年程度の短いもので、明に滅ぼされて消えたと言う。モンゴル人は中国人で王朝を建てた蛮族のひとつにすぎないと位置づけ、元朝消滅後、完全に中国人の支配下に入って今日に至ると見做す(「モンゴルとは何か?」宮脇淳子)。

モンゴル人らは、そうした中国共産党の主張が歴史の捏造だと識っているのだ。第一、明が元を滅ぼしたといっても、実際はモンゴル帝国のなかの中国人が住んでいたごく一部分が明朝として独立しただけだ。中国を世界の中心に置いて歴史を見る中国人が、明朝の成立イコールモンゴル王朝の消滅としているだけなのだ。モンゴル人の元朝は現在の内モンゴルでその後も続き、後裔もずっと生きて、皆独立していたというのが事実である(『刀水』岡田英弘)。

 

支配者=中国人という無理

 

モンゴル研究の専門家である両氏は、チンギス・ハーンの時代には元朝という呼び名さえもなかったと指摘する。チンギス・ハーンは中国には無関係の人物であるにも拘らず、中国の文献は彼の作った王朝を元朝と記す。これこそ中国による歴史のすり替えだと、両氏は批判する。

 

中国人ではないにも拘らず中国人とされたチンギス・ハーンの末裔たちが、今も無理矢理中国人だとされ、弾圧され続けている現実に強い怒りを抱くのは当然だ。中国共産党が、中国の歴史上、最大の版図を誇った清朝時代の領土奪還を目指すことに強く反発するのも当然だ。なぜなら、それは、モンゴル人を含めた異民族の領土全てが、中国の領土だという前提に立っているからだ。

たしかにモンゴル人は清朝時代、清朝皇帝に仕えた。けれど、清朝皇帝は満州人であり、漢人(中国人)ではない。清朝は漢人をも支配したのであり、モンゴル人から見れば、漢人も自分たちと同じく清朝に支配された民族ということになる。そしてそもそも万里の長城はこれ以北が敵対する異民族の地であることを示している。

清朝を築いた満州の女直人(女真人)はモンゴル帝国時代、モンゴル人の支配下にあった。清朝は、モンゴル帝国の弟分だったとも言えるわけである。事実、宮脇氏は、清朝はモンゴル人の建てた元朝の継承国家だったと指摘する。

中国政府がモンゴル帝国を過小評価し、中国の一部とし、自治区にモンゴル人を閉じ込め、支配し続けるのは歴史の捏造と蛮行以外の何ものでもない。

異民族を中国人と決めつけ、その人々の領土を勝手に奪い中国共産党の支配下に置くのには、非常なる無理がある。無理を押し通すために、中国共産党が採用したのは弾圧だった。中国共産党の弾圧は並ではない。モンゴル人はそれを「ジェノサイド」と呼ぶ。

 

「50種以上」の拷問考案

中国共産党が用いた弾圧の口実は「内モンゴル人民革命党」である。彼らは同革命党を反中国、反社会主義の総本山で、メンバーは修正主義者で反毛沢東思想の輩だと決めつけ、粛清した。1966年7月2日、鄧小平もモンゴル人の指導者、ウラーンフを呼びつけ、厳しく批判した。

反毛沢東、反社会主義の輩を「えぐり出して粛清する」運動は、「挖粛(ワーソ)」と呼ばれた。挖粛によって、内モンゴル人民革命党員とされたのは34万6,653人、当時の内モンゴル自治区のモンゴル人の人口140万人弱の約4分の1に相当する。うち1万6,222人が殺害され、烈しい拷問による障害が残ったのは8万7,188人だったという。しかし、『実録』におさめられた右の数字は、1980年に中国の最高検察院特別検察庁、つまり、中国政府当局が発表したデータで、少な目に見積られている可能性がある。実際の犠牲者はこれよりはるかに多いと、モンゴル人たちは訴える。

中国共産党は文字を読める人は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清をなした。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である。

内モンゴルのモンゴル人が中国共産党の非道なる圧政で未来を奪われているのは明らかだ。親日的なモンゴル人のためにも、日本はアジアの道義大国として中国政府に物を言い続けなければならない。それが中国の圧制に苦しむ諸民族のために日本がなすべき最低限のことである。

内モンゴルは確かに今や中華人民共和国の領土となっているが、それは1949年からのことに過ぎない。

 

 隠されつづけている大虐殺=モンゴル人ジェノサイド
 1966年5月16日から、「偉大な領袖」毛澤東自らが発令し、「偉大で、光栄で、正しい」中国共産党主導の文化大革命が勃発した。
その一年後の1967年末から1970年夏にかけて、中国領とされた内モンゴル自治区では多くのモンゴル人たちが逮捕、粛清された。彼らに冠された「罪」は、「内モンゴル人民革命党員」だった。この「内モンゴル人民革命党」は「偉大な祖国中国からその固有の領土である内モンゴルを分裂させようとした歴史がある」、と断罪された。いざ、「罪」が確定すると、血腥い殺戮が直ちに全域で開始された。日本を含む世界各国の「進歩的な知識人」たちはかつて文化大革命を絶賛していた。はたして、数々のジェノサイドを推進してきた文化大革命が謳歌の対象であってよいのであろうか。
では、ジェノサイドとは如何なる行為を指しているのだろうか。1948年12月9日、国連総会は「ジェノサイドの防止及び処罰に関する条約」(略してジェノサイド条約)を採択した。「ジェノサイド条約」の第二条の規定は以下の通りである

