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本日は町内氏神神社の祭礼の日であります。 国正稲荷社の宮司先生が地元の比蘇天神社の宮司を兼ねていただいており、宮係の皆さんや子供会の皆さんが参拝。この雨の中を獅子頭をもって傘をさして練り歩いていかれた。各家々ではこれを楽しみに寄付金を用意して迎えるのであります。しかし子供神輿は雨のため今年は担げず残念であります。子供らはそれでも皆カッパをきて楽しそうに出かけて行った。この雨では神社にて行う諸行事も中止でしょうが、大雨警報発令ですので致し方ありません。 私は宮司先生に来年陛下の御即位30年奉祝幟を一対お渡しし、神社に掲揚をお願いする。いくつかの神社をお守りくださって見えますが新年までに各神社の氏子総代と会い配布できるのはお祭り時のみと伺い、配布に時間がかかるのを実感。12月2日に設定した奉祝活動推進歌唱祭りからの配布運動では遅いことを知る。それまでに趣旨に賛同いただける団体個人の皆の協力を得て配布活動に移ることにする。 我が家でも私の子供のころは毎年親戚中が集まり祭りの集いを楽しくやっていた。しかし、その集いも大変だからと親戚を呼ぶことをやめてしまい、町内でも屋台を呼ぶことをやめてしまったので祭りの感覚がなくなってしまった。少子高齢化と、核家族化の影響でもありましょう。と、こう思うことには実は嘘があります。その原因は私の怠慢にあるのは明らか。ずっと続いてきた我が家の祭り文化を絶やしたのは私。左翼の跋扈する大学を変えようと家を出て下宿、その後もついに親の勘当を受け岡崎を離れ、親族の縁を切ってしまったこと。祖国防衛の我を通し、身内や地域の交流も希薄となり、父親も肩身の狭い思いをしたことでしょう。平成の御代になり、実質的に勘当が解かれ岡崎の実家に戻りましたが、地域のことは全く行わずに起業した仕事に奔走。帰りは真夜中。むすこらとの顔をみての会話も月に一度か二度。国思う活動は人一倍やっては来ましたが地域社会とのつながり親戚との交流も今思えば無きに等しい。一旦途切れた家族の伝統文化の復活はなかなかむつかしい。祭り会合もその一つで今更本家だからと集まってもらうのも世代交代が起きてこれも簡単にはいかぬ。何しろ父と細やかさが違う。 こうした変化は我が家に限ったことではなかろうが、地域共同体の衰微は甚だしく、何とかしなくてはと思う。 先ほど家族を総選挙投票会場に運ぶ。史上最低の投票率になるのではとの危惧が報じられている。これだけ北の脅威が高まっている中ですら関心が高まらないのはおかしすぎる。 さて結果はどうなるか。夜中が忙しくなりそうであります。 今日は昼から西尾張学習会。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.10.22 08:53:30
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