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お盆となりました。 やっと寝たので事務所に戻る。 宮司さんと15日の打ち合わせをする。予定は以下。昨年は城内にみえる一般の観光客にも呼び掛けて実施。慰霊祭には50人ほどがお集まりになってくださった。今年は暑いので野外の大扇風機も用意。 多くの皆さんがお越しくださればありがたい。 終戦の日岡崎戦没者慰霊祭 岡崎城 第一部 於;忠魂碑前 (11時半~11時50分) 司会 1、開会の辞 2、国歌「君が代」斉唱 3、戦死者の方々の安らかなるご冥福を心よりお祈りして「黙祷」 4、神事 5、玉串奉奠 6、実行委員長 柏原文男挨拶 7、来賓挨拶 8、閉会の辞 移動 アラモの碑前 お祓い 第二部 会場内 (12時~1時) .主催者挨拶 陛下のご挨拶拝聴 終戦の詔勅 来賓挨拶 宮司挨拶 県議・市議挨拶 食事会
明日概略の清掃を成してくる予定。尚、一時から三ヶ根山ゆうとぴあでも慰霊祭が。私は急ぎそちらにも走る予定。 靖国・県護国神社などにぜひ御参拝区dふぁさることを希望します。
盆の風景は本当に変わってきてしまった。 我が家は母が毎日経を読んでいるので、それなりに先祖への感謝の意識が育っているようだ。親戚に行ってもまず仏壇に手を合わせてくれる。 現実的な話で、昭和天皇今上天皇御即位記念の石碑が地元の神社にはあるが、来年5月1日に記念碑建立の話が出てこない。なんとか地元には建立したいが市内の他の神社でどれほど建立されるであろうか。不安である。 民主主義で決めれば、何もなさないと決してしまうでしょう。 戦前を知らぬ世代があえて伝統の意義を求めて伝統継承を求めるいわばいばらの道を歩もうとする教師は生まれない。その使命感は全くないどころか日教組の主張を程度の違いこそあれ結果認めてしまっていた。 やはり意識的に動かねば良き伝統すら消え去ってしまうものだ。 大学も同様昭和40年代からは親の苦難に体験も薄れ家庭内での教育を受けていない学生は左翼教授の意識に染まっていた。公職追放されてまともな教授はほとんど見えなかった。名大経済はマルクス経済が必須。様々な供花でも左の立場からの政府批判はしょっちゅう。学生の本分は批判精神とばかりに一方的な価値観を学ぶしかないのだった。 姉内閣になってやっと教育基本法が改正されて伝統教育が容認されるようにはなったが、あえて火中の栗を拾おうとする教師はいないまま。 さあて教育の再生をどうすべきか。急がねばならないことはわかっているのだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.13 23:38:23
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