この条約において集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもって行われる次の行為をいう。

a、集団の構成員を殺すこと
b、当該集団の構成員の肉体又は精神に重大な危害を加えること
c、集団の全部又は一部の肉体的破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に故意に課すること。
d、集団内における出生を妨げることを意図する措置を課すること。
e、集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。
内モンゴル自治区の場合だと、大量虐殺が発動されただけではない。1969年5月に内モンゴル自治区東部の三盟と西部の三旗がそれぞれ隣接する漢人とムスリムの省(自治区)に分け与えられた。「夷狄たるモンゴル人」たちを「分けて統治する」政策の導入である。

モンゴル人たちはまた殺戮のなかで、父祖の代から住み慣れた故郷を失ったのである。同胞たちの国であるモンゴル人民共和国との国境地帯に住んでいたモンゴル人たちは、強制移住を強いられた。彼らはある日突然、着の身着のままで劣悪な環境への移動を命じられた。そして、その移住の過程でまた虐殺の対象とされていたのである。
民族文化も深刻な打撃を受けた。自治区全域で寺院などが破壊し尽くされた。モンゴル語の使用も否定され、モンゴル語で授業をおこなう学校が閉鎖に追い込まれた。モンゴル人たちは中国人と同じような名前を使用しなければならなかった。植民地統治や民族浄化といった国家暴力がある社会に襲いかかった際に、性的支配が伴われると指摘されている。内モンゴル自治区のモンゴル人女性たちは中国文化大革命の嵐に襲撃された時にも、漢族の人たちから性的暴力を繰り返し受けた。これは、北・中央アジアの遊牧民の女性たちが有史以来に初めて嘗めた辛酸であろう。
このように、大量殺戮をはじめ、強制移住、民族文化の破壊、そして性的な支配など、中国共産党が発動したモンゴル人ジェノサイドの実態は、国連による「ジェノサイド条約」の規定と完全に合致している。
人類は、この屈辱と悲惨な歴史を忘れてはいけない。
モンゴル人の古くからの領土が再び自治区に返還されるのには、1979年まで待たなければならなかった。しかしそこはもうモンゴル人の地ではなくなっていたのだ。

毛澤東自らが発動した文化大革命」の最中に、北の内モンゴル自治区には約150万人弱のモンゴル人が住んでいた。しかしながら、あとから殖民してきた中国人すなわち漢族はその9倍にも達していた。モンゴル人たちは自らの故郷において絶対的な少数派の地位に落ちていたのである。

1981年当時の内モンゴル自治区の書記で、中国人の周恵は「隔離され、審査を受けたモンゴル人の数は79万人」だとしていた。また、1989年に内モンゴル自治区党委員会が公表した被害者数は480,000人だった。独自に調査したアメリカとイギリスの研究者たちはおよそ500,000人のモンゴル人が逮捕され、殺害されたモンゴル人の数は100,000人に達すると見積もっている。最近では、内モンゴル自治区のあるジャーナリストが、直接殺害された者と自宅に戻ってから亡くなった者、いわゆる「遅れた死」を含めて、モンゴル人犠牲者の数は300,000人に達すると報告している。このように、中国にいるモンゴル族全体が受難していた現代の凄惨な歴史を当事者たちは中国共産党政府と中国人民が一体となってすすめたジェノサイドに他ならないのだ。 

文化大革命の場合は戦時ではない。「人民が幸せな社会主義の大家庭」に暮らしていた平時であった。モンゴル人女性に対する性的な凌辱はいわば相手に対する完全な征服を意図したものである。中国人たちは、モンゴル人男性を侮辱しようとして、モンゴル人の女性たちを公然と凌辱していたのである。

中国文化大革命中にモンゴル人女性に対して、中国人民解放軍と中国人幹部たち、それに中国人農民らが犯した罪は枚挙にいとまがない。これは、モンゴルという民族がこの地球上に誕生してから初めて経験させられた凌辱に違いない。これは決して過去の問題ではない。モンゴル人女性に対して働いた性的な凌辱を公式に清算していない限り、このような人道に対する犯罪は現在的な、未解決の問題である

女性に対する性暴力は、彼女たちの同胞たる男性たちが完全に征服されたことを自覚させるためだ、との指摘がある。となると、全世界のモンゴル人男性たちはこれから、いかなる心情で中国と交渉すべきかについても、真剣に考えなければならないのであろう。

世界のモンゴル人男性たちは何もしないで、座視して自分たちの妹や妻、娘と母親たちがうけてきた凌辱を忘却するわけにはいかない。モンゴル人にとって、いや、人類にとっても、中国文化大革命は未解決な人道に対する犯罪である以上、国際社会と国際人道法廷に訴えつづけなければならない。

昨年やっとそのための運動体が東京で結成された。

その指導者の一人はオルホノド・ダイチン氏。名古屋在住の憂国の士であり、彼の真摯さは多くの支持を受けている。私にとっても貴重なる親友であります。

6月1日2時より参議院会館にて運動提示の会が開催される。今晩仕事を終え夜行バスにて上京、応援に行ってきます。

 






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Last updated  2017.05.31 15:44:17
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