草莽の記    杉田謙一

2018/04/17(火)18:48

悠紀斎田に式典取材クルーの要請にいく

  上和田公民館にて2歳の孫と草取りをして遊んでいると碑の説明を求められたので大久保家の事、土屋長吉のことを語る。さらに勤王の商人深見篤慶安大人につき語り、三河人の勤王心につき思いを語る。時折こうして田主兼得てくださる方が見えるのはうれしきこと。 スーパーのアピタに所用で行くとなんと入り口の市道ガードレールに「安倍はやめろ」なる横断まくがかけてあるではないか。 無人。 とんでもないとアピタ従業員に抗議すると、掲示は私どもではないといわれる。向こうの人に行ってくれというので見ると、100メートルほど離れたところでマイク情宣が始まる。 無人で幟や横幕を放置されたらアピタさんが9条は改正反対の主張をしているように見える。 不適切だと申し入れると警察が見てもこれならよいといったと弁明するので岡崎警察にすぐに連絡。どうして市のガードレールに政治主張を掲げる許可を出すのか問う。 出すわけはないとの回答。情宣場所ならまだしもあるいは老人たちが近くにいて持つのが大変で括り付けているならわからぬでもないが、無人ではスーパーさんがなしていると、思うのは当然。ご老人らには悪いがやはり人を配置して自らの主張と明らかにすべきとアドバイスをした。それと警察は許可していないと伝言も。すると許可はないが「黙認」して帰ったと。 まあ、必死になられるのもわかるが、ならば解散を主張なされればよかろう。国民が自衛隊の表記を望むことに反対するか否かをはっきりさせればよい。 時に国民の意思を問う国民投票を同時になせるわけですので。 彼らが民主主義の多数決原理を容認なされればの話ではありますが。   悠紀斎田の御田植祭りの取材の件で悠紀の里に行く。サポーターとしてご活躍の恩師、村上先生とお会いし、お話しする。チャンネル桜取材クルーがどのタイミングで入ればよいかを伺う。 たまたま深見篤慶さんの話題に。先生も以前新堀町に住んで見えたそうでよくご存じでこの石碑がかつては寺にあったが、移転されて神社境内に据えられたとのこと。やはり維新の功労者ですので神社で祭るのでしょうか。   実際に運営にかかわる方、保存会運営部長の加藤祐幸氏ととは5時より打ち合わす。イベントは11時より。内、11時半より12時、大正宮にて神事。実際の式典は14時開始、神事・御田植・実演など。16時終了となりそうであります。その休憩中に取材などをしていただく予定。 私の持つ六ッ美史(大正発行)を寄贈しておいた。   地元の勤王家を顕彰することは私の責務かもしれない。 時間がとれたので私の持つ六ッ美史(大正時代発行)を開いてみると我が家の土地は古えの南北朝時代には後醍醐天皇側にたって戦った宇都宮泰藤の屋敷内にあたるようなのだ。宇都宮が大久保彦左衛門ら大久保姓に 改名するのですが大久保一族の勇猛果敢に家康を守って戦った激戦地のその場所のようなのだ。 宇都宮泰藤は足利尊氏に天下を取られて隠遁,僧門に入り犬頭神社隣の妙国寺を建てる。地所は今では宮地。しかしここも上和田城の城域内なのであろう。さほど遠くない場所である。妙国寺に参拝に行く。愛知県建立の立派な石碑が立っている。菊が供えてある。今では大久保の一族は家康の江戸域に従って、上和田町内にはそのご子孫はいられないが。 どなたかが花を活けてくださっているんおであろう。感謝。  

